毎年この時期になると胸がちくりと痛む。
もう、ずいぶん前のことなのに。
高校3年生の時、勉強が足りずに受験に失敗して浪人生活に入った。
勉強しかしない生活の辛さ。それでも予備校で友達もでき、励まし合いながら受験勉強をしていた。
2度目のセンター試験。あの日も寒い日だった。
試験中だけ髪をまとめていたクリップが家に帰ると無くなっていた。きっと試験会場で落としたのだろう。
いつも勉強を始めるとき儀式のように髪を束ねていた、べっこう色の蝶の形のヘアクリップ。それは私を置いて飛んで行ってしまった。見放されたような気分だった。
結局物理で大失敗し、それが足を引っ張って点数は目標点に遠く届かなかった。
絶望しながら受けた2次試験も結果むなしく、私の浪人生活は幕を閉じた。
第2志望の私立大学に入学し、様々な頭の良さを持った人たちに出会う。論理的であること、頭の回転が速いこと、デザインセンスが優れていること。そうした頭の良さは偏差値では測れない。それまで頭の良さを測るものさしが偏差値だけだった私には衝撃的だった。世の中にはなんて賢い人たちがたくさんいるんだろうとわくわくした。
もう受験に失敗したことなどにくよくよせず、前を向いて進んでいける。そう思っていた。
けれど4年たった今でも、センター試験のこの日、新聞を開いて解答が載っているのを見るとうっすらと涙が出る。
もっと頑張れたかもしれない、どうしてもっと必死に勉強しなかったのだ。そう自分を責める声が聞こえてくる。そしてくだらない、と頭を振ってそんな声を掻き消そうとする。
韓国でも日本のセンター試験同様の試験がある、と韓国人の友達に聞いたことがある。その日は騒音をたてないためにヘリも飛行機もストップするそうだ。何もそこまでしなくても、と思ったら彼女に「だって人生がかかっているからね」と言われた。
18歳の私は確かにその短い人生をかけて受験に挑んでいた。そしてあえなく玉砕した。
過去を悔やむのは格好悪くて嫌いだ。振り向いている場合ではなく、今考えるべきことはたくさんある。けれど、このセンター試験の日だけは、この先も18歳の私に戻り、悔しさを、悲しさを、後悔を思い出すのだろう。
そうやって振り返ることは、また人生をゆっくり明日へと向かわせる原動力となるのだから。
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