夜、電車の窓に映った自分の顔にぎょっとした。
どよんとやつれた顔だった。
どよんとしている原因は明らかに肌だ。お肌の曲がり角と言われる25歳まであと2年となったのが納得できる。今まで日傘もささず、日焼け止めもまともに塗らず、化粧水やらクリームやらで手入れもしてこなかったツケがまわってきたのだと思った。
手入れを怠りながらも、今までは若さという力で何とか保ってきた。けれどここ最近、「あれ、こんなところにほくろあったっけ?」と鏡を見てびっくりすることが多々ある。明らかに肌がたるっとしているのもわかる。もう若さだけでは何とかならないところまで来てしまった。
何とかしなければいけない。そう思い、最近始めたのが「野菜をひたすら食べる」だ。栄養のあるものを食べて内側から何とかできないか作戦だ。
外側から手入れをするのは早々と諦めた。日傘は、いつも荷物が多いのでこれ以上荷物が増えるのは無理、日焼け止めはこまめに塗り直すのが面倒くさい、化粧水や美容液はよくわからない。
それで今はひたすら野菜を食べ続けている。適当に切って煮込みコンソメを入れてそれなりに美味しく食べている。
初めて3日目だが、変化はまだない。どうか栄養分をたっぷり吸収して肌の細胞を生まれ変わらせてくれ、とひたすら自分の胃腸に祈り続ける日々だ。
2014年5月30日金曜日
2014年5月29日木曜日
男女の間の大きな違い
女性は男性よりも傷つきやすいのだ、ということを書きたい。あくまでも仮説であり、実際にそうかはわからないが。
唐突だが、男女の身体的な差で一番の違いは何だろう。骨格とか筋肉量とかいくつかあるけれど、一番の違いは皮膚の厚みだと思う。私はお世話になった人と別れるときなど感謝の意を表すつもりで握手をするのが好きだ。また海外に行くと挨拶がわりに握手をする。そのたびにいつも男女の皮膚は厚みがずいぶん違うなあと感じる。男性と握手をすると圧倒的に自分は皮膚が薄いとわかる。逆に女性のときには自分と同じ厚みだ、と思う。
皮膚は身体の外装材だ。住宅の場合、外装材がしっかりしていれば中の熱は逃げないし、外が寒くても中まで簡単に冷えない。中は簡単に傷つかない。逆に外装材が薄ければ、中は外の影響を直接受ける。簡単に傷ついていく。身体と精神の関係もまた同様。薄い皮膚は弱い。身体を守っているものが弱いゆえに、簡単に精神まで傷がついてしまう。女性同士の会話で共感というのがすごく重要であるのも、お互い傷つきやすいがゆえに傷つけあってはいけないからなのだと思う。
男性には女性特有の傷つきやすさが理解してもらえないのではないか、と思ったのは小学5年生の時だった。その頃、女の子同士のグループで無視をしたりされたりといういざこざが起きた。学校に来れなくなった女の子がいて、緊急クラス会が開かれた。そこで、当時40代だった男性の担任教諭は「女の子同士のいろいろはよくわからないねー」と言った。関わるのが心から面倒くさそうだった。その時、「ああこの人に助けを求めようとしたことは間違いだった」と深く失望した。女の子同士がどれほど友人関係に気を張らなければいけないのか、たかが一度無視されるということがどれほど心に傷を負うのか、そんなことは男性の先生にはわかるはずないのだ、と。解決してくれたのは、女性の保健の先生だった。泣きながら話し合って、クラスの女の子同志は関係を修復した。
男性は傷つきにくい、女性の傷つきやすさをわかってくれない、と言いたいのではない。ただ、皮膚の厚みという身体的な男女差は心の傷つきやすさにも直接影響を及ぼすのではないか、それもまた男女の生物的な差ではないのか、思うのだ。そこは男性と女性の分かろうとしても分かり合えない違いだと感じる。だって持ってるものが違うのだ。
AKBの女の子が切り付けられた痛ましい事件が起きた。「誰でもよかった。」そんな理由で男性は女性を切りつけないで欲しい。それは男性が負う傷よりも大きな傷となる。
AKBのかわいい女の子もまた薄くもろい皮膚しか持たず、体の傷は直接心の傷となるのだから。
