二条城で開催されていたアートアクアリウムを見に行ってきた。
唐突だが、2月21日生まれの私は小学校低学年まで自分の星座を水瓶座だと思い込んでいた。「みずがめざ」という華やかな音の響きが気に入っていたし、水瓶は薄水色のガラスでできたキラキラとした壺に透明な水がたっぷり入っているものだと信じて、その想像上の美しさにうっとりとしていた。
あるとき、「水瓶座は2月18日生まれまでで、2月21日生まれは魚座なのだ」ということを人に言われ、とてもショックを受けた。「うおざ」というもっさりした音の響きに加え、その魚も、でっぷり太った真っ黒な鯉のようなものしか頭に浮かばず、なんだか可愛くなくてずっと好きになれなかった。
だが、私は魚の美しさを、艶めかしさを何も知らなかったのだ。アートアクアリウムを見終えたあと、魚の星の元に生まれたことをひとり感謝した。
以下、その時撮った写真。
尾ひれは薄い絹のよう。目はどこかをみているようで、どこも見ていないようにも思える。金魚の顔は、表情がわからない。
こういう言い方は不謹慎かもしれないけれど、水槽の中で泳ぎ続ける魚たちはどこか死を思わせた。
鑑賞用に交配され、愛でられるためだけに生まれた金魚は、美しくライトアップされた水槽の中で泳ぎ続ける。それこそが死に向かうまでの唯一の存在意義であるかのように。
金魚が自らの死期を悟っているかなんて知る由もないけれど、泳ぎ続ける姿は、静かにその時を待っているように思えてしょうがなかった。
それが、ぞっとするほど艶めかしかった。
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