2014年11月29日土曜日

世界旅行したければ姫路に行けばいいじゃない!太陽公園が素晴らしかった

最近1日中スラム調査のことを考えていて、でも答えが出ずに気が滅入りそうなので先々週に行ってとても楽しかった場所について書こうと思う。


さて、ずらりと並ぶ兵馬俑。ここは中国の西安...ではなく兵庫県の姫路だ。どうやら姫路にある太陽公園が凄まじいらしいと噂に聞いて行ってきた。


田んぼの横を歩いていると見えてきた白いお城。


まずはフランスの凱旋門が登場。


続いて韓国のトルハルバンという石像。
ここからは各国の有名なレプリカがずらりと並ぶ。特に面白かったものだけ写真に撮ったので実際はもっとたくさん展示物がある。


ちょっと目が怖いイースター島のモアイ像。


ペルーのマチュピチュ。


メキシコの石像。ナイスおしり!


小便小僧がいっぱい。いくらなんでもこれは多すぎるだろう!


もちろん自由の女神も。身長、私と同じぐらい。


紅葉をバックにマーライオンも。


どこの国のか忘れてしまったけど、セクシー石像。


大阪港にもいるデンマークの人魚姫。


メキシコの巨石人頭。「千と千尋の神隠し」にこんなの出てくる!


そして圧巻の兵馬俑!思わず立ちすくんでしまうほど、同じものがずらりと連続して並んだときの迫力は凄まじかった。


続いて万里の長城。ここにも兵馬俑がずらり。


実際に中国で万里の長城を歩いた友達によると、本場には兵馬俑は置いていないそうだ。きっと作りすぎて余ったのだろう。この万里の長城の終着点は展望台になっていたが、最後はびっくりするぐらいの急斜面だった。スキーが出来そうなぐらい!


そして天安門広場。


その近くにはピラミッドとスフィンクスが!
この日は日曜だったこともあり、ゼッケンをつけたちびっこたちとサングラスにスーツ姿の成人男性が逃走中ごっこをしていた。確かに絶好の逃走中スポットだ。


最後に、ドイツのノイスヴァンシュタイン城のレプリカである白いお城へ。



外観は本物のお城のよう。


お城の中はトリックアート展だった。

一つ残念だったのは、お城の中まではお城が再現されていなかったこと。中のトリックアート展ではノリノリで写真を撮っていたが、やはり外の華やかさに比べ中はあまりにも勿体無い使われ方だったと思う。舞踏会が開かれそうなシャンデリアのある広間があったりとか、バルコニーにも出られるようになっていたらもっと面白いのに!

だが、そんなことを差し引いても太陽公園はやはり凄まじく、次から次へと各国のレプリカが展示される様子はカオスそのもので、「頭が混乱する!」ばっかり言っていた気がする。

カップルで訪れている人も何人かいて、確かにここはデートスポットとしてもとてもいい場所だと思った。この混沌の世界を一緒に楽しめる相手とはきっと人生という混沌も共に楽しむことができる相手に違いない、と言うのは大げさか。

太陽公園がすごいのはこれだけのレプリカを展示しておきながら、未完成であるということだ。現在十数か国の展示があるが、これに加え、スペインの闘牛、イタリアのピサの斜塔、イギリスのストーンサークルが現在着工中。そして100か国以上の未着工分は平成26年~40年完成見込み、とパンフレットに書かれている。今から14年後には全世界193か国制覇するそうだ。凄まじい!

パンフレットに書かれた正式名称は「障害者就労施設太陽公園」で、受付やレストランなど障害を持つ人の雇用の場であるようだった。もしかしたらそういった海外に行きたくても行けない人のために、世界各国のレプリカが作られたのかもしれない。

4か国しか行ったことのない私だが、本当に1日で一通り世界を知ったような気分になった。特に中国のゾーンに関しては素晴らしく作り込まれており、中国行ってきたんじゃないかと錯覚するほどであった。

日本で姫路にしかないカオスで頭がくらくらする空間。素晴らしかった!

