「お姉さん、これからどこ行くのー?」
電車を待っていると、50代ほどの男性に話かけられた。
ぷんと漂うお酒の匂い。話しかけてきた人を含めた男性3人組だった。
スーツ姿の彼らは、出張だったのだろう。これから愛知県まで新幹線で帰るのだと言った。
50代ほどの男性1人、30代ほどの男性1人、20代ほどの男性1人。部長、中堅、新人といったところだろうか。
話しかける女性は誰でも良かったのだろう。たまたま私が彼らの前に立っていただけのことだ。いやな絡まれ方をしてしまったと思った。すぐにその場を立ち去ればよかったのだが、タイミングよくやって来た電車に彼らと一緒に乗り込む形になった。
「大学生?」
「彼氏いるの?」
「今、何の帰り?」
質問にうやむやに答えながら、30代の中堅がスマホを取り出し、ビデオを撮影しているのが目に入った。きっと酔っぱらって女の子に絡む上司の姿を、次の飲み会なんかで見せて笑いのネタにするのかもしれない。
「部長、この前こんなことしてましたよー!笑」
「えー酔ってて全然覚えてないなあ。笑」
他の社員は言う。
「部長、やらかしましたねー!笑」
「おい、やめろよー!笑」
結局私はその場を逃げずに、彼らが降りるまで会話に応じた。
ビデオに対しては笑顔も見せた。
想像だけど、彼らは大きな案件を終えて、打ち上げをしたのだろう。
酔いがまわった状態で帰る途中、前に女を見つけた。
部長が、ちょっとはめを外したところを見せようと声をかけた。
中堅は、たしなめながらもその様子を面白がってビデオに撮った。
新人は、部長を持ち上げながらおおげさに笑ったりリアクションした。
私は、3人のコミュニケーションを成立させるためだけの存在だった。
3人は、それぞれの役割を、それぞれが果たしていた。綺麗な上下関係、見事なフォーメーションというか、役割分担ぶりに、私の役割は彼らの役割分担を壊さないことだ、と思った。
部長には、もしかしたら私と同じぐらいの年齢の娘がいるのかもしれない。でも娘の前では、名前も知らない女子大生に絡む姿は見せないだろう。中堅にも、妻や恋人、家族が待っているかもしれない。だけど家に帰って、部長のナンパをビデオに撮ったことは、きっと話さない。年が近いであろう新人は、私と同い年の恋人を持つのかもしれない。彼の恋人が50代酔っ払いに絡まれたら、彼はどう思うだろう。
家に帰ると、みんないいお父さん、いい夫、いい彼氏、いい息子であるのだろう。もしかしたら、本来のキャラクターとは全く違うのに、会社という縛りの中で、また別の役割を求められているのかもしれない。
いつもは真面目だけど、一仕事終えてちょっとはめを外す部長。
部長をたしなめながらも、いつも見せない部長の姿を面白がる中堅。
部長を持ち上げ、おおげさにリアクションをとる新人。
彼らの降り際に、最後に降りた新人がこちらを見て、小さく「すみません」と苦笑いした。
よかった。私は彼らの役割分担を邪魔しなかった、と思った。
彼らが降りた後、会社という組織で生きていく術をまざまざと見せつけられた気がして、なんだか打ちのめされた。
本来のキャラクターではない役割を自分が演じて、苦しくなる人とならない人がいるのだなと思った。そして私は、苦しむ側だ。
例えば、自分が一番年下の飲み会なんかで、下世話な話題になった時に自分も場にふさわしい振る舞いをしなければと思う。
そうして、興味のない、自分が全く知りたいと思ってもいないことを質問したりして、「お!聞くねえ!」とか「攻めるねえ!」と一瞬場が盛り上がると、ほっと安心している自分がいる。
よかった。空気を壊さなかった、と。
でもそのあと、無性に苦しくなる。次の日、何もする気が起きなくて、数日ほど鉛を腹に抱えてるような気分の沈みを感じる。自分の持つ人としての品のようなものを損なった気がして、身をすり減らした気持ちになる。
もちろん、飲み会での振る舞いなんて他の人にはすぐに忘れられてしまうだろう。何事もなかったかのように、また普段通りの生活に戻るのだ。だけど私は、その時の自分の振る舞いがずっとしつこく頭に残る。まだ私は上手に、別のキャラクターの仮面を付け替えられない。
冒頭のナンパの話に戻る。
もし私が男性で新人の立場だったら、部長に調子よく付き合った翌日、きっと鉛を抱えて寝込んでしまうだろうなと思った。そんなキャラクターが、自分には無いからだ。でも、彼はきっと寝込まない。次の日も平然とした顔で、部長も、中堅も、新人も仕事をするのだろう。
私も、色んな人格をくるくる使い分けても、苦しくならない自分でいたいのに。
彼らを思い出して、仮面の付け替えが上手く出来ることが、会社という組織の中で行きていくために必要な振る舞いに思えて仕方なかった。彼らの役割分担は、見事だった。私を介してコミュニケーションをとられたことには腹が立ってしょうがなかったけど。
いずれ私も、うまく仮面が付け替えられるようになるのだろうか。それとも苦しくならない仮面があるのなら、私は欲しい。それは、鈍感力と呼ぶのかもしれないけれど。
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