先日、留学経験のある大学生として自分の体験談をインタビューされる機会があった。生い立ちや小学生時代、思春期、大学時代のことについてたくさん質問され、答えた。
ありがとうございます、もう終わりにしましょう、と言われたとき2時間が経っていた。驚いた。私はまだほんの30分ほどしか経っていないような気分だったからだ。
帰り道、わたしはほくほくとした気持ちよさに包まれていた。自分語りをすることってこんなに気持ちいいのか、自分の話を聞いてもらうってこんなに嬉しいのか、とちょっとびっくりしてしまった。それから2日間ぐらいまだふわふわとした気分に包まれており、この気持ちよさは少し危険だと思った。もっともっと、と求めてしまいそうな、ドラッグのような効果があるとさえ思った。
少し話は変わるが、前に東京を訪れた時、渋谷駅前でマック赤坂を見かけた。ポスターでよく見ていた人が、スマイル党ののぼりとともに、ピカピカ光る猫耳型のカチューシャをつけていた。その姿を見て、私は、マック赤坂が国政選挙や地方選挙に出馬し続ける理由が少しわかる気がした。
本当に勝手な想像だけど、この人は、大金を払って出馬して、自分の話をみんなに聞いてもらう、という酔狂な遊びをしているように思えて仕方がなかった。
可哀想な人だとは思わない。だけど、この人もまた、自分語りの気持ちよさに囚われてしまっているのだろうか、という考えが時々ふと心の中に湧く。そして自分はどうか、囚われていないか、と問うてみたくなるのだ。
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