小学生の頃ミサンガにハマっていた。
放課後に行く学童で編み方を教えてもらったのだ。外で元気に走り回る子どもではなかったので、室内で黙々と刺繍糸を編み続けるのは絶好の遊びだった。
しまいには学童に置いてあった編み方の本と同じものを母に買ってもらい、家でも作った。
小学4年生のとき、母の友達が何人か家に遊びに来た。そのうちの一人にお金を払うから作って、と言われた。遊びで作っていたものにそう言ってもらえて友達の娘だからと気をつかってもらっていたのだとしても、私は嬉しくてたまらなかった。
自分のミサンガに値段をどうつけていいかもわからず、多分200円ぐらい受け取ったと記憶している。そしてこれが人生で初めて自分でお金を稼いだ経験となった。
数日後、京阪三条駅の路上でミサンガやアクセサリーを売っているのを見かけ、驚いた。
そこには私が作っているのと変わらないものが一本800円で売られていた。値段の意味がどうしても理解できなかった。800円にも関わらず、買っていく人がいた。母にそのミサンガがどうしても欲しいと頼んだ。母は買ってくれた。
そのミサンガはお金について考えるきっかけとなった。
ものの価値は材料費だけではない。商売とは作って売って終わりではないのだ。
800円の中に含まれているのはそのものの材料費だけではないことを知った。
そして商売について、資本金、株券、利益を還元することについて、路上の小さなアクセサリー屋さんを例えに世の中の会社のお金稼ぎの仕組みを母に教えてもらった。
商売をする、お金を稼ぐって面白い事なんだなとぼんやり思った。
ある人と話した。
その人は就職活動をするとき「利益を求めるなんて嫌だ」と思い、公の仕事に就いたそうだ。
「お金のために働くのは嫌だった。自分は社会から必要とされていることをしたい。仕事の価値は社会がつけてくれる。」
公の仕事は立派だ。なければ社会はうまくまわらなくなってしまう。
快適に生活させてもらえることに対して税金を払うのは当然だ。
賢くなければできない仕事だし、私は頭がよくないのできっとなれない。
でも「お金が稼ぎたいんだ!」と大きな声で言うのは全然悪く映らないのに、と思う。
自分の仕事に自分で価値を付ける人もまた私は同じように尊敬する。
あーそろそろ真剣に就職のことを考えないとあかんなあ。
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