大学生のとき、お世話になっていた先生に頼まれて、講演会で質問する役をやっていたことがある。質疑応答の時間になると、シーンと静まりがちな教室で最初に手を挙げる役だ。一人目が質問すると、次の質問には人が続く。その役割はいつも非常に緊張した。
大学を卒業した今でも、講演や研修の後の質疑応答で、私は必ず手をあげるようになった。一度自分も登壇者の立場を経験し、質問されることのありがたさを痛感したからだ。
大学4回生のとき冒頭と同じ先生に頼まれて、授業で90分間話したことがあった。自分の留学経験について話した。聞いている学生は、私の話が聞きたくて来ている人たちではない。いつもの授業を受けにきた人ばかりだ。
プレゼンは必死で用意したが、結果は散々だったことは言うまでもない。眠る学生、教室から出ていく学生、90分という地獄のように長い時間。そのときの緊張感、孤独感を思い出すと、今でも涙が出そうになる。
当然だが、質疑応答の時間はシーンと静まりかえった。先生に促された学生が1人だけ、質問してくれた。
講演や研修の後の質疑応答で、私は必ず手をあげる。それは、前に立つ者の孤独を勝手に想像してしまうからだ。そして、私はあなたの話を聞いていた、あなたのことを見ていたと表明したくなってしまう。登壇している人にすれば、そんな勝手な想像などいらない、と思われるかもしれない。
そんな今日もいくつかの質問をして、「やる気があるね」と言われた私は心の中でひとり苦笑いする。
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