2015年8月1日土曜日

おとなの世界にふれた瞬間

今日のような暑い日に、いつも思い出すことがある。

当時小学4年生だった私は、長い長い夏休みに毎日暇を持て余していた。ある時、母がそんな私のために公民館での料理教室に申し込み、一人で参加することになった。

公民館には、20人ほどの小学生と、料理の先生と、ボランティアのお母さんたち、そして子どもの親が何人かいた。けれど一人で参加した私に話し相手はおらず、キャッキャッとはしゃぐ小学生たちを横目に、ひとり黙々と手を洗い、エプロンをつけた。

メニューは秋を先取りしてなのか、豚汁とさつま芋ご飯だった。うだるような暑さの日に、熱々の豚汁を食べると思うとげんなりした。

いよいよ調理を始める段階になり、私の班に、一人のボランティアの母親がやって来た。包丁を使う女の子の隣に立ち、にんじんの切り方を教え始めた。

その女性は、長い髪をクリップでまとめ上げ、首元がひどくあいた薄い茶色のTシャツを着ていた。女性が子どもの目線の高さまで背をかがめると、下着と胸元が丸見えになった。私は目が離せなくて、子どもながらに見てはいけないものを見ていると思った。一方で、この人はわざと見せている、とも思った。

その女性の前には、包丁でにんじんを切る少女の父親が椅子に座って様子を見ていた。父親の視線の先が、自分の娘ではなく、女性の胸元であることは明らかだった。

私は無言で、二人の大人を見つめていた。

女性は、その父親の視線にきづかないふりをしているように見えた。そしてゆっくり顔をあげた。一瞬の間があって、女性は、その父親にむかってにっこりと笑いかけた。

その時の女性の笑った横顔に、薄暗い湿っぽさを感じて思わずぞっとしたことを、今でも鮮明に思い出す。子どもの料理教室の明るい喧騒からそこだけ切り離されたかのようで、私はとてつもなく居心地の悪さを感じた。

扇情的、なんて言葉をその時の私は知る由もないが、その女性のふるまいに性的な匂いを感じて、それは私が混ざることのできない女と男の世界なのだと思った。見たくもないものを見せられたような気がして、無性に腹立たしくて、泣き出したかった。

毎年、夏の湿った空気の匂いをかぐと、この時の記憶がよみがえる。大人が隠す世界を垣間見た、小学4年生の夏を。