私は、トビタテに採用していただいたのはありがたいと思うものの、自分の計画がふわふわとした具体性のないものであることがずっと心苦しかった。そういった中での事前研修参加であり、しっかりとした自分の言葉で計画内容を話せないことに非常に焦りを感じていた。
まずこの研修では徹底的に聞いて書いて話して、聞いて書いて話して、を繰り返す2日間であった。そうやって自分を見つめる作業の中で軸として浮かび上がってきたものは、「他者への尊敬」と「文章を書くこと」だった。
恥ずかしながら、私は大学で建築を専攻しつつも今まで建築が好きだと胸をはって言えなかった。設計が得意でない自分にいつも負い目を感じていた。今思えば視野が狭いのだが、設計こそが建築の世界の中で最もキラキラ輝くメインステージのように見えていて、私もそこに立てるものなら立ちたかった。デザイナーを名乗れる人になりたかった。
一方で才能溢れる人たちを目の当たりにして、呼吸をするように図面を書いたり模型を作ったりする人がいて、自分にはその才能は持ち合わせていないのだということも嫌というほどわかっていた。けれど認めたくなかった。出来もしない「設計」にみっともなくすがりつきたかった。
研修の中で自分の軸が「他者への尊敬」と「文章を書くこと」だとわかったとき、なんだかとても納得できた。
私は人が好きなのだ。人の生き方に、暮らし方にとても興味があって、それを文章で表現するとき私の心は最も高揚してわくわくするのだと初めて気づいた。9か月前、トビタテに応募するときに「スラムで調査をしたい」と思った動機は、きちんと自分の軸から生まれたものだったとわかってとても腑に落ちた。
「建築を専攻してどうしてフィリピンなの?」「どうしてスラムなの?」という問いに対しても、「私は人の生活に興味があって、日本の外の異なる文化圏の人が、異なる経済圏の人がどういう生き方をしているのか知りたいのです。そして発見したことをあなたや誰かに伝えたいのです」と胸をはって説明できる気がした。
残念ながらゼロから格好いい造形を生み出すオリジナリティは持っていなかったけれど、それとは別の軸がちゃんと自分にはあったのだ、とわかって嬉しかった。
この二日間、自分一人だとしんどくて考えるのを放棄してしまいそうなことを徹底的に考える時間を与えてもらえて本当にありがたいと思う。(当初怪しい自己啓発セミナーだったらどうしようと疑った自分を反省する。)
奨学金という誰かのお金で調査に行く、ということはちょっぴりプレッシャーを感じることではあるけれど、でもそのプレッシャーはきっと、現地で「もうだめだ」と思った時に少しだけ踏ん張れる力になるのかもしれない。軸がはっきりした今、計画をより具体的なものにしてフィリピンでの経験をきちんと自分の血肉にしたいと思う。