寝る前の日課である部屋のぞうきんがけを終えた。
好きな色、好きな形の家具に囲まれ、隅々まで掃除が行き届いた部屋にいると本当に心地よい。そして自分の几帳面ぶりは父親似だなあとつくづく思う。毎日落ち込むことばかりだけれど、部屋をきちんとしておくと自分を見失わずにいられる気がする。
2013年11月28日木曜日
2013年11月22日金曜日
2013年11月20日水曜日
ネガティブ貯金
「海外に1年も住んでいたのにまだそんな考え方なんだね」
呆れたような顔をして友人にそう言われた。思わず冷たい汗が出るような気がするぐらい、
どきっとした。その時私は、働くことの不安や心配などネガティブなことを並べ立ててぐちぐち話していたところだった。
海外に行けば良くも悪くも自分の価値観が変わり、広い世界を知ることで小さいことなど吹っ切れるようになるのに、ということを彼女は言いたかったのだろう。
彼女とは生まれた時から22年来の友人だ。元々根暗な私の性格も考え方も全て把握されている。その日は、私がフィリピンから帰国して久しぶりに会おうと、私の下宿に遊びに来ていたのだった。
友人は半年ほど南米に留学していた。元々明るい性格だったが、陽気な国にいたせいか今の彼女はすがすがしいほど悩まない人だ。うじうじと悩みがちな私は、その底抜けな明るさがときにうらやましくも感じた。でも私はきっとそうはなれないだろうとも思った。
彼女が帰ったあとも、言われた言葉がずっと頭を離れなかった。
私は自分をよく考える人間だと思っていた。でも本当は違ったのだ。
不安な点を並べ立てて、それを「そんなことないよ、大丈夫だよ」と言ってもらいたかっただけなのだと気づいた。
私がしていたことは、なぐさめてもらおうとベタベタ甘えていただけだったのだ。
そして思い返してみると、今までもいろんな人に相談するふりをして、無意識のうちに「そんなことないよ、大丈夫だよ」となぐさめてもらおうとしていたことに気が付いた。
猛烈に恥ずかしさがこみ上げ、もうネガティブなことを言うのはやめようと強く思った。
22年間染みついた性格はそう簡単に変えられるものではないだろう。
だから、これからはネガティブなことを言ったら貯金箱に千円入れていこうと思う。私の中のネガティブの芽を一つ一つ取り出して無くしていくように。
そしていつか貯金箱がいっぱいになったら、陽気になった私をどこか遠い国へ連れて行こうと
思う。
呆れたような顔をして友人にそう言われた。思わず冷たい汗が出るような気がするぐらい、
どきっとした。その時私は、働くことの不安や心配などネガティブなことを並べ立ててぐちぐち話していたところだった。
海外に行けば良くも悪くも自分の価値観が変わり、広い世界を知ることで小さいことなど吹っ切れるようになるのに、ということを彼女は言いたかったのだろう。
彼女とは生まれた時から22年来の友人だ。元々根暗な私の性格も考え方も全て把握されている。その日は、私がフィリピンから帰国して久しぶりに会おうと、私の下宿に遊びに来ていたのだった。
友人は半年ほど南米に留学していた。元々明るい性格だったが、陽気な国にいたせいか今の彼女はすがすがしいほど悩まない人だ。うじうじと悩みがちな私は、その底抜けな明るさがときにうらやましくも感じた。でも私はきっとそうはなれないだろうとも思った。
彼女が帰ったあとも、言われた言葉がずっと頭を離れなかった。
私は自分をよく考える人間だと思っていた。でも本当は違ったのだ。
不安な点を並べ立てて、それを「そんなことないよ、大丈夫だよ」と言ってもらいたかっただけなのだと気づいた。
私がしていたことは、なぐさめてもらおうとベタベタ甘えていただけだったのだ。
そして思い返してみると、今までもいろんな人に相談するふりをして、無意識のうちに「そんなことないよ、大丈夫だよ」となぐさめてもらおうとしていたことに気が付いた。
猛烈に恥ずかしさがこみ上げ、もうネガティブなことを言うのはやめようと強く思った。
22年間染みついた性格はそう簡単に変えられるものではないだろう。
だから、これからはネガティブなことを言ったら貯金箱に千円入れていこうと思う。私の中のネガティブの芽を一つ一つ取り出して無くしていくように。
