2015年10月21日水曜日

仮面の使い分け

「お姉さん、これからどこ行くのー?」

電車を待っていると、50代ほどの男性に話かけられた。
ぷんと漂うお酒の匂い。話しかけてきた人を含めた男性3人組だった。

スーツ姿の彼らは、出張だったのだろう。これから愛知県まで新幹線で帰るのだと言った。
50代ほどの男性1人、30代ほどの男性1人、20代ほどの男性1人。部長、中堅、新人といったところだろうか。

話しかける女性は誰でも良かったのだろう。たまたま私が彼らの前に立っていただけのことだ。いやな絡まれ方をしてしまったと思った。すぐにその場を立ち去ればよかったのだが、タイミングよくやって来た電車に彼らと一緒に乗り込む形になった。

「大学生?」
「彼氏いるの?」
「今、何の帰り?」

質問にうやむやに答えながら、30代の中堅がスマホを取り出し、ビデオを撮影しているのが目に入った。きっと酔っぱらって女の子に絡む上司の姿を、次の飲み会なんかで見せて笑いのネタにするのかもしれない。

「部長、この前こんなことしてましたよー!笑」
「えー酔ってて全然覚えてないなあ。笑」

他の社員は言う。

「部長、やらかしましたねー!笑」
「おい、やめろよー!笑」

結局私はその場を逃げずに、彼らが降りるまで会話に応じた。
ビデオに対しては笑顔も見せた。

想像だけど、彼らは大きな案件を終えて、打ち上げをしたのだろう。
酔いがまわった状態で帰る途中、前に女を見つけた。

部長が、ちょっとはめを外したところを見せようと声をかけた。
中堅は、たしなめながらもその様子を面白がってビデオに撮った。
新人は、部長を持ち上げながらおおげさに笑ったりリアクションした。

私は、3人のコミュニケーションを成立させるためだけの存在だった。

3人は、それぞれの役割を、それぞれが果たしていた。綺麗な上下関係、見事なフォーメーションというか、役割分担ぶりに、私の役割は彼らの役割分担を壊さないことだ、と思った。

部長には、もしかしたら私と同じぐらいの年齢の娘がいるのかもしれない。でも娘の前では、名前も知らない女子大生に絡む姿は見せないだろう。中堅にも、妻や恋人、家族が待っているかもしれない。だけど家に帰って、部長のナンパをビデオに撮ったことは、きっと話さない。年が近いであろう新人は、私と同い年の恋人を持つのかもしれない。彼の恋人が50代酔っ払いに絡まれたら、彼はどう思うだろう。

家に帰ると、みんないいお父さん、いい夫、いい彼氏、いい息子であるのだろう。もしかしたら、本来のキャラクターとは全く違うのに、会社という縛りの中で、また別の役割を求められているのかもしれない。

いつもは真面目だけど、一仕事終えてちょっとはめを外す部長。
部長をたしなめながらも、いつも見せない部長の姿を面白がる中堅。
部長を持ち上げ、おおげさにリアクションをとる新人。

彼らの降り際に、最後に降りた新人がこちらを見て、小さく「すみません」と苦笑いした。
よかった。私は彼らの役割分担を邪魔しなかった、と思った。

彼らが降りた後、会社という組織で生きていく術をまざまざと見せつけられた気がして、なんだか打ちのめされた。

本来のキャラクターではない役割を自分が演じて、苦しくなる人とならない人がいるのだなと思った。そして私は、苦しむ側だ。

例えば、自分が一番年下の飲み会なんかで、下世話な話題になった時に自分も場にふさわしい振る舞いをしなければと思う。

そうして、興味のない、自分が全く知りたいと思ってもいないことを質問したりして、「お!聞くねえ!」とか「攻めるねえ!」と一瞬場が盛り上がると、ほっと安心している自分がいる。
よかった。空気を壊さなかった、と。

でもそのあと、無性に苦しくなる。次の日、何もする気が起きなくて、数日ほど鉛を腹に抱えてるような気分の沈みを感じる。自分の持つ人としての品のようなものを損なった気がして、身をすり減らした気持ちになる。

もちろん、飲み会での振る舞いなんて他の人にはすぐに忘れられてしまうだろう。何事もなかったかのように、また普段通りの生活に戻るのだ。だけど私は、その時の自分の振る舞いがずっとしつこく頭に残る。まだ私は上手に、別のキャラクターの仮面を付け替えられない。

冒頭のナンパの話に戻る。

もし私が男性で新人の立場だったら、部長に調子よく付き合った翌日、きっと鉛を抱えて寝込んでしまうだろうなと思った。そんなキャラクターが、自分には無いからだ。でも、彼はきっと寝込まない。次の日も平然とした顔で、部長も、中堅も、新人も仕事をするのだろう。

