2017年5月20日土曜日

女っぽさ

何が悲しくて涙が出るのだろう。

昔は目が痛くても頑なにコンタクトをつけていた。地毛が直毛なのに髪を痛めつけてゆるふわパーマをあてていた。清楚に見せたくて白い服ばかり着ていた。どれも、モテたいと思ってやっていたことだ。思い返しても痛々しい。

今は毎日眼鏡をかけて会社にいくし、シャンプーが楽だという理由でショートカットだ。染めないし、パーマもかけない。服は汚れが目立たないグレーや紺色を着ていると落ち着く。

ちやほやされたい、という欲求から年々解放されていく気がする。それは生きるのをとても楽にしてくれている。自分がとても好きな人ひとりに、好かれるといいなと思う。


少し前に、とても女っぽい女の人と出会った。その場の視線を、とりわけ男性の視線を一身に受けているようだった。私はそこで、透明人間の気分を味わっていた。

それからずっと私は彼女のことを考えてしまう。正確には、彼女のようになれない自分について。

彼女の容姿があれば、きっといい気分だろうなとおもった。生きるのが楽だろうなとも思った。そしてそう考える自分が嫌だ。

第一、私が普段悩み苦しむことは、私の容姿や仕草を女らしくしたところで解決するものではないのに。

社会で生きている限り、男性と女性の両方がいる集団生活からは逃れられない。そこで注目を集める人も、集めない人もいる。容姿、仕草だけが人の魅力じゃないこともわかっている。

私は話が面白い人になりたかった。話の引き出しが多い人になりたかった。そういう人が魅力的だと思っている。

モテとかそんなしょうもない物差しに捕らわれない人になりたかった。自分の好きなものをひたすら追い求める人でいたかった。

なぜこんなに、もやもやするのだろう。
こうやって一人で涙が出るのは、一体何の悲しみなのだろう。

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