2013年2月21日木曜日

22歳の誓い

19、20歳の頃、私はとてもいやなやつでした。
いつも何かを批判して偉くなったような気になっていました。
何でもできるような気がしていたし、でも現実には何にもできていませんでした。

自分は凡人だ、ということを私はやっと受け入れたのだと思います。
ずっと、無い才能をさがして人と違う部分があるはずだと思いたかったのです。
今思えば、過剰な自意識で自分自身を苦しめていただけでした。

でも自分には何もない、からっぽだということを受け入れた今、だからこそ勉強しないといけないし、人の話をきちんと聞かないといけないということに気がつきました。人や社会に対して常に
ひらいていることが大事なのだ、と。それはきっと楽しいことばかりではなく、なめられたり馬鹿に
されたりすることもあるけれど、でも22年生きた身体はいいことも悪いこともいろんなことを受け入れられるほど強くなったのだと信じています。

限りある人生、したいことをして、会いたい人には会いに行って、謙虚に、凡人なりに精一杯
生きていこうと思います。

22歳イエーイ

成長すること

私は子どもが苦手でした。
彼らはまるで未知の存在で、子どもを前にするとどうしていいかわからず戸惑うばかりでした。

けれどフィリピンに来てたくさんの子どもたちを見て、彼らの存在、無垢さに本当にめろめろになってしまいました。子どもとはこんなに可愛いのか、と。
抱っこされるためのようなふわふわの肌や、黒目がちの大きな目や、思わずくすりと笑ってしまう行動や、豊かな感情表現。それはまさしく彼らが大人に守ってもらわなければならない存在であるがゆえに身につけているものだなと思うのです。

時間が経つにつれ、柔らかく薄い肌も筋肉がつき、風や熱にさらされ厚く堅くなりました。
日々成長する体にバランスが取れず転んでばかりだったのに、いつの間にか転ばなくなり目線の高さも変わらなくなりました。それは守ってもらわなくても一人で生きていける強い身体に成長した証なのだ、と小さな子どもたちから教えられました。

21年間、生かしてくれてありがとうございます。
自分の足で立てるまで支え続けてくれたこと、感謝しています。

2013年2月6日水曜日

映画

テレビで真珠湾攻撃を題材にしたハリウッド映画がやっていて、寮の人たちと一緒に見ていました。アメリカと日本の戦争をアメリカ側から描いているのですが、ジャップジャップ連呼されているのは当たり前ですが見ていてあまり気持ちの良いものではありませんでした。

映画を見ながら、きっと日本人がこれを見たらイヤな気分になるよなと思わずにはいられませんでした。映像の中とはいえ、日本人が蔑まれ、撃たれ、苦しんでいる姿は見ていて悲しくなりました。

映画。邦画、洋画、フランス映画、インド映画..
国民に喜ばれる、国民が好きなものが約2時間に凝縮され、それぞれ特色があります。
「ハリウッド映画はサクセスストーリーが多い」「フランス映画はストーリーが哲学的で難解だ」「日本映画は主人公の死や悲しい結末が多い」などと語られるように。
もちろんそうじゃない作品もたくさんありますが、国別に映画を語るとき私たちは大きくカテゴライズしている気がします。

そして文化や好みに基づいて作られた映画を見て、私たちもまた映画の中から今の文化や好みを知らされているのだと思います。
「国民はこれが好きと言っていますよ。国民はこれに感動していますよ。」と。

冒頭の映画の話に戻りますが、アメリカの人にしてみれば、勇敢に戦う兵士の姿や、友情、恋人との辛い別れ、感動の再会など、涙を誘う物語なのだと思います。同じ国民として兵士の姿を誇らしく思うかもしれない。
そして私が感動の物語として見れず、悲しくなったのも、同じ日本人という共同体として見ていたからです。

約2時間の中で、目に見えない共同体を想起させ、一方ではその共同体を誇りに思わせ、一方では悲しくさせる。映画というものもまた、見えない共同体をつくりだす一因なのだと思います。