2012年8月26日日曜日

宗教

先日、寮でミサのようなものがあったので見学させてもらいました。
内容は聖書の解説とお祈りです。

率直に感想を言うと..ちょっと怖かったです。
無宗教の私にとって、ミサの参加者の熱心さというか信仰心の強さのようなものに気圧されてしまうようでした。

参加者の一人に、「こうやって神の言葉を聞いているから僕たちはいつも幸せでいられるんだよ。ほらみんなhappy personだろう。」
と言われました。

確かにミサの参加者(寮で働いている人たち)とは毎日顔を合わせるのですが、みんな本当に明るいのです。無愛想だったりぶっきらぼうだったりするところを見たことがありません。フィリピン人気質なのかななんてのんきに考えてましたが、もしかしてこういう怒らない、穏やかな態度も神への信仰心からなのかもとちょっと思いました。憤怒は7つの大罪の一つでもあるし。

「教育とは自分の弱さを他人に転嫁せず自分で消化するスキルを身につけることだ」
と以前どこかで読みまさにその通りだと納得したのですが、宗教はこの自分の弱さを自分で消化するスキルなのだと思います。

神のせいにする、じゃないですが悲しいこと苦しいことがあっても神からの試練だと思うと他人に転嫁しなくても自分で消化できるのかもしれません。
大切な人が亡くなっても、これも神が与えた運命だと思えば受け入れられるのかもしれません。
目に見えない大きな存在がいつも自分を見ていると思うだけで、なんだか楽になれたり、他人に腹を立てなくなったりするのは無宗教の私でも想像できます。

日本人特有というか以前の私は宗教と聞くと構えてしまいましたが、もうちょっと宗教について詳しく知りたいと思うきっかけになる出来事でした。

2 件のコメント:

  1. 宗教によって強くなれるところもあるけれども、宗教によって、「見ないふり」とか「知らないふり」をしてるのかもしれない。

    いろんなことって科学的に検証されているし、原因は探せば理由付けすることはできる。でもそうやって「神」の存在を認めることで、ある意味では秩序が保たれてたりするのかなって思った。

    なんか宗教に対する見方っていろいろあって興味深いね。たぶん無宗教の自分たちだからこそ見えることってあると思う。もちろん、無宗教だから見えないところもあるけれども。

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    1. 宗教については自分には関係ないものだと思って今まで深く考えたこともありませんでした。
      私自身はやっぱり目に見えない神を信じる気にはなれませんが、そういうものを時には自分の命よりも大切に思っている人がいる、ということは理解したいと思います。

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