2015年7月24日金曜日

どうしてバカにしないということを異常に恐れるのか

前に書いたコミュニケーションをとる上で気を付けることって一体何なの、教えてを読み返して、やっぱりこんなの変だよなと思った。私が人をバカにする言い方を絶対しないでおこうと気を付けることは、すなわち、人を絶対に怒らせたくない、ということだ。  ではなぜ私は人を怒らせることを異常に恐がるのだろうか。

中国人の男の子が私の態度にすごく怒った時、私はとても怖かった。親に怒られる、先生に怒られる、という上下関係があるものではなく、対等な怒りだった。そのとき私はただ縮こまることしかできず、堂々と反論する強さを持たなかった。

小心者という気性は今も変わらない。もしまた誰かを怒らせたとき、私はきっと縮こまることしかできないだろう。だから人に対して、「丁寧な言い方をするから、どうか私に怒らないでね。」と無言のメッセージを発しているのだ。

そうしてしまう弱さは、やはり自分のアイデンティティがふらふらしているからではないか、と思う。自分に確固とした自信が持てない。私は親のすねかじり大学生で、自分がひどく子どもっぽい存在に思えてしょうがなくなる瞬間がよくある。一方で、同い年で働いている友人たちは社会から役割を与えられ、精神的にも経済的にも自立している(ように見える)。

卑屈になんかなりたくないのに。

今日は、まわりがみんな偉く見える日。花でも買って、ひとりで楽しもう。

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