フィリピンの寮で一人で生活していたとき、よくベッドにぺたんと寝転んで天井を見上げながら「あーあ孤独だ」なんて思った。
そんな状態がしばらく続いたので、同じ学生の女の子2人とルームシェアを始めたときに感じた安心感、連帯感は本当に心地よいものだった。生活を共にするという密な関係にもかかわらず言葉が十分に理解できない、というアンバランスさがかえってゆるやかな結束を作り出し、それはとても健やかな関係であったと思う。
私は団体行動やグループでいることがあまり好きではなく、一人で行動する方が向いているのだと思い込んでいた。けれどこういうゆるやかな結束は一人でいるよりもずっと好きだなあと思う。それは私にとって大きな発見だった。
この前、秒速5センチメートルというアニメを久しぶりに見た。それは恋愛の話で、人との関係の儚さや流離感のようなものが綺麗な映像とともにとてもノスタルジックに描かれていた。3年前に初めて見たときよりも美しく感じた。見終わって、こういう流離感のようなものを恋愛の関係だけじゃなく他人との関係すべてにおいて常に感じていられたらいいなと思った。
ずっと会えるわけじゃない。人との関係は流れ流れて変化していく。私はその流れをせき止めたりせずすいすいと流されていきたい。
人と付き合うとき、その関係は不十分なぐらいがちょうどいいのかもしれない。結束を強めようとしたり、密な関係を築こうとするのはかえって息苦しくならないだろうか。「絆」とか「一致団結」とか、そんなのはしんどい言葉だ。
地域コミュニケーションの希薄化が問題とされている。それは仕方ない、濃い関係を築くなら私だって一人でいるほうがいいと思っていた。
けれど、人との関係ってもっと薄くゆるくてもいいんじゃないかと思う。親しく付き合う、付き合わないといった白黒はっきりした関係ばかりじゃなく、グレーなゆるやかな関係も、健やかで、儚くて、ノスタルジックでいいなあと思うのだ。
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