2014年11月12日水曜日
クリエイティビティを育むには人に見せられない世界をもつことではないかと鳥獣戯画を見て思った
京都国立博物館に現在展示中の鳥獣戯画を見に行ってきた。
中学生の時に美術の教科書で見た、ひっくり返るウサギや踊るカエルが生き生きとした線で描かれており、彼らは今にも動き出しそうだった。
この展示を見に行く前、日曜美術館という番組でこの絵の特集があった。もともと1枚の紙の表裏に描かれていたこの絵は、私たちがチラシの裏に落書きするような感覚で描かれていたのかもしれないそうだ。作者といわれる鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)が、きっと自分一人で楽しむためだけに描いていたのだろう、と番組の中で語られていた。
たしかに鳥獣戯画は生き生きとしてとても面白い絵だった。この面白さはどこから来たのか。私は、絵を見ながら、以前アメトークという番組でキングコングの西野が話していたエピソードをふと思い出した。彼はお笑い芸人ながらも絵本作家としてデビューするほど絵が上手い。その絵はボールペンで実に緻密に描かれ、ちょっと見る人を圧倒させるような絵だ。西野が、絵が上手くなった理由を尋ねられ、こう話した。
中学生の時の自分は、友達にクールな奴と思われたくていつも格好つけていた。だから性に興味を持ち始めたとき、そういう本をどうしても見たかったが、格好つけていた自分は友達に貸してと頼めなかった。そこで仕方なく自分で、女性の裸体などを描き始めたそうだ。一度描き始めた中学生男子の性への好奇心は止まらなかった。その好奇心が彼にどんどん絵を描かせ、その結果、類まれなる画力を手に入れたそうだ。
中学生男子の性欲に突き動かされたクリエイティビティと鳥獣戯画を一緒にするのは、作者の鳥羽僧正に申し訳ないが、両者の共通点は、自分の世界の内部で誰にも見せるつもりがなかったものが、結果的にすごい画力、価値のある絵を生み出した、ということではないだろうか。
下半身を丸出しにして男たちが踊る絵を見ながら、鳥羽僧正もまた、いつもは真面目に僧として仏教の教えを人々に説きながらも、実は下ネタが大好きだったのかもしれない、と思った。でも僧である自分はそんなこと人に言えない。人に言えないからこそ想像力を思いっきり膨らませ、自分の世界をどんどん肥大させていったのだろう。そうやって誰にも見せるつもりなく、動物たちを人間のように躍らせ走らせ、架空の動物たちは空を舞い、男たちは全裸で踊る絵を一人、大笑いしながら描いていたのかもしれない。それが800年経った今、何百人もが列をなして一目見ようとやって来るとは、なんて面白いことだろう。誰にも見せるつもりのなかった自分の世界が公開され、鳥羽僧正は今、赤面しているだろうか。
大学の後、急いで大阪から京都へ行き、130分並んでほんの一瞬、鳥獣戯画を見た感想。それはクリエイティブな人間になるには、自分の中に人に言えない無限の宇宙を持つことだ、ということであった。
さて、私はどうやって自分の宇宙を膨らませることができるだろうか。
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