そしていつか貯金箱がいっぱいになったら、陽気になった私をどこか遠い国へ連れて行こうと
思う。
2013年10月30日水曜日
自分の年齢
年齢のことを気にするなんて本当馬鹿馬鹿しい。そう思っていたのに、なぜいつも言葉にしてしまうのだろう。せいぜい2歳ぐらいしか違わないのに、どうして「ごめんね年上で」などと言ってしまうのだろう。年齢なんか気にせず面白いことをやっている人に出会ったり、そしてそういう人になりたいと強く憧れているのに、そこまで振り切れない自分が悲しい。
もともと高校生の頃から童顔だったせいもあって年上に見られたい願望がすごく強かった。山口百恵が好きで、あんな風に年齢に似合わない落ち着きを持った女性になりたいと思っていた。
結局今も私は子どもっぽいなあといつも思ってばかりで、大人になれていない。山口百恵が引退した年齢を超えてしまったことが悲しい。
もう自分の年齢のことをとやかく言うのはやめよう。
もともと高校生の頃から童顔だったせいもあって年上に見られたい願望がすごく強かった。山口百恵が好きで、あんな風に年齢に似合わない落ち着きを持った女性になりたいと思っていた。
結局今も私は子どもっぽいなあといつも思ってばかりで、大人になれていない。山口百恵が引退した年齢を超えてしまったことが悲しい。
もう自分の年齢のことをとやかく言うのはやめよう。
2013年10月29日火曜日
その後
半年ほど書くのをやめていたら、またむくむくと何か書きたい気持ちが湧き上がってきたので、ひっそりこのブログを続けることにしました。
一人暮らしをしていると、本当に自分の時間がたくさんあって、この時間を生かすも無駄にするも自分次第だなーと少し怖くなります。実家にいたときはなんであんなに時間が無かったんだろう。
話は変わって、糸井重里が人間が感じる一番基本となる感情は嬉しさでも、悲しさでもなく寂しさだ、と言ってて、そういやほんまでっかtvの池田先生も同じようなことを言っていたな、とぼんやり思いました。すごく納得しました。そういや今も昔もずっと寂しいと思っているからです。
寂しいって字が何だか寒々しくてあんまり言葉にしたくないけど、でも言う!寂しい!
友達に会ったら楽しいし、デートなんかしたらうきうきするし、実家に帰るとほっとするけど、でも結局最後は自分の力で生きていかないといけないし、それが人生の寂しさなんだろうなと思います。
自分で自分を楽しくする方法をもっと見つけたいな。書くことはもちろん楽しいんだけども。
2013年4月5日金曜日
別れの言葉
1年間、長いようであっという間だったフィリピンでの生活が終わります。
これからおそらく一生記憶に残るであろう濃い1年間でした。
去年の4月15日、一人でフィリピンに着いた日、心細くて泣きながらマクドナルドで晩御飯を食べたことを昨日の出来事のように思い出します。今ではすっかりフィリピンに馴染み、街を歩けば
しょっちゅうフィリピン人に間違えられるようになりました。
1年を通して、変わったこと。それは少し自信がついたことです。これは自分の小ささを知ったことの自信です。この大きな世界では小さい存在だけれど、でも自分が面白いと思うことを面白いと思うやり方ですればいいんだと気づけたことは大きな財産だったなと思います。
大学2回生のとき、自分の人生を自分で何も決断してこなかったことに気づき、でも周りは
ちゃんと自分で選び取っていて、今までそれをしてこなかった自分に毎日後悔していました。
その時は生きているのがしんどいとさえ思っていました。
自分で選んだことを自力で実現させなければ、という切迫感を抱いて私はフィリピンに来ました。
けれど、おおらかなフィリピンの人達とあっけらかんとした暑さのなかで毎日過ごすうちにどんどんいろんなことから開放されていくような実感がありました。楽しいことばかりではありませんでしたが、それでも振り返ってみると面白い日々だったなと思います。
過去は過ぎ去り、未来は未だ来らず。
これからは自分が面白いと思うことにどんどん飛びついて、人生を満たせますように。
最後に、今までこのブログを読んでくださってありがとうございました。
「フィリピン留学日記」はこの投稿を最後に終わります。
それでは、さらばフィリピン!Mabuhay!
