2013年10月29日火曜日

その後

半年ほど書くのをやめていたら、またむくむくと何か書きたい気持ちが湧き上がってきたので、ひっそりこのブログを続けることにしました。

一人暮らしをしていると、本当に自分の時間がたくさんあって、この時間を生かすも無駄にするも自分次第だなーと少し怖くなります。実家にいたときはなんであんなに時間が無かったんだろう。

話は変わって、糸井重里が人間が感じる一番基本となる感情は嬉しさでも、悲しさでもなく寂しさだ、と言ってて、そういやほんまでっかtvの池田先生も同じようなことを言っていたな、とぼんやり思いました。すごく納得しました。そういや今も昔もずっと寂しいと思っているからです。
寂しいって字が何だか寒々しくてあんまり言葉にしたくないけど、でも言う!寂しい!

友達に会ったら楽しいし、デートなんかしたらうきうきするし、実家に帰るとほっとするけど、でも結局最後は自分の力で生きていかないといけないし、それが人生の寂しさなんだろうなと思います。

自分で自分を楽しくする方法をもっと見つけたいな。書くことはもちろん楽しいんだけども。

2013年4月5日金曜日

別れの言葉


1年間、長いようであっという間だったフィリピンでの生活が終わります。
これからおそらく一生記憶に残るであろう濃い1年間でした。

去年の4月15日、一人でフィリピンに着いた日、心細くて泣きながらマクドナルドで晩御飯を食べたことを昨日の出来事のように思い出します。今ではすっかりフィリピンに馴染み、街を歩けば
しょっちゅうフィリピン人に間違えられるようになりました。

1年を通して、変わったこと。それは少し自信がついたことです。これは自分の小ささを知ったことの自信です。この大きな世界では小さい存在だけれど、でも自分が面白いと思うことを面白いと思うやり方ですればいいんだと気づけたことは大きな財産だったなと思います。

大学2回生のとき、自分の人生を自分で何も決断してこなかったことに気づき、でも周りは
ちゃんと自分で選び取っていて、今までそれをしてこなかった自分に毎日後悔していました。
その時は生きているのがしんどいとさえ思っていました。

自分で選んだことを自力で実現させなければ、という切迫感を抱いて私はフィリピンに来ました。
けれど、おおらかなフィリピンの人達とあっけらかんとした暑さのなかで毎日過ごすうちにどんどんいろんなことから開放されていくような実感がありました。楽しいことばかりではありませんでしたが、それでも振り返ってみると面白い日々だったなと思います。

過去は過ぎ去り、未来は未だ来らず。

これからは自分が面白いと思うことにどんどん飛びついて、人生を満たせますように。

最後に、今までこのブログを読んでくださってありがとうございました。
「フィリピン留学日記」はこの投稿を最後に終わります。

それでは、さらばフィリピン!Mabuhay!

2013年3月29日金曜日

お金稼ぎ

小学生の頃ミサンガにハマっていた。

放課後に行く学童で編み方を教えてもらったのだ。外で元気に走り回る子どもではなかったので、室内で黙々と刺繍糸を編み続けるのは絶好の遊びだった。
しまいには学童に置いてあった編み方の本と同じものを母に買ってもらい、家でも作った。

小学4年生のとき、母の友達が何人か家に遊びに来た。そのうちの一人にお金を払うから作って、と言われた。遊びで作っていたものにそう言ってもらえて友達の娘だからと気をつかってもらっていたのだとしても、私は嬉しくてたまらなかった。

自分のミサンガに値段をどうつけていいかもわからず、多分200円ぐらい受け取ったと記憶している。そしてこれが人生で初めて自分でお金を稼いだ経験となった。

数日後、京阪三条駅の路上でミサンガやアクセサリーを売っているのを見かけ、驚いた。
そこには私が作っているのと変わらないものが一本800円で売られていた。値段の意味がどうしても理解できなかった。800円にも関わらず、買っていく人がいた。母にそのミサンガがどうしても欲しいと頼んだ。母は買ってくれた。

そのミサンガはお金について考えるきっかけとなった。
ものの価値は材料費だけではない。商売とは作って売って終わりではないのだ。
800円の中に含まれているのはそのものの材料費だけではないことを知った。

そして商売について、資本金、株券、利益を還元することについて、路上の小さなアクセサリー屋さんを例えに世の中の会社のお金稼ぎの仕組みを母に教えてもらった。
商売をする、お金を稼ぐって面白い事なんだなとぼんやり思った。

ある人と話した。
その人は就職活動をするとき「利益を求めるなんて嫌だ」と思い、公の仕事に就いたそうだ。

「お金のために働くのは嫌だった。自分は社会から必要とされていることをしたい。仕事の価値は社会がつけてくれる。」

公の仕事は立派だ。なければ社会はうまくまわらなくなってしまう。
快適に生活させてもらえることに対して税金を払うのは当然だ。
賢くなければできない仕事だし、私は頭がよくないのできっとなれない。

