明けましておめでとうございます。
さて、新年最初のブログは昨年末に行った鬼怒川秘宝殿の感想を書こうと思う。ここ鬼怒川秘宝殿が2014年12月31日に閉館すると知り、歴史の終わりを見届けるべく大阪から栃木まで行ってきたのだった。人生初の秘宝館。入口の看板からさっそく妖しげだった。もちろん18歳以上でないと入れない。
入館すると出迎えてくれる美人な鬼怒川お竜。
ここでは行為を思わせる半裸の男女の舞が和太鼓のドコドコした音に合わせて後ろのスクリーンに映っていた。きっとこれも神様に捧げる子孫繁栄などを祈った舞なのだと思う。
そしてろう人形のゾーンへ。こちらは「道鏡艶夢暮壱図」というタイトル。生涯を閉じるまで煩悩に苦しんだお坊さん道鏡が表現されている。お経を上げる後ろにあるのは道鏡の欲望の世界だそう。
「道鏡は座る膝が三つ出来。」と説明文に書かれていた通り、お経を上げていると突然「ビョイーン」と音がして三つめの膝が起き上がる、という仕掛けだった。
また「板東武者出征前夜」というタイトルの戦に出る前夜の武士とその妻の場面や、「百花繚乱太閤幻蕾」というタイトルの豊臣秀吉が女性4人を相手にしている場面など等身大のろう人形で迫力たっぷりに作られていた。どれも動きがあったり音声があったりして、上のお坊さん同様、笑かしてるのか真剣なのかよくわからず、コントのようだった。
他にも西洋の性神を展示したスペースや、
「ラブサイエンス」という男女の身体の作りや妊娠のメカニズムなどを保健の教科書のように展示したスペースもあった。
そして最後は、古いポルノ映画が上映されていた。人生初のポルノ映画と周囲にはたくさんの女性客。こんな時一体どんな表情をしていればいいのだろうと非常にドギマギしたが、映画の中でアクロバティックなポーズが披露されるたびに「おおー!」とか「ええー!」と声を上げる女性客に囲まれていると何だかサーカスを見ているような気分になった。
秘宝館を出たあと、私は山崎ナオコーラの小説に出てくる一文を思い出した。
もし神様がベッドを覗くことがあって、誰かがありきたりな動作で自分たちに酔っているのを見たとしても、きっと真剣にやっていることだろうから、笑わないでやってほしい。
人生初めての秘宝館。次から次へと展示される男女二人組が織りなすそれは、無防備で一生懸命で滑稽だと思った。そんな格好わるい営みの末にひとは誕生するのだから人間とはなんて愛おしい存在なのだろうと、私は何だか泣き出したいような気持ちになった。
どんなに格好よくスマートに生きていても、どうしようもなく誰かを好きにならずにはいられなかったり、欲求に振り回されたりする瞬間はきっと誰にでも訪れるのだろう。みんな本能の部分ではどうしようもない格好わるさを抱えている、という大人だけが知る事実をこの秘宝館はこっそり教えてくれる気がした。
哲学者パスカルは「パンセ」の中でこう言った。
「人間の弱さはそれを知っている人たちより、それを知らない人たちにおいてずっとよく現れている。」
この「弱さ」は「格好わるさ」にも言い換えられるのではないかと思う。性的なことに限らず、自分のどうしようもない格好悪さを自覚して引き受けられることはきっと格好いいのだ。
2015年はたくさん恥をかいて、格好わるさの限りを経験して、かっこいい大人に一歩ずつ近づいていきたい。
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