2016年4月24日日曜日

小野美由紀さんの文章講座を受けて

今から1年前、本郷のスターバックスコーヒーで文筆家、小野美由紀さんの文章講座を受けた。

緊張しながら待ち合わせの30分も前にスタバに到着してしまった私は、キャラメルフラペチーノを頼んで、自分の書いたエントリーシート読みながら小野さんを待った。

待ち合わせの18時ちょうどに、小野さんはやって来た。黒ぶちの眼鏡と赤いバッグ、複雑な模様のブラウス。垢抜けた東京の女の人だ、と思った。

建設コンサルタント企業に就職するために就活を始めたばかりの私は、2社のエントリーシートを添削していただくことを小野さんにお願いしていた。

小野さんと一対一、2時間にも及ぶ講座で教えてもらったことは、2つある。
一つ目は文章に「私」を入れること。二つ目が、9歳の女の子に語りかけるつもりで書く、ということだ。

小野さんに言われて初めて気づいたが、私のエントリーシートには主語がほとんどなかった。そして一文が長い。この二つの欠点を直すために、「私は」から始まる文章で主語を明らかにすること、そして文章自体を簡単な言葉で短く書くことが大事だと教わった。

小野さんの目の前で、私はエントリーシートを書き直していった。小野さんは、「では今ここで、その文章を音読してください」と言った。

スタバで声に出してエントリーシートを読むと、隣の男性が振り返った。恥ずかしくてたまらなかった。一方で音読すると、自分の文章がいかに読みにくいかに気づいた。音読しやすい文章に言い換えていくことは、余計な飾りをどんどんそぎ落としていく作業だった。

18時から始まった講座は、20時過ぎに終わった。完成した2社のエントリーシートを、私は滋賀に帰ってすぐに企業に送った。

しかし残念ながら結果は、2社とも書類選考で落ちた。お祈りメールが来たとき、しばらく何もする気が起きなかった。

あらためて、私は自分のエントリーシートを読み返した。一文一文はたしかに簡潔になっていたものの、あらゆる話題が盛り込まれているのがわかった。ボランティアに留学、海外調査、ディベートや大学での課題のこと。たくさんの話題が分散して、仕事に対する理解や志望の動機がとても薄いことに気づいた。

私はもう一度、ゼロから書き直すことにした。

スラムに興味を持ち、フィリピンの大学に1年間通ったこと。その時、スラムの住環境改善には水の問題を解決することが重要ではないかと思い、計画書を作って調査をおこなったこと。その内容を卒業研究にまとめること。そして将来は、限られた予算の中で脆弱なインフラをいかに強くするか考える建設コンサルタントになりたいこと。

今までの経験を、一本の線でつなげることを意識して、会社で実現したいことを書いた。

全体の構成が決まった後、一文一文を音読しながら推敲した。小野さんに教わった通り、「私は」から始まる文章が書けているか、9歳の女の子が理解できる簡単な文章であるかを意識した。

完成したエントリーシートは4社に送り、4社とも通ることができた。

文章講座に話を戻す。

小野さんの講座を受けた直後、私は憧れだった小野さんに会えて、ほくほくした気持ちでいっぱいだった。エントリーシートはもう大丈夫だ、と何も考えなかった。

だからお祈りメールが来たとき、最初は信じられなくて、悲しみと同時に小野さんに対して少し怒りも感じてしまったのは事実だ。

けれど、結果的に落ちたことで、私は仕事を理解しようとしていなかったことに気づいた。自分の根底にある動機と向き合っていなかった。自分に自信がないから、「私を見て見て」とアピールばかりする内容しか書けなかった。

文章講座の中で音読したときに、どんどん私の声が小さくなり、小野さんに「声の小ささは自信の無さなんだよ」と言われたことを思い出す。自分を肯定する、売り出す文句を音読することは、恥ずかしさ以外の何物でもなかった。自分の本心ではないから、読んでいても違和感があった。

書類選考で落ちたあと、エントリーシートを書き直したときに初めて、自分は仕事をどう思っているのか考えた。そして私は、限られた予算の中で脆弱なインフラをいかに強くするか考える建設コンサルタントになりたいのだと、気づいた。

今までの自分の経験を一本の軸を通して、会社で実現したいことにつなげて書いたとき、「ああ、今までの行動は無駄ではなく未来へつなげていくことができるのだ」とわかって嬉しかった。それは小さな自信となった。

昨年8月に企業から内定の通知を受け、春から社会の中で、居場所ができることが嬉しかった。

エントリーシートを書くことは辛い作業だった。賢く見られたい、良く見られたい、といった見栄を取っ払って、自分の根底にある気持ちと向き合うのは、時間がかかることだった。

だけど、自分から出た言葉を読み返して初めて、自分の考えを理解できた。だから、書類選考を通ったあとの面接でも、しどろもどろにならなかった。

小野さんが教えくれたこと。文章に「私は」を入れる、9歳の女の子に語りかけるつもりで書く、ということは、こんがらがった自分の考えをシンプルにしていく方法なのだと思う。そして、純度の高い自分と向き合えた時、ひたひたと小さな自信が湧いてくるのだ、と身をもって感じた。

今、会社という組織で働き始めた私は、何も出来ない自分に打ちのめされて自信が無くなることがしょっちゅうある。けれど、そのつど文章を書いて、自分と向き合って、小さな自信を自家発電していけばいいのだとわかったことは、生きることをとても楽にしてくれていると思う。

1年前、小野さんの文章講座を受けられて良かった。文章力とは、大げさではなく、生きる力なのだと思う。

2016年4月23日土曜日

なんにもない日記

金曜日、帰宅してかろうじて顔だけ洗いパジャマに着替え、きづくとテレビをつけたまま眠っていた。はっと目覚めると、昼の12時過ぎだった。

あれもやらなきゃ、これもしなくちゃと思いながら、結局なにもしない1日だった。そういえば、ずっとパジャマのままだった。スーパーに行くのも面倒くさくて、ぶどうひと房と納豆3パックだけを食べた。

明日はスーパーで1週間分の食材を買って、会社に提出するあれこれを書いて、CADの練習をして、プールに行って泳ぐのだ!今日1日を取り戻すべく活発に動くのだ!と自分に言い聞かせて寝る。

2016年4月11日月曜日

通勤つらいのがちょっと解消

朝、急行電車は内臓が圧迫されて息ができなくなるほど混んでいるので、各駅停車で会社に行くことにした。今日は運良く座れた。本も読めそう。さっそく通勤電車で読むための本をアマゾンで注文した。先週までは生活にいっぱいいっぱいで読みたい本も思いつかなかったが、今は勉強したいことがいくつかある。少し余裕ができてきたのかもしれない。

ただ相変わらず会社に行くのは怖い。自分はたいしたことない人間なのに、どうしてここにいるのだろうという気持ちが常にある。

ジェーンスー相談は踊る」というラジオ番組で、転職を繰り返した30代の女性が「仕事が続かなくて自分に自信がない。どうしたら自分に自信が持てるか」という相談をして、それはまさに今の自分の悩みそのものだと思った。ジェーンスーは、「世の中には仕事を物差しにしないところで活躍している人がいっぱいいる」と言った。

自信をもてる部分は、ゆるゆるのちのち見つけていこうと思う。私は生きるために、生活費を稼ぐために、会社に行くのだと思おう。

2016年4月10日日曜日

初島と、ある山奥

熱海港からフェリーで30分の初島へ行った。
海があって緑があって、ハンモックにゆらゆら揺られたり、灯台にのぼったり、海水のお風呂に入ったりした。

帰り道、乗り換えのために新宿駅で降りる。どっと増えた人の数に都会だなあ、と思った。唐突に実家が恋しくなってたまらなかった。


つい先日まで、会社の研修で山奥にいた。帰り道、バスから外を眺めていると、目に入るのは一面に広がる田んぼと、古い一軒家がぽつりぽつりとあるのと、さびれたラブホテルと、廃墟になったボーリング場だった。高層ビル、高層マンションはなく、どこまでも遠くを見渡せた。

ここに私が生まれていたら、何を楽しみに思って生きていただろう。

「私が生まれたところは、田んぼと、さびれたラブホテルしかないような街だった。」
から始まる小説を読んでみたいと思った。