唐突だが、男女の身体的な差で一番の違いは何だろう。骨格とか筋肉量とかいくつかあるけれど、一番の違いは皮膚の厚みだと思う。私はお世話になった人と別れるときなど感謝の意を表すつもりで握手をするのが好きだ。また海外に行くと挨拶がわりに握手をする。そのたびにいつも男女の皮膚は厚みがずいぶん違うなあと感じる。男性と握手をすると圧倒的に自分は皮膚が薄いとわかる。逆に女性のときには自分と同じ厚みだ、と思う。
皮膚は身体の外装材だ。住宅の場合、外装材がしっかりしていれば中の熱は逃げないし、外が寒くても中まで簡単に冷えない。中は簡単に傷つかない。逆に外装材が薄ければ、中は外の影響を直接受ける。簡単に傷ついていく。身体と精神の関係もまた同様。薄い皮膚は弱い。身体を守っているものが弱いゆえに、簡単に精神まで傷がついてしまう。女性同士の会話で共感というのがすごく重要であるのも、お互い傷つきやすいがゆえに傷つけあってはいけないからなのだと思う。
男性には女性特有の傷つきやすさが理解してもらえないのではないか、と思ったのは小学5年生の時だった。その頃、女の子同士のグループで無視をしたりされたりといういざこざが起きた。学校に来れなくなった女の子がいて、緊急クラス会が開かれた。そこで、当時40代だった男性の担任教諭は「女の子同士のいろいろはよくわからないねー」と言った。関わるのが心から面倒くさそうだった。その時、「ああこの人に助けを求めようとしたことは間違いだった」と深く失望した。女の子同士がどれほど友人関係に気を張らなければいけないのか、たかが一度無視されるということがどれほど心に傷を負うのか、そんなことは男性の先生にはわかるはずないのだ、と。解決してくれたのは、女性の保健の先生だった。泣きながら話し合って、クラスの女の子同志は関係を修復した。
男性は傷つきにくい、女性の傷つきやすさをわかってくれない、と言いたいのではない。ただ、皮膚の厚みという身体的な男女差は心の傷つきやすさにも直接影響を及ぼすのではないか、それもまた男女の生物的な差ではないのか、思うのだ。そこは男性と女性の分かろうとしても分かり合えない違いだと感じる。だって持ってるものが違うのだ。
AKBの女の子が切り付けられた痛ましい事件が起きた。「誰でもよかった。」そんな理由で男性は女性を切りつけないで欲しい。それは男性が負う傷よりも大きな傷となる。
AKBのかわいい女の子もまた薄くもろい皮膚しか持たず、体の傷は直接心の傷となるのだから。
2014年5月27日火曜日
「わたしってクズだなあ」と思うことの快感
自分はなんてダメなんだと思うとき、そこにはちょっと甘い毒みたいなのが含まれていて、自己嫌悪に陥る状態はちょっと気持ちが良かったりする。
「はたらけど はたらけど猶 わがくらし 楽にならざり」という石川啄木の詩を読んだときこの人はナルシストだなと思ったし、太宰治の人間失格を読んだ時も同じようなことを思った。
一見深く考えているようで、苦しんでいるようで、悩んでいるようで、自己愛が強すぎるあまり「可哀相な自分、不幸な自分」というものに酔っているのではないのか、と。
もちろん啄木や太宰と私を一緒にするわけではないが、自己嫌悪に陥るときどこかその状態を気持ちよく思っている自分は確かにいて、それはけっこう毒だよなあと時々恐ろしくなるのだ。
「はたらけど はたらけど猶 わがくらし 楽にならざり」という石川啄木の詩を読んだときこの人はナルシストだなと思ったし、太宰治の人間失格を読んだ時も同じようなことを思った。
一見深く考えているようで、苦しんでいるようで、悩んでいるようで、自己愛が強すぎるあまり「可哀相な自分、不幸な自分」というものに酔っているのではないのか、と。
もちろん啄木や太宰と私を一緒にするわけではないが、自己嫌悪に陥るときどこかその状態を気持ちよく思っている自分は確かにいて、それはけっこう毒だよなあと時々恐ろしくなるのだ。
