悲しい気分になる時はいろいろありますが、私個人について何か言われるよりも私の所属するカテゴリーについて言われるほうが悲しくなることに気づきました。
それは例えば日本人であるということや女性であるということ。生まれた時から所属し、21年間受け入れて生きたきたそれらは私が思っている以上に大きなものだったようです。
なぜなら私一人のことじゃない。同じカテゴリーに所属する人は他にもたくさんいます。たとえ言われたのは私一人だとしても、それはまた他の大多数にも向けられたことです。
歴史は複雑で、人の感情はもっと複雑です。簡単に理解なんてできないし、そもそも完全に理解なんてしなくてもいいと思います。自分には理解できない考えを持った人がいることを知っただけでもう十分に思えます。
話は変わりますが、私は人生の豊かさは経験してきた感情の豊かさだと思っています。やり切れない悲しみや理不尽さに出会ったとき、自分はこんな感情を抱くんだと教えてもらったことに感謝し、また一つ自分の人生が豊かになったと思うようにします。
なんかあったかい?たぶん、普通の留学生とか、短期間だけ滞在する日本人とは普通関わらない人たちと関わってるわけやから、その中には必ずしも友好的な人だけがいるとは限らない。日本人について好意的に思っていない人もいるし、そうした自分の所属するカテゴリーを批判されると悲しくなる気持ちも分かるよ。
返信削除前の投稿とあわせて、ほんまに人は何かしらのカテゴリーを作って生きてるんだなって思うよね。自分がどういう存在なのか、示すために何かしらのカテゴリー作って、メンバーシップを高めたり、別のカテゴリーを非難したり。自分自身もそうやって生きてきたわけやけど、だからこそそういうカテゴリーを批判的にみたり、カテゴリーを作り替えたりすることで、新しい関わり方が見えてくるのかもしれない。だって前までは、同じ「メイク、ファッションに興味あるカテゴリー」「アニメ知っているカテゴリー」で同じカテゴリーに属してたフィリピン人や他の国の人だから、その場その場で作り替えることはできるはず。
参考までに、前に、ベネディクト・アンダーソンって人が書いた、「想像の共同体」って本を読んだけど、まさにその経験を今してるんやと思う(ちなみに本の中でホセ・リサールの話も出てきます)。
確かに自分で選んだカテゴリーは自分で作り替えることも難しくないと思いますが、国籍などはもっとダイレクトに自分の存在と結びついているだけに他の同様のカテゴリーを簡単に受け入れるのが難しかったり、自分を守ろうとして批判的になったりするのかなと思いました。
削除私自身日本人としての誇りや愛国心など今まで1ミリも考えことがありませんでしたが、知らないあいだに自分にもそういう日本人としての意識があることに気づいて愕然としました。教えていただいた「想像の共同体」についてはぜひ読んで、ナショナリズムについて知りたいと思います。
日本を離れると本当に今まで気づかなかったものが見えてきてたまに混乱しますが勉強になります。