でも「お金が稼ぎたいんだ!」と大きな声で言うのは全然悪く映らないのに、と思う。
自分の仕事に自分で価値を付ける人もまた私は同じように尊敬する。

あーそろそろ真剣に就職のことを考えないとあかんなあ。


2013年3月28日木曜日

残す日々もあとわずか

バケーションです。
ルームメイトは実家に帰って、私一人です。あーあ。

日本にダンボールで本を送り、スーツケースに荷物も詰めちゃって、あと7日間のフィリピン生活を楽しむのみです。

フィリピンから履修登録をして、時間割のキツキツさに驚きました。
しょうがない。休んでた分をこれから取り戻さんといけないのです。

ほぼ1年フィリピンにいて、私は何か変わったのだろうか。
何事もギリギリにならないと動き出せないところは相変わらずだ。

でも確実に変わったと思うのは、頭がユルくなったことだ。

昔は頭が固かったな、とつくづく反省する。
いろんなことが許せなかった。
頭の中が自分自分でいっぱいだった。
今はなんか、生きてたらもういいじゃないって、お坊さんのような気分だ。


桜の季節に帰れるって思ってたのにもう満開なんやってね。。お花見したかったー

2013年2月21日木曜日

22歳の誓い

19、20歳の頃、私はとてもいやなやつでした。
いつも何かを批判して偉くなったような気になっていました。
何でもできるような気がしていたし、でも現実には何にもできていませんでした。

自分は凡人だ、ということを私はやっと受け入れたのだと思います。
ずっと、無い才能をさがして人と違う部分があるはずだと思いたかったのです。
今思えば、過剰な自意識で自分自身を苦しめていただけでした。

でも自分には何もない、からっぽだということを受け入れた今、だからこそ勉強しないといけないし、人の話をきちんと聞かないといけないということに気がつきました。人や社会に対して常に
ひらいていることが大事なのだ、と。それはきっと楽しいことばかりではなく、なめられたり馬鹿に
されたりすることもあるけれど、でも22年生きた身体はいいことも悪いこともいろんなことを受け入れられるほど強くなったのだと信じています。

限りある人生、したいことをして、会いたい人には会いに行って、謙虚に、凡人なりに精一杯
生きていこうと思います。

22歳イエーイ

成長すること

私は子どもが苦手でした。
彼らはまるで未知の存在で、子どもを前にするとどうしていいかわからず戸惑うばかりでした。

けれどフィリピンに来てたくさんの子どもたちを見て、彼らの存在、無垢さに本当にめろめろになってしまいました。子どもとはこんなに可愛いのか、と。
抱っこされるためのようなふわふわの肌や、黒目がちの大きな目や、思わずくすりと笑ってしまう行動や、豊かな感情表現。それはまさしく彼らが大人に守ってもらわなければならない存在であるがゆえに身につけているものだなと思うのです。

時間が経つにつれ、柔らかく薄い肌も筋肉がつき、風や熱にさらされ厚く堅くなりました。
日々成長する体にバランスが取れず転んでばかりだったのに、いつの間にか転ばなくなり目線の高さも変わらなくなりました。それは守ってもらわなくても一人で生きていける強い身体に成長した証なのだ、と小さな子どもたちから教えられました。

21年間、生かしてくれてありがとうございます。
自分の足で立てるまで支え続けてくれたこと、感謝しています。

2013年2月6日水曜日

映画

テレビで真珠湾攻撃を題材にしたハリウッド映画がやっていて、寮の人たちと一緒に見ていました。アメリカと日本の戦争をアメリカ側から描いているのですが、ジャップジャップ連呼されているのは当たり前ですが見ていてあまり気持ちの良いものではありませんでした。

映画を見ながら、きっと日本人がこれを見たらイヤな気分になるよなと思わずにはいられませんでした。映像の中とはいえ、日本人が蔑まれ、撃たれ、苦しんでいる姿は見ていて悲しくなりました。

映画。邦画、洋画、フランス映画、インド映画..
国民に喜ばれる、国民が好きなものが約2時間に凝縮され、それぞれ特色があります。
「ハリウッド映画はサクセスストーリーが多い」「フランス映画はストーリーが哲学的で難解だ」「日本映画は主人公の死や悲しい結末が多い」などと語られるように。
もちろんそうじゃない作品もたくさんありますが、国別に映画を語るとき私たちは大きくカテゴライズしている気がします。

そして文化や好みに基づいて作られた映画を見て、私たちもまた映画の中から今の文化や好みを知らされているのだと思います。
「国民はこれが好きと言っていますよ。国民はこれに感動していますよ。」と。

冒頭の映画の話に戻りますが、アメリカの人にしてみれば、勇敢に戦う兵士の姿や、友情、恋人との辛い別れ、感動の再会など、涙を誘う物語なのだと思います。同じ国民として兵士の姿を誇らしく思うかもしれない。
そして私が感動の物語として見れず、悲しくなったのも、同じ日本人という共同体として見ていたからです。

約2時間の中で、目に見えない共同体を想起させ、一方ではその共同体を誇りに思わせ、一方では悲しくさせる。映画というものもまた、見えない共同体をつくりだす一因なのだと思います。