2014年5月26日月曜日
中学生のときに通っていたちょっと変わった塾の話
中学3年生になったばかりの頃だった。
そろそろ受験のためにちゃんと勉強を始めなくちゃと思っていたとき、祖母が近所の美容室で聞いた塾がいいと言われ、見学に行った。
そこは商店街の中にある長屋の住宅だった。入口は小さく本当に塾であるかわからない。看板もない。入口から薄暗い廊下を歩いていくと突然広い庭と木造2階建ての建物が現れ、その2階が中学生のための塾だった。先生は老夫婦で、名前を「適塾」といった。
ギシギシ音をたてる急な階段を上ると、畳10畳ほどの部屋に生徒6人が勉強していた。とても静かだった。私は一目でその場所が気に入り、入塾を決めた。
ここでの日々は、なんというかとても楽しかった。生徒は私を入れて女の子3人男の子4人の7人となった。「みんなどうやってこの塾を知ってここにたどり着いたんだろう」と疑問だったが、結局最後まで聞きそびれたままだった。商店街の喧騒から離れ、ひっそり集まって静かに勉強している私たちは何だか秘密結社のようだ、と思った。
ここでは毎回学校の試験の点数を報告しなければいけなかったのだが、100点をとると先生手作りのカステラが丸々一本もらえた。一番賢いニシノくんはいつも100点をとって毎回カステラをもらっているのを横目で羨ましく見ていた。一度、奇跡的に数学で100点をとることが出来たとき、念願のカステラを一本ご褒美にもらった。家に帰って家族と分け合って食べた。後にも先にもこれ一回きりだった。
勉強中にはいつもおやつが出た。あついほうじ茶と、小さいサイズのカステラやおせんべい、そして忘れられないのが、しいの実だ。これはドングリのような見た目で、ストーブの上に置いて煎ると皮が割れて、白く甘い実が出てくるのだ。こりこりとしてアーモンドのように美味しかった。
秋に一度生徒7人と先生でいつも先生が、しいの実を取りに行くという神社に連れて行ってもらった。そこで塾のおやつにする分をたくさん拾った。受験が近づいて気持ちが焦ってきた時のちょうど良い息抜きとなるちょっとした遠足だった。
無事高校受験が終わった後、カステラの作り方を教えてもらいに行った。50㎝×50㎝の巨大なカステラを作った。作りながら先生に、「なんで適塾っていう名前なんですか」と聞いた。ちょっと照れくさそうに「昔、緒方洪庵という人が適塾という塾をつくったからだよ。」と言われた。
「おのれの心に適(かな)うところを楽しむ」ということから適塾と名づけた緒方洪庵。今でも残るその塾の建物を写真で見ると、私が通った「適塾」ととってもよく似ていた。1年間、とても楽しい日々だった。勉強が楽しかったし、勉強以外のことがもっと楽しかった。
今でも実家に帰ると、たまにその塾の前を通ってみる。相変わらず入口はひっそりとしていて、まさか奥に塾があるようには見えない。あの時一緒に勉強をした6人は今どうしているのだろう。
その後高校生になって、大手のチェーン展開する学習塾や公文式にも通ったけれど、今でも塾と聞くと、真っ先に「適塾」のことを思い出す。薄暗い廊下や、しんと静まり返った畳の部屋、あたたかいほうじ茶に甘いしいの実。記憶の中のその日々はどこか実体が無く、幻だったのではないかと思えてくる。
先生、元気かな。
そろそろ受験のためにちゃんと勉強を始めなくちゃと思っていたとき、祖母が近所の美容室で聞いた塾がいいと言われ、見学に行った。
そこは商店街の中にある長屋の住宅だった。入口は小さく本当に塾であるかわからない。看板もない。入口から薄暗い廊下を歩いていくと突然広い庭と木造2階建ての建物が現れ、その2階が中学生のための塾だった。先生は老夫婦で、名前を「適塾」といった。
ギシギシ音をたてる急な階段を上ると、畳10畳ほどの部屋に生徒6人が勉強していた。とても静かだった。私は一目でその場所が気に入り、入塾を決めた。
ここでの日々は、なんというかとても楽しかった。生徒は私を入れて女の子3人男の子4人の7人となった。「みんなどうやってこの塾を知ってここにたどり着いたんだろう」と疑問だったが、結局最後まで聞きそびれたままだった。商店街の喧騒から離れ、ひっそり集まって静かに勉強している私たちは何だか秘密結社のようだ、と思った。
ここでは毎回学校の試験の点数を報告しなければいけなかったのだが、100点をとると先生手作りのカステラが丸々一本もらえた。一番賢いニシノくんはいつも100点をとって毎回カステラをもらっているのを横目で羨ましく見ていた。一度、奇跡的に数学で100点をとることが出来たとき、念願のカステラを一本ご褒美にもらった。家に帰って家族と分け合って食べた。後にも先にもこれ一回きりだった。
勉強中にはいつもおやつが出た。あついほうじ茶と、小さいサイズのカステラやおせんべい、そして忘れられないのが、しいの実だ。これはドングリのような見た目で、ストーブの上に置いて煎ると皮が割れて、白く甘い実が出てくるのだ。こりこりとしてアーモンドのように美味しかった。
秋に一度生徒7人と先生でいつも先生が、しいの実を取りに行くという神社に連れて行ってもらった。そこで塾のおやつにする分をたくさん拾った。受験が近づいて気持ちが焦ってきた時のちょうど良い息抜きとなるちょっとした遠足だった。
無事高校受験が終わった後、カステラの作り方を教えてもらいに行った。50㎝×50㎝の巨大なカステラを作った。作りながら先生に、「なんで適塾っていう名前なんですか」と聞いた。ちょっと照れくさそうに「昔、緒方洪庵という人が適塾という塾をつくったからだよ。」と言われた。
「おのれの心に適(かな)うところを楽しむ」ということから適塾と名づけた緒方洪庵。今でも残るその塾の建物を写真で見ると、私が通った「適塾」ととってもよく似ていた。1年間、とても楽しい日々だった。勉強が楽しかったし、勉強以外のことがもっと楽しかった。
今でも実家に帰ると、たまにその塾の前を通ってみる。相変わらず入口はひっそりとしていて、まさか奥に塾があるようには見えない。あの時一緒に勉強をした6人は今どうしているのだろう。
その後高校生になって、大手のチェーン展開する学習塾や公文式にも通ったけれど、今でも塾と聞くと、真っ先に「適塾」のことを思い出す。薄暗い廊下や、しんと静まり返った畳の部屋、あたたかいほうじ茶に甘いしいの実。記憶の中のその日々はどこか実体が無く、幻だったのではないかと思えてくる。
先生、元気かな。
2014年5月23日金曜日
ブログを書けるときと書けないとき
何となく書くことがないなあという日々が続いていたので、しばらく更新がとまってしまった。
久しぶりにパソコンに向かい、つくづくブログを書くというのは心躍る作業だなと思う。私は書くのがとても遅いので、記事一つに2,3時間は平気でかかる。書いては消し、書いては消しを繰り返し、思っていることにぴったり当てはまる言葉をひたすら吟味する作業はとっても楽しい。これは完全に趣味とか遊びの世界だと思っている。
ただ、書くにも出来事とか体験が必要で、気持ちがゆれる瞬間があって初めてそれを言葉にしたくなる。そして、何をしても何を見ても、どうにもこうにも心が動かないときがある。それは自分自身が何となく幸せで身体の調子もいいときだ。そういう時は日常がするすると過ぎてしまい、思い返しても特に何も印象に残っていない。
逆に、食べ物一つ、天気一つにも涙が出るほど心が震えるときがある。それはだいたいネガティブになっているときだ。「自分はだめだ」と思っているときほど、世界は綺麗に見えるような気がする。その時心はとっても敏感にいろんなことを感じ取る。
きっと落ち込むという行為が文字通り自分の心の沼に落ちている状態で、そこから外を見上げているからだろう。暗い沼の底から見る外の世界はいつも眩しく、美しく見える。
ただネガティブな状態が楽しいかといえば決してそんなことはなく、早く脱したいと願う。孤独感、絶望感、寂しさ、嫉妬とか、そういう感情は長く持ち続けられない。そしてハッピーな状態になればそれはそれで「つまらないなあ、もっとヒリヒリするような気持を味わいたいなあ」と思う。
