2015年3月11日水曜日

4年前の3月11日の思い出

その日は近畿大学で建築合宿というのに参加していて、ちょうど中間発表のプレゼンテーションの最中だった。グループで順番待ちをしているとふらふらーと地面が揺れ、これはひどい目眩だなと思った。目眩はしばらく治まらなくて何だかおかしいと思った時、まわりのざわめきでこれが地震だとわかった。思わず隣の女の子と手を取り合ったことを覚えている。

ちょうど震災の四日前、大学は春休み中だったので私は一人で青春18きっぷを使って宮城を旅行していた。自分が通り過ぎた駅が、訪れた場所が大きく変わった姿で連日テレビに映っていた。ニュース番組の中で、京都から仙台に遊びに来ていた大学生3人が亡くなったと報道されたとき、私も彼らだったかもしれないと思った。


半年後、大学の夏休み中にインターネットで見つけた清掃のボランティアに申し込んで参加した。「被災者だったかもしれない自分」が頭から離れなかったからだ。


ちょうど3年前、東北のボランティアのことを私はブログにこう書いていた。

40人ほどのボランティアで泥かきをしていたとき、津波に流されて何もない街を制服姿の高校生たちが自転車でさーっと下校していくのが見えました。そのとき私は彼らをすごくタフだな、と思ったのです。こんな大変な目に遭っているのに...と。
でもあとから思うと、彼らにとっては当たり前のことなのだ、とはっとしました。たとえ街の姿は変わってしまっても、多くの家が失われてしまっても、彼らの日常は失われていない。
そう気づいたとき、私は自分の中の上から目線な態度に愕然としました。東北が大変だ!困っているにちがいない!何とかしに行かなきゃ!
とても恥ずかしいのですが、ボランティアをする前、岩手県にいく道中、私は自分の正義感にちょっとうっとりすらしていたのです。役に立ってやるぞー!と。 
帰りのバスの中で大げさではなくぞっとしたことを昨日のように思い出す。
正義感という言葉に、何か自分が偉くなったような気がしてしまう。けれど、正義の名のもとに大事なものを見落としまうかもしれない。自分の動機、本当にそれは相手のことを思っているか、かっこいい言葉、耳触りのいい言葉で自分の本当の気持ちを見えなくしていないか。
なんだか良く出来た人間のぴかぴかの正論みたいでむかつく書き方だけれど、3年前に私が書いていたものは、なんだか今の自分に言われている言葉のように感じた。

フィリピンの人に対して、私はうっとりしていないだろうか、と。正義感は適切な分量を持ってなければいけないが、こうやって自分を問うことも必要なのだと今日3月11日に思い出した。