人とのコミュニケーションも同じなんじゃないかと思います。自分のことを見せすぎない、相手の領域に近づきすぎない。一定の緊張感を持ちながら、相手との間合いを保つことが重要なんじゃないかと気付きました。
ディベートなど共通のルールがあるときはそのルールの中で自由に振る舞えます。たとえそのルールを窮屈に感じたり合わないと思っても、終わってしまえばそのルールは適用されません。しかしほとんどのコミュニケーションは人によってルールは異なります。またそれは簡単に目に見えず、相手がどう受け止めるか、どう感じるかというのを瞬時に判断するのはとても高度な技術に思えます。自分の感情、例えば慣れ親しみ信頼なども時に相手との間合いを見誤る原因にもなると感じます。
ディベートなど共通のルールがあるときはそのルールの中で自由に振る舞えます。たとえそのルールを窮屈に感じたり合わないと思っても、終わってしまえばそのルールは適用されません。しかしほとんどのコミュニケーションは人によってルールは異なります。またそれは簡単に目に見えず、相手がどう受け止めるか、どう感じるかというのを瞬時に判断するのはとても高度な技術に思えます。自分の感情、例えば慣れ親しみ信頼なども時に相手との間合いを見誤る原因にもなると感じます。
相手は自分とは違うルールを持っているという前提で適度な距離感を保つこと、それが人とのコミュニケーションにおいて最も重要なんじゃないかと思いました。
めっちゃ面白い発想というか、たとえやな。特に、2パラグラフ目はめっちゃ共感。
返信削除ただ、自分の想いというか、考えとしては、だからこそ自分を見せないとダメだし、見せてもらえるように、理解できるようにしたい、と思う。もちろんそこには、「信頼」とか、言葉では言い表せない自分と相手の間にあるものが絶対条件だけど。フィリピンの人(だけに限らず、すべてに当てはまるけど)と関わる時、そういう距離感ってすごく重要だと思う。けど、逆にそれが居心地悪くなることもあると思う。
自明視してるカテゴリー、例えば国籍とか文化とか性格とか、そういうものを疑うこと、自分なりに再構築すること、そして大きなカテゴリーで人を見るんじゃなくて、「○○さん」という一人として見ることが、本当に理解するということなのかなと思う。
"言葉では言い表せない自分と相手の間にあるもの"
削除これってすごく難しいです...。
「コミュニケーション能力」と聞くと話が上手いとか話し手側からの発信する能力の高さだと思っていましたが、本当は「相手との適切な距離感を瞬時に判断できる能力」なんじゃないかと思いました。
まだまだ英語もおぼつかないですが相手をきちんと理解できたと実感できる日が来ることを願って、これからたくさんの人と関わっていきたいと思います。
「能力」とか「力」とか「スキル」とかっていうと、どうしてもそこには高い低いっていう基準があって、それは測ることができるという前提にたっているような気がします。自分はちょっと違うのかなーと思っています。
返信削除人が誰かとコミュニケーションするときに一番大事なのは、個人的な意見だけれども、その「言葉では言い表せない自分と相手の間にあるもの」を自分から積極的に作ったり、壊したり、作り替えたりできること、なのかなと思います。時にそれは分厚い壁だったり、心地いい空間だったりする。たぶんそれは状況によっても違うものだと思う。自分は異文化の人と、ふつう違うことの多いその人たちとの間にどんな「見えないもの」を【作ろうとするのか】と、自分自身で決めることが一番大事なのではないかと思います。
小難しいことばっかり言ってごめんね><小難しいことばっかりだとほかの人たちが書き込みにくくなっちゃうけど。。。でも、ほんとこのブログから自分はいろんなことを学ばせてもらってます!ありがとう!