要するに日々フラフラと感情は揺れ動き、ここ数日はのほほんとのんびり健康だったということだ。それはそれでとってもいいことなんだろうけど、やっぱりちょっとつまらない。
久しぶりにパソコンに向かい、つくづくブログを書くというのは心躍る作業だなと思う。私は書くのがとても遅いので、記事一つに2,3時間は平気でかかる。書いては消し、書いては消しを繰り返し、思っていることにぴったり当てはまる言葉をひたすら吟味する作業はとっても楽しい。これは完全に趣味とか遊びの世界だと思っている。
ただ、書くにも出来事とか体験が必要で、気持ちがゆれる瞬間があって初めてそれを言葉にしたくなる。そして、何をしても何を見ても、どうにもこうにも心が動かないときがある。それは自分自身が何となく幸せで身体の調子もいいときだ。そういう時は日常がするすると過ぎてしまい、思い返しても特に何も印象に残っていない。
逆に、食べ物一つ、天気一つにも涙が出るほど心が震えるときがある。それはだいたいネガティブになっているときだ。「自分はだめだ」と思っているときほど、世界は綺麗に見えるような気がする。その時心はとっても敏感にいろんなことを感じ取る。
きっと落ち込むという行為が文字通り自分の心の沼に落ちている状態で、そこから外を見上げているからだろう。暗い沼の底から見る外の世界はいつも眩しく、美しく見える。
ただネガティブな状態が楽しいかといえば決してそんなことはなく、早く脱したいと願う。孤独感、絶望感、寂しさ、嫉妬とか、そういう感情は長く持ち続けられない。そしてハッピーな状態になればそれはそれで「つまらないなあ、もっとヒリヒリするような気持を味わいたいなあ」と思う。
要するに日々フラフラと感情は揺れ動き、ここ数日はのほほんとのんびり健康だったということだ。それはそれでとってもいいことなんだろうけど、やっぱりちょっとつまらない。
2014年5月16日金曜日
自己啓発本が必要なとき
高校3年生の時だった。
当時、自己啓発本にハマっていた。「3週間で自分を変える方法」だとか「出来る人はここが違う」みたいなタイトルの本を、やたら読んでいた時期があった。なけなしのお小遣いをはたいて買い、それさえ読めば自分を変えられると思い込んでいたその時のことは、今思い出しても本当に嫌になる。思えば、本来なら受験勉強をしなければいけない時期に勉強に全然身が入らず、その現状をごまかすために自己啓発本に逃げていただけなのだと、今はわかる。
自己啓発本を読んでも人間はそんなに簡単に変われないのだな、と知ったのは浪人生活を経て2度目の受験も失敗した時だった。新しい大学生活が始まる前に、当時買い集めた自己啓発本を全て古本屋に持って行った。売り払うとともに、本にすがっていた自分も一緒に葬りたかった。
だからそれ以来、自己啓発本はずっと苦手だった。それを熱心に読んでいる人を心のどこかで冷ややかな目で見ていた。
だけど、今は思う。人にはそういう本が必要な時があるのだ、と。
大人になるということは自分で自分を肯定し続けることだと思う。子どもの頃のように誰も褒めてくれない。失敗したら怒られる。生きることに絶望したくなることはしょっちゅうある。
だから何か外からの力が必要となる。自分を少しでも良くする方法を見つけたくなる。そんな時、自己啓発本は、背中をえいっと押してくれる力となっているのかもしれない。結局何も変えられなくても、本を読んでいるときの「よし、これから自分は変わるぞ」という気持ちは決して嘘ではない。たとえそれがほんの一瞬のことであっても。
その小さな希望を積み重ねながら、今日も自分を生かすことができた、と何かに感謝するのだ。
当時、自己啓発本にハマっていた。「3週間で自分を変える方法」だとか「出来る人はここが違う」みたいなタイトルの本を、やたら読んでいた時期があった。なけなしのお小遣いをはたいて買い、それさえ読めば自分を変えられると思い込んでいたその時のことは、今思い出しても本当に嫌になる。思えば、本来なら受験勉強をしなければいけない時期に勉強に全然身が入らず、その現状をごまかすために自己啓発本に逃げていただけなのだと、今はわかる。
自己啓発本を読んでも人間はそんなに簡単に変われないのだな、と知ったのは浪人生活を経て2度目の受験も失敗した時だった。新しい大学生活が始まる前に、当時買い集めた自己啓発本を全て古本屋に持って行った。売り払うとともに、本にすがっていた自分も一緒に葬りたかった。
だからそれ以来、自己啓発本はずっと苦手だった。それを熱心に読んでいる人を心のどこかで冷ややかな目で見ていた。
だけど、今は思う。人にはそういう本が必要な時があるのだ、と。
大人になるということは自分で自分を肯定し続けることだと思う。子どもの頃のように誰も褒めてくれない。失敗したら怒られる。生きることに絶望したくなることはしょっちゅうある。
だから何か外からの力が必要となる。自分を少しでも良くする方法を見つけたくなる。そんな時、自己啓発本は、背中をえいっと押してくれる力となっているのかもしれない。結局何も変えられなくても、本を読んでいるときの「よし、これから自分は変わるぞ」という気持ちは決して嘘ではない。たとえそれがほんの一瞬のことであっても。
その小さな希望を積み重ねながら、今日も自分を生かすことができた、と何かに感謝するのだ。
2014年5月15日木曜日
使いたくてたまらない言葉たち
今、使いたくてしょうがない言葉がある。
「まるっと」と「十把一絡げ」だ。
意味は両方とも、「ひとまとめにすること」という似たようなものだと思うのだけど、発音したときの音が気持ちいい。特に、じっぱひとからげ。
「っ」と「パ」で弾けるような勢いがありながら、「ひとから」でリズミカルになって「げ」で強く締めるっていう流れがいい。
あと、「キッコーマン」とかも言いたくなる系の言葉だ。他にも「借地借家法(しゃくちしゃっかほう)」「部分分数分解(ぶぶんぶんすうぶんかい)」も、思わず声に出したくなる。
カ行と「っ」の組み合わせはからっと爽やかな感じがする。「カッコー」とか。「サ行」は言うまでもなく発音したときに口の中に風が吹くような爽やかさがあるし、それに「ゃ」が足されることで赤ちゃん言葉っぽくちょっとコミカルになる。バ行は連続するとリズム感が出て言いたくなる系の言葉になる。
人が本能的に口に出したくなる言葉、みたいなのを集めて分析して商品名を決めたら宣伝効果ばっちりじゃないか、と思っていたらそういう本があった。
怪獣の名前はなぜガギグゲゴなのか
音韻論というのを初めて知った。読んでみたい。
「まるっと」と「十把一絡げ」だ。
意味は両方とも、「ひとまとめにすること」という似たようなものだと思うのだけど、発音したときの音が気持ちいい。特に、じっぱひとからげ。
「っ」と「パ」で弾けるような勢いがありながら、「ひとから」でリズミカルになって「げ」で強く締めるっていう流れがいい。
あと、「キッコーマン」とかも言いたくなる系の言葉だ。他にも「借地借家法(しゃくちしゃっかほう)」「部分分数分解(ぶぶんぶんすうぶんかい)」も、思わず声に出したくなる。
カ行と「っ」の組み合わせはからっと爽やかな感じがする。「カッコー」とか。「サ行」は言うまでもなく発音したときに口の中に風が吹くような爽やかさがあるし、それに「ゃ」が足されることで赤ちゃん言葉っぽくちょっとコミカルになる。バ行は連続するとリズム感が出て言いたくなる系の言葉になる。
人が本能的に口に出したくなる言葉、みたいなのを集めて分析して商品名を決めたら宣伝効果ばっちりじゃないか、と思っていたらそういう本があった。
怪獣の名前はなぜガギグゲゴなのか
音韻論というのを初めて知った。読んでみたい。
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