人生で一番忙しい、というのは大げさだけど、あれもこれもと思うことが思うように進められず自分の不甲斐なさを痛感している。
ドタキャンしてしまったり、遅刻したり、自分に任されたことを中途半端にしてしまったり、よくないことはこうも連鎖するのか。
すっかり自信を無くした私は、最後の手段で母にすがるが、「これだから学生は甘い」と一蹴された。
今に限らないけれど、「自分はほんとだめだなあ」と嗚咽して泣きたくなる瞬間は3か月に一度ぐらいやって来て、そんな時、いつも私はその気分に飲み込まれて動けなくなってしまう。
だから動かない。できるだけ動作をゆっくりゆっくりにする。涙がでるときには、一人になって泣く。下手にyoutubeで笑える動画なんかを見たりしない。そんなもの、閉じた後、余計に悲しくなるだけだからだ。
明日は早起きして、シーツとタオルケットを洗濯する。今年一度も履いていなかったピンク色の靴を履いて学校に行く。
沼のような気分から少しでも抜け出したい。
2015年7月3日金曜日
2015年6月27日土曜日
話すことは快楽
先日、留学経験のある大学生として自分の体験談をインタビューされる機会があった。生い立ちや小学生時代、思春期、大学時代のことについてたくさん質問され、答えた。
ありがとうございます、もう終わりにしましょう、と言われたとき2時間が経っていた。驚いた。私はまだほんの30分ほどしか経っていないような気分だったからだ。
帰り道、わたしはほくほくとした気持ちよさに包まれていた。自分語りをすることってこんなに気持ちいいのか、自分の話を聞いてもらうってこんなに嬉しいのか、とちょっとびっくりしてしまった。それから2日間ぐらいまだふわふわとした気分に包まれており、この気持ちよさは少し危険だと思った。もっともっと、と求めてしまいそうな、ドラッグのような効果があるとさえ思った。
少し話は変わるが、前に東京を訪れた時、渋谷駅前でマック赤坂を見かけた。ポスターでよく見ていた人が、スマイル党ののぼりとともに、ピカピカ光る猫耳型のカチューシャをつけていた。その姿を見て、私は、マック赤坂が国政選挙や地方選挙に出馬し続ける理由が少しわかる気がした。
本当に勝手な想像だけど、この人は、大金を払って出馬して、自分の話をみんなに聞いてもらう、という酔狂な遊びをしているように思えて仕方がなかった。
可哀想な人だとは思わない。だけど、この人もまた、自分語りの気持ちよさに囚われてしまっているのだろうか、という考えが時々ふと心の中に湧く。そして自分はどうか、囚われていないか、と問うてみたくなるのだ。
ありがとうございます、もう終わりにしましょう、と言われたとき2時間が経っていた。驚いた。私はまだほんの30分ほどしか経っていないような気分だったからだ。
帰り道、わたしはほくほくとした気持ちよさに包まれていた。自分語りをすることってこんなに気持ちいいのか、自分の話を聞いてもらうってこんなに嬉しいのか、とちょっとびっくりしてしまった。それから2日間ぐらいまだふわふわとした気分に包まれており、この気持ちよさは少し危険だと思った。もっともっと、と求めてしまいそうな、ドラッグのような効果があるとさえ思った。
少し話は変わるが、前に東京を訪れた時、渋谷駅前でマック赤坂を見かけた。ポスターでよく見ていた人が、スマイル党ののぼりとともに、ピカピカ光る猫耳型のカチューシャをつけていた。その姿を見て、私は、マック赤坂が国政選挙や地方選挙に出馬し続ける理由が少しわかる気がした。
本当に勝手な想像だけど、この人は、大金を払って出馬して、自分の話をみんなに聞いてもらう、という酔狂な遊びをしているように思えて仕方がなかった。
可哀想な人だとは思わない。だけど、この人もまた、自分語りの気持ちよさに囚われてしまっているのだろうか、という考えが時々ふと心の中に湧く。そして自分はどうか、囚われていないか、と問うてみたくなるのだ。
2015年6月18日木曜日
女子高生への羨望
電車に乗っていると、頭に花かんむりをのせた女子高生のグループを見かけた。お団子ヘアーに白やピンクの花がたっぷりのった冠をかぶって、驚くほど短い制服のスカートをひらつかせていた。
花を盛った彼女たちは、はしゃいでいて、生意気そうで、傍若無人で、世界は自分たちのものだと思っていそうだった。
なんだよ。妖精のコスプレかよ。だいたい花かんむりなんて恥ずかしい。そんな姿、きっとあと5年もしたら赤面するような過去になるのに。
そう私は心の中で、ひとり言をつぶやいた。