2014年11月27日木曜日

元ブータン王国地方行政プロジェクト専門家津川智明さんの講演感想と完全に止まっている自分


「ブータン王国のボランティア政策の変遷」というタイトルの津川智明さんの講演を聞いた。

ご自身もアフリカのマラウイでの青年海外協力隊を経験されており、ブータンでは協力隊員の調整員という仕事をされていたため、今回の講演の中でも現在の青年海外協力隊の活動事情についてお話された。本当に多くの人がボランティアをしに海外に出て行き、仕事を定年退職した人もシニアボランティアとして活動しに行っている現実にただただ驚いた。

問題があり現地から要請され、そして派遣されて2年間活動する。その経験の感想は、「何かをしてあげたのではなく、自分がたくさん学ばされ成長した」というのが多いことが印象的だった。

Yゆるす、Aあたえる、Kかんしゃする

なお、講演後にスマホで津川さんのお名前を検索して見つかった津川さんの半生を特集した記事がとても面白かったので、こういう個人的なお話ももう少しお聞きしたかったなあと思う。

さて、話は変わるが、来年2月から行くフィリピンでのスラム調査のことである。具体的な内容を決めなければいけないのに、まだ全然決められていない。色んな先生にアドバイスばかりもらいに行って、言葉は悪いが「アドバイスもらいビッチ」みたいになっている。トビタテ留学JAPANという国の奨学金プログラムを利用して行くことの責任もあり、何も決まらない現実に焦りばかりがつのる。

トビタテに応募したときは、頭の中にある大きなイメージをプレゼンテーションしただけだったので、自分の留学経験などを照らし合わせて採用してもらったのだと思うが、さて実際に、道具は何を使って、対象地はどこで、誰に、何を、どうやって調査するのか、というように具体的に計画を作る段階で先に進めないでいる。ある先生には「そもそも調査なんて一人でやるものではない」と言われ、完全に途方に暮れている。

本当に何とかしなければいけないのだけれど、どうしたらいいのかわからなくてしんどい。

2014年11月25日火曜日

[映画感想]ブルース・ブラザーズ 踊らなきゃいけないときもある

ブルース・ブラザース [DVD]

この映画は踊りながら見る映画だ。

唐突だが、私は踊るのが苦手だ。数年前に人に連れられて初めてクラブという場所に行った時、薄暗く、派手な照明がぎらぎらと光り、大音量で音楽が響く空間を全然楽しいと思えなかった。踊る人たちを横目にわずかに音楽に合わせて肩を揺らすのが精一杯で、そこには恥ずかしさしかなかった。

いつからだろう。音楽に合わせて踊ることを恥ずかしく思うようになったのは。おそらく小学校低学年ぐらいまでは平気だった。けれど成長に伴い社会性という鎧を身につけ、恥ずかしさが先行するようになった。それは正常な成長の過程であったし、現在の私が街で流れてくる曲に合わせていきなり踊り出したら、たちまちおかしな人とみなされてしまうだろう。

けれど、社会性という鎧は時に自分を不自由にさせる。大人になっても思わず音楽に合わせて身体が動きだす瞬間はあってもいいのに、それを無いものとして抑えつける。それをやはりどこかで解放したくなる。

この映画では、歌がたくさん出てくる。そしてそれに合わせて劇中の大人たちが踊る踊る。その楽しさが画面からこれでもかと伝わってくる。そうだ、音楽に合わせ、リズムをとって、身体が揺れて、そして魂が震えるのがロックなんだよな、と思えてくる。

特に、最初の教会のシーンは思わず画面の中に入って行きたいと思うほど、はしゃいでいる大人たちを見るのが楽しい。そして、劇中アレサ・フランクリンの歌う「Think」(GUのCM曲)に合わせて一緒に踊ったときは気分が高揚し、それはまさしくロックな瞬間であった。

そうやって発散して、私はまた社会性という鎧でがちっと身を固めるのだ。

2014年11月12日水曜日

クリエイティビティを育むには人に見せられない世界をもつことではないかと鳥獣戯画を見て思った


京都国立博物館に現在展示中の鳥獣戯画を見に行ってきた。

中学生の時に美術の教科書で見た、ひっくり返るウサギや踊るカエルが生き生きとした線で描かれており、彼らは今にも動き出しそうだった。

この展示を見に行く前、日曜美術館という番組でこの絵の特集があった。もともと1枚の紙の表裏に描かれていたこの絵は、私たちがチラシの裏に落書きするような感覚で描かれていたのかもしれないそうだ。作者といわれる鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)が、きっと自分一人で楽しむためだけに描いていたのだろう、と番組の中で語られていた。

たしかに鳥獣戯画は生き生きとしてとても面白い絵だった。この面白さはどこから来たのか。私は、絵を見ながら、以前アメトークという番組でキングコングの西野が話していたエピソードをふと思い出した。彼はお笑い芸人ながらも絵本作家としてデビューするほど絵が上手い。その絵はボールペンで実に緻密に描かれ、ちょっと見る人を圧倒させるような絵だ。西野が、絵が上手くなった理由を尋ねられ、こう話した。

中学生の時の自分は、友達にクールな奴と思われたくていつも格好つけていた。だから性に興味を持ち始めたとき、そういう本をどうしても見たかったが、格好つけていた自分は友達に貸してと頼めなかった。そこで仕方なく自分で、女性の裸体などを描き始めたそうだ。一度描き始めた中学生男子の性への好奇心は止まらなかった。その好奇心が彼にどんどん絵を描かせ、その結果、類まれなる画力を手に入れたそうだ。

中学生男子の性欲に突き動かされたクリエイティビティと鳥獣戯画を一緒にするのは、作者の鳥羽僧正に申し訳ないが、両者の共通点は、自分の世界の内部で誰にも見せるつもりがなかったものが、結果的にすごい画力、価値のある絵を生み出した、ということではないだろうか。

下半身を丸出しにして男たちが踊る絵を見ながら、鳥羽僧正もまた、いつもは真面目に僧として仏教の教えを人々に説きながらも、実は下ネタが大好きだったのかもしれない、と思った。でも僧である自分はそんなこと人に言えない。人に言えないからこそ想像力を思いっきり膨らませ、自分の世界をどんどん肥大させていったのだろう。そうやって誰にも見せるつもりなく、動物たちを人間のように躍らせ走らせ、架空の動物たちは空を舞い、男たちは全裸で踊る絵を一人、大笑いしながら描いていたのかもしれない。それが800年経った今、何百人もが列をなして一目見ようとやって来るとは、なんて面白いことだろう。誰にも見せるつもりのなかった自分の世界が公開され、鳥羽僧正は今、赤面しているだろうか。

大学の後、急いで大阪から京都へ行き、130分並んでほんの一瞬、鳥獣戯画を見た感想。それはクリエイティブな人間になるには、自分の中に人に言えない無限の宇宙を持つことだ、ということであった。

さて、私はどうやって自分の宇宙を膨らませることができるだろうか。

2014年11月10日月曜日

生活することは戦いではなかった

久しぶりに実家に帰ると、父がクリームシチューを作っていた。気持ちよく晴れた秋の土曜日の昼下がり、シチューの甘い匂いをかぎながらぼんやりと机の上の新聞を読んだ。この平和で平凡な時間に、何だかめまいがするかと思った。

一人暮らしをしていると時々思う。生きることは戦いだ、と。溜まった洗濯物を洗って干すこと、食器を綺麗にすること、ちらかった部屋を片づけること、溜まったごみを捨てること。家事とはマイナスをゼロにしていく作業だ。その作業を毎日、営々と繰り返すのだ。

それは下っていくエスカレーターに乗りながらも、抗って上に行こうとするようなものだと感じていた。生活するとはなんて途方もないのだろう、そう思っていた。

実家に帰ったときに感じた幸福感。それは、私はあまりにも無意識で気が付かなかったけれど、確かに父と母と祖母がきちんと生活を営んでいたのだという事実を思い知らされたからであった。毎日手作りのごはんを食べさせてもらうこと。服を綺麗に洗ってもらうこと。片付いた家に帰って来られること。家族の中にいた時にはそんなことに無自覚で、わがままな私は時に彼らを疎ましく思ったりもした。

けれど、ずっと家の中は、どこまでもひたひたと幸せで満たされていたのだった。その事実に何だか頭がくらくらし、生活することは楽ではないけれど、戦いではないのかもしれないな、と少し思った。

2014年11月8日土曜日

書くどー!

8月31日に夏休みの宿題をまとめて一気にやるタイプだった私は、最近も変わらず締切間際に焦る日々であったが、やっと色んなことから解放されたためブログを再開しようと思う。