私も、色んな人格をくるくる使い分けても、苦しくならない自分でいたいのに。

彼らを思い出して、仮面の付け替えが上手く出来ることが、会社という組織の中で行きていくために必要な振る舞いに思えて仕方なかった。彼らの役割分担は、見事だった。私を介してコミュニケーションをとられたことには腹が立ってしょうがなかったけど。

いずれ私も、うまく仮面が付け替えられるようになるのだろうか。それとも苦しくならない仮面があるのなら、私は欲しい。それは、鈍感力と呼ぶのかもしれないけれど。

2015年10月15日木曜日

夜な夜なアクセサリー




洋服を衣替えしたので、アクセサリーも秋冬用に新しく作った。マフラーやセーターにつけるブローチと、伸びてきた髪を結ぶヘアゴム、秋っぽい色のピアス。


この間、少し大きなステージで発表する機会があった。スーツに近い服を着て、なんとなくふざけて見えたら嫌だなあと思ったのでアクセサリーは何もつけなかった。

同じ会場に、デザイナーの方がいた。50代ぐらいだろうか。黒の変形したワンピースにショートブーツ、長い黒髪を後ろに垂らして黒いターバンをつけていた。そして耳には銀色の大きなフープピアス。その人の肌の色と、服の黒、ピアスの銀色のバランスが美しくて、圧倒的に格好良かった。

自分の発表を終えて、やっぱり小さなピアスでもつければよかったと後悔した。

女性が綺麗に装ってさらにきらっとアクセサリーを付けていると、「私はこの場を盛り上げ、華やかにしようと思っています」という意思表明に見える気がした。そういった礼儀を示すものとして、そして自分の人となりを表現するものとして、アクセサリーは服よりもパワーを持つと思う。だって本来は全く必要じゃないものを、あえて身に着けているのだから。

毎日きちんと服を着て、きらきらを身に着けよう。
私はちゃんと生活を楽しんでいます、と表明するために。

2015年10月8日木曜日

無駄にストイック

毎日、泳ぎまくっている。
大学を19時50分に出て、1時間300円の市民プールまで自転車をとばす。20時ちょうどにプールに着き、ちょうど1000メートル泳ぎ終わると、家に帰る。

3日前からは早朝のランニングも始めた。スポーツジャージをパジャマにして眠り、6時に起きると5分後には外へ出る。ゆっくり30分近所を走って、家に帰る。

1週間前からは、1日3食、食べるのをやめた。朝ごはんと15時頃と2食のみ。夜になるとお腹が減るが、泳ぐと空腹が紛れることがわかった。

座禅も始めたし、なんだか修行僧のようにストイックな生活を送っている。身体を酷使しまくっている。

理由は明らかで、やるべき目の前の課題と向き合いたくないからだ。ブログを書くこともまた、逃避の一種なのかもしれない。

逃げ出したいというエネルギーを、今は身体を酷使することにばかり変換している。
行きつく先はいったい何なんだろう。

いつもはとても怠惰な人間なのに。ほんとうに僧にでもなりそうな勢いである。

2015年10月7日水曜日

座禅生活

人生で初めて座禅を経験したのは、中学1年生の時だった。

入学して2度目の遠足。行き先は京都。
男女混合5人の班になり、和菓子づくりや華道、茶道といったいかにも京都っぽいプログラムの中から、第一希望、第二希望、第三希望を自由に選べるというものだった。だが私にとってはどれも退屈そうで、あまり乗り気ではなかった。

中心的な男の子と女の子が和菓子作りでしょ、と言うとすぐに班の総意となった。私は書記係となって、提出用紙に和菓子作りと書く。第二希望は茶道がいいとなったんだか、、まあとにかく文化体験よりもお菓子が食べたいという中学生らしい選択になったと思う。

体験プログラムの一覧表に、私はひときわ気になるものを見つけた。
お寺での座禅体験だ。

どうしても興味が惹かれて、でも提案するのもなんだか恥ずかしい。すっかり和菓子づくりをするもんだ、という雰囲気になっていた班の人たちに、今さら何も言い出せなかった。

行き先を話し合う空気はとっくに無くなって、それぞれがおしゃべりに興じていた。
第三希望の空欄には誰も気を止めていない。私はそこにこっそり、座禅と書いた。

後日、班ごとの行き先が発表された。はたして私たちの班は...座禅体験だった。
決まったものは今更変えられず、なんだか申し訳ないなと思いながらも心の中では小躍りしたい気分だった。

迎えた遠足当日、一学年200人ぐらいいるが、第三希望でさえ座禅を書いた班は一組もいないらしかった。小雨降りしきる中、5人でお寺に向かう。誰も一言も話さない状況に、申し訳なさがつのった。

お寺に着くと広い畳のお堂に通され、お坊さんが座禅の組み方について説明を始めた。
そして、ひっそりと始まった。

私はすぐに後悔した。途方もなく退屈なのだ。
動き出したくて仕方ない。体が窮屈。背中がかゆいような気がする。髪の毛が首にかかって気持ち悪い。それでも30分間耐えなければならない。時計も無い。地獄かと思った。

しばらくすると、視線の先に一匹の蜘蛛が現れた。一瞬、緊張が走る。心の中で、来ないでと頼む。蜘蛛はじーっと動かなかった。やがてどこかへ行った。怖がらせないでくれてありがとうと、つぶやいた。

そしてだんだん、私はぼーっとすることに集中し始める。頭の中が溶けていくような感覚があった。体がふわふわと揺れている気がした。雨は降り続けている。少し肌寒い風に、秋を感じた。

世界には今、5人の中学生と一人のお坊さんしかいなかった。毎日過ごしている教室は、どこか遠い場所にあった。

目はどこを見ているのか、手はどう置いているのか、感覚がなくなっていく。自分は何をしているのか、ここはどこなのか、わたしという存在が薄れていく気がした。それはとても不思議な、幸福な感覚だった。死ぬなら、こうやって静かに世界から消えていきたいと思った。

座禅は、唐突に終わった。お寺を出ると、私は身体の中にふわふわとした気持ちよさが残っているのを感じた。

これが、人生で初めての座禅体験である。よほど強烈な感覚であったらしく、今でも思い出すとあの時の多幸感が身体の中に流れてきそうだ。

そして最近、私はまた一人で座禅をしている。毎朝、5分だけ。

外の音がうるさいほど耳に入る。鳥の鳴き方の種類が一つではないことがわかる。自分の着ている衣服の重みを感じる。

ほんの思いつきで座禅を始めたが、ほんとはどこかで、中学1年生の座禅体験をもう一度味わいたいと思っている。あの気持ちよさはなんだったんだろう。記憶の中の感覚は、もやがかかったように曖昧で、実体がない。

それでも、見えない幻を追いかけて、今日も私は目を閉じる。

2015年10月3日土曜日

名前の言霊

「君の名前の漢字、あんまり見ないけど、どういう意味なの?」

昔、バイト先の社員さんにそう尋ねられた。
かつて親に教えてもらったように、「人のために香りをふりまく、という意味です。」と答えた。
50代半ばほどの社員さんは、「すごくボランティア精神あふれる名前だね」と笑った。

ボランティア精神て。なんだよそれ。

私には、憧れている人たちがいる。「名は体を表す」を体現している人だ。
時々名前と人となりがぴったり一致している!という場面に出会ったとき、私はとても興奮する。

通っていたバレエ教室で圧倒的に上手だった先輩が、舞さんという名前だと知った時、もう私は何もかなわないと思った。かつてドラムを習っていた先生の息子は、鼓太郎くんといった。
藤川球児なんてプロ野球選手になって成功してすごい、フェンシングの選手にでもなってたらどうするのだろうと思う。

その人の職業や趣味との一致以外にも、例えば、「健太くん」は心身ともに健康でがっしりした体型をもつであろうし、「育美ちゃん」はすこやかな美人に違いない。「瞳ちゃん」は、透き通った白目とくりくりとした黒目を持っていて、きっと眼鏡もいらないほど視力がいいだろう。

というのは勝手な想像だけど、私は名と体が一致しているように見える人が羨ましくて、出来ることなら私もそう思われたかった。

「すごくボランティア精神あふれる名前だね」

そう言われたとき、私の名が体を表すためには、他人のために自分を捧げ続けなければならないのか、と思った。
他人の幸福に捧げられる運命である私の人生...。
やだ!もっと主体的に生きたい!

というのは大げさだけど、名と体が一致するには程遠いなあ、とそのとき思った。

そういえば、高校生のとき交換留学で我が家に滞在した女の子は、ローレンという名前だった。その名前にはどんな意味があるの、と聞くと、自分の叔母さんがローレンだからだ、と言われた。「両親の願い、みたいなのはないの?」と聞くと、彼女は「そんなの知らない。」と言った。

こういう人になってほしい、という願いを込めて名前はつけられるものだ、と思っていたから、意味をこめない文化もあるのだと、驚いた。

結局、名前に恥じないように今、生きられているのかは、もうよくわからない。

私にはボランティア精神が宿っているのかもしれないし、はたまた偽善の塊なのかもしれない。
名前には何の意味も無いだろうし、いや実は言霊のように、名霊なんてものに自分の生き様を決定されているのかもしれない。

何か意味を見出して、自分をこういう人なのだ、思うのもいいし、いやそもそも名前など他人と区別する呼び方でしかない、と思うのでもいい。

私は、意味を見出すのが好きなだけ。
「人のために香りをふりまく」女の子は、今日も他人の幸福のために生きるのだと、自分の宿命にうっとり酔うのだ。