その日の私は就職活動の帰りだった。緊張から解き放たれ心身ともにぐったりしていた。
動きにくいリクルートスーツに身を包んだ私には、本当は、彼女たちの軽やかさが羨ましくてたまらなかった。傍若無人さが、眩しいと思った。
彼女たちの姿を横目に見ながら私は、タイトスカートを脱ぎ捨てて、頭に花かんむりをのせて、ミニスカートをひらひらさせて街を闊歩する自分を想像した。それはとても愉快で、格好悪くて、人生がちょっと楽しくなりそうだと思った。
花を盛った彼女たちは、はしゃいでいて、生意気そうで、傍若無人で、世界は自分たちのものだと思っていそうだった。
なんだよ。妖精のコスプレかよ。だいたい花かんむりなんて恥ずかしい。そんな姿、きっとあと5年もしたら赤面するような過去になるのに。
そう私は心の中で、ひとり言をつぶやいた。
その日の私は就職活動の帰りだった。緊張から解き放たれ心身ともにぐったりしていた。
動きにくいリクルートスーツに身を包んだ私には、本当は、彼女たちの軽やかさが羨ましくてたまらなかった。傍若無人さが、眩しいと思った。
彼女たちの姿を横目に見ながら私は、タイトスカートを脱ぎ捨てて、頭に花かんむりをのせて、ミニスカートをひらひらさせて街を闊歩する自分を想像した。それはとても愉快で、格好悪くて、人生がちょっと楽しくなりそうだと思った。
2015年6月10日水曜日
可哀想な恋愛
昨日、紺色やグレーのワンピースを全部クローゼットから取り出し、リサイクルショップへ持っていった。私に少しも似合っていなかったその服たちを、やっと手放そうと思った。
その人と会うとき、私はいつもワンピースを着ていた。男性とデートをするときはとりあえずワンピースを着ておけばいいのだ、という迷信じみた都市伝説を信じて。
不思議なことに、その人から「こういう格好をして」と言われたわけではないのに、私は地味なワンピースこそが、その人と会う時の正解の服なのだ、と思い込んで少しも疑わなかった。おとなしく従順そうな服を着て後ろをついていけば、それでいいのだ。本気でそう思っていた。
どちらからともなく音信不通になり、半年以上たったある日、私はその人のツイッターのアカウントを偶然発見した。それは本当に偶然としかいいようがなく、突然現れた見覚えのあるニックネームに、とてもうろたえた。見てはいけないと思いながらも、震える指はどんどん過去のツイートを遡っていった。
そこには、私が知らなかった相手の日常生活が並んでいた。たくさんのつぶやきの中に、私の存在は1ミリも無かった。悲しみと同時になんだか少し、ほっとしてしまった。なんだ、あなたも私を見ていなかったじゃない、と思った。
もうずっと時間がたった今、お互いに恋心も愛情も思いやりもなかったという事実と、そのことの残酷さに、時々ふと涙が出そうになってしまう。その時の私は、きっと、相手にきちんと向き合っておらず、ただ「付き合っている人がいる私」「一人で寂しくない私」になりたかっただけだった。そして、相手もまた同じ気持ちだったのではないか、と思う。
ワンピースを着てその人の後ろをくっついていれば、今の自分とは違う別の自分になれるのかもしれない。そう思って思考停止していたあの時。それはとてつもなく楽で、だけどいつも虚しかった。そして、これから出会う相手には、精一杯の愛情を注ぎたいと思った。
不思議なことに、その人から「こういう格好をして」と言われたわけではないのに、私は地味なワンピースこそが、その人と会う時の正解の服なのだ、と思い込んで少しも疑わなかった。おとなしく従順そうな服を着て後ろをついていけば、それでいいのだ。本気でそう思っていた。
どちらからともなく音信不通になり、半年以上たったある日、私はその人のツイッターのアカウントを偶然発見した。それは本当に偶然としかいいようがなく、突然現れた見覚えのあるニックネームに、とてもうろたえた。見てはいけないと思いながらも、震える指はどんどん過去のツイートを遡っていった。
そこには、私が知らなかった相手の日常生活が並んでいた。たくさんのつぶやきの中に、私の存在は1ミリも無かった。悲しみと同時になんだか少し、ほっとしてしまった。なんだ、あなたも私を見ていなかったじゃない、と思った。
もうずっと時間がたった今、お互いに恋心も愛情も思いやりもなかったという事実と、そのことの残酷さに、時々ふと涙が出そうになってしまう。その時の私は、きっと、相手にきちんと向き合っておらず、ただ「付き合っている人がいる私」「一人で寂しくない私」になりたかっただけだった。そして、相手もまた同じ気持ちだったのではないか、と思う。