2013年3月29日金曜日
お金稼ぎ
小学生の頃ミサンガにハマっていた。
放課後に行く学童で編み方を教えてもらったのだ。外で元気に走り回る子どもではなかったので、室内で黙々と刺繍糸を編み続けるのは絶好の遊びだった。
しまいには学童に置いてあった編み方の本と同じものを母に買ってもらい、家でも作った。
小学4年生のとき、母の友達が何人か家に遊びに来た。そのうちの一人にお金を払うから作って、と言われた。遊びで作っていたものにそう言ってもらえて友達の娘だからと気をつかってもらっていたのだとしても、私は嬉しくてたまらなかった。
自分のミサンガに値段をどうつけていいかもわからず、多分200円ぐらい受け取ったと記憶している。そしてこれが人生で初めて自分でお金を稼いだ経験となった。
数日後、京阪三条駅の路上でミサンガやアクセサリーを売っているのを見かけ、驚いた。
そこには私が作っているのと変わらないものが一本800円で売られていた。値段の意味がどうしても理解できなかった。800円にも関わらず、買っていく人がいた。母にそのミサンガがどうしても欲しいと頼んだ。母は買ってくれた。
そのミサンガはお金について考えるきっかけとなった。
ものの価値は材料費だけではない。商売とは作って売って終わりではないのだ。
800円の中に含まれているのはそのものの材料費だけではないことを知った。
そして商売について、資本金、株券、利益を還元することについて、路上の小さなアクセサリー屋さんを例えに世の中の会社のお金稼ぎの仕組みを母に教えてもらった。
商売をする、お金を稼ぐって面白い事なんだなとぼんやり思った。
ある人と話した。
その人は就職活動をするとき「利益を求めるなんて嫌だ」と思い、公の仕事に就いたそうだ。
「お金のために働くのは嫌だった。自分は社会から必要とされていることをしたい。仕事の価値は社会がつけてくれる。」
公の仕事は立派だ。なければ社会はうまくまわらなくなってしまう。
快適に生活させてもらえることに対して税金を払うのは当然だ。
賢くなければできない仕事だし、私は頭がよくないのできっとなれない。
でも「お金が稼ぎたいんだ!」と大きな声で言うのは全然悪く映らないのに、と思う。
自分の仕事に自分で価値を付ける人もまた私は同じように尊敬する。
あーそろそろ真剣に就職のことを考えないとあかんなあ。
放課後に行く学童で編み方を教えてもらったのだ。外で元気に走り回る子どもではなかったので、室内で黙々と刺繍糸を編み続けるのは絶好の遊びだった。
しまいには学童に置いてあった編み方の本と同じものを母に買ってもらい、家でも作った。
小学4年生のとき、母の友達が何人か家に遊びに来た。そのうちの一人にお金を払うから作って、と言われた。遊びで作っていたものにそう言ってもらえて友達の娘だからと気をつかってもらっていたのだとしても、私は嬉しくてたまらなかった。
自分のミサンガに値段をどうつけていいかもわからず、多分200円ぐらい受け取ったと記憶している。そしてこれが人生で初めて自分でお金を稼いだ経験となった。
数日後、京阪三条駅の路上でミサンガやアクセサリーを売っているのを見かけ、驚いた。
そこには私が作っているのと変わらないものが一本800円で売られていた。値段の意味がどうしても理解できなかった。800円にも関わらず、買っていく人がいた。母にそのミサンガがどうしても欲しいと頼んだ。母は買ってくれた。
そのミサンガはお金について考えるきっかけとなった。
ものの価値は材料費だけではない。商売とは作って売って終わりではないのだ。
800円の中に含まれているのはそのものの材料費だけではないことを知った。
そして商売について、資本金、株券、利益を還元することについて、路上の小さなアクセサリー屋さんを例えに世の中の会社のお金稼ぎの仕組みを母に教えてもらった。
商売をする、お金を稼ぐって面白い事なんだなとぼんやり思った。
ある人と話した。
その人は就職活動をするとき「利益を求めるなんて嫌だ」と思い、公の仕事に就いたそうだ。
「お金のために働くのは嫌だった。自分は社会から必要とされていることをしたい。仕事の価値は社会がつけてくれる。」
公の仕事は立派だ。なければ社会はうまくまわらなくなってしまう。
快適に生活させてもらえることに対して税金を払うのは当然だ。
賢くなければできない仕事だし、私は頭がよくないのできっとなれない。
でも「お金が稼ぎたいんだ!」と大きな声で言うのは全然悪く映らないのに、と思う。
自分の仕事に自分で価値を付ける人もまた私は同じように尊敬する。
あーそろそろ真剣に就職のことを考えないとあかんなあ。
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