ワンピースを着てその人の後ろをくっついていれば、今の自分とは違う別の自分になれるのかもしれない。そう思って思考停止していたあの時。それはとてつもなく楽で、だけどいつも虚しかった。そして、これから出会う相手には、精一杯の愛情を注ぎたいと思った。
2015年3月11日水曜日
4年前の3月11日の思い出
その日は近畿大学で建築合宿というのに参加していて、ちょうど中間発表のプレゼンテーションの最中だった。グループで順番待ちをしているとふらふらーと地面が揺れ、これはひどい目眩だなと思った。目眩はしばらく治まらなくて何だかおかしいと思った時、まわりのざわめきでこれが地震だとわかった。思わず隣の女の子と手を取り合ったことを覚えている。
ちょうど震災の四日前、大学は春休み中だったので私は一人で青春18きっぷを使って宮城を旅行していた。自分が通り過ぎた駅が、訪れた場所が大きく変わった姿で連日テレビに映っていた。ニュース番組の中で、京都から仙台に遊びに来ていた大学生3人が亡くなったと報道されたとき、私も彼らだったかもしれないと思った。
半年後、大学の夏休み中にインターネットで見つけた清掃のボランティアに申し込んで参加した。「被災者だったかもしれない自分」が頭から離れなかったからだ。
ちょうど3年前、東北のボランティアのことを私はブログにこう書いていた。
フィリピンの人に対して、私はうっとりしていないだろうか、と。正義感は適切な分量を持ってなければいけないが、こうやって自分を問うことも必要なのだと今日3月11日に思い出した。
ちょうど震災の四日前、大学は春休み中だったので私は一人で青春18きっぷを使って宮城を旅行していた。自分が通り過ぎた駅が、訪れた場所が大きく変わった姿で連日テレビに映っていた。ニュース番組の中で、京都から仙台に遊びに来ていた大学生3人が亡くなったと報道されたとき、私も彼らだったかもしれないと思った。
半年後、大学の夏休み中にインターネットで見つけた清掃のボランティアに申し込んで参加した。「被災者だったかもしれない自分」が頭から離れなかったからだ。
ちょうど3年前、東北のボランティアのことを私はブログにこう書いていた。
40人ほどのボランティアで泥かきをしていたとき、津波に流されて何もない街を制服姿の高校生たちが自転車でさーっと下校していくのが見えました。そのとき私は彼らをすごくタフだな、と思ったのです。こんな大変な目に遭っているのに...と。
でもあとから思うと、彼らにとっては当たり前のことなのだ、とはっとしました。たとえ街の姿は変わってしまっても、多くの家が失われてしまっても、彼らの日常は失われていない。
そう気づいたとき、私は自分の中の上から目線な態度に愕然としました。東北が大変だ!困っているにちがいない!何とかしに行かなきゃ!帰りのバスの中で大げさではなくぞっとしたことを昨日のように思い出す。
とても恥ずかしいのですが、ボランティアをする前、岩手県にいく道中、私は自分の正義感にちょっとうっとりすらしていたのです。役に立ってやるぞー!と。
正義感という言葉に、何か自分が偉くなったような気がしてしまう。けれど、正義の名のもとに大事なものを見落としまうかもしれない。自分の動機、本当にそれは相手のことを思っているか、かっこいい言葉、耳触りのいい言葉で自分の本当の気持ちを見えなくしていないか。なんだか良く出来た人間のぴかぴかの正論みたいでむかつく書き方だけれど、3年前に私が書いていたものは、なんだか今の自分に言われている言葉のように感じた。
フィリピンの人に対して、私はうっとりしていないだろうか、と。正義感は適切な分量を持ってなければいけないが、こうやって自分を問うことも必要なのだと今日3月11日に思い出した。
2015年2月21日土曜日
24歳になりました。サザエさんと同い年です。
24歳。ああなんて大人な数字だろう、とかつて思った。
今から6年前、私は18歳で浪人生だった。ちょうどその年の9月、祝日と土日がうまく重なりシルバーウィークと呼ばれる5連休があった。もちろん浪人生には関係のないことだ。その時のニュースで、次に5連休となるのは6年後の2015年です、と言っていた。
6年後。その時私は24歳か。きっと大学を卒業して会社員になって清潔なオフィスでバリバリ働いているに違いない。化粧も覚えておしゃれになって、髪の毛を染めてパーマなんかあてちゃったりして、もちろん結婚を考えて付き合っている相手もいるのだろう。そして5連休にはその人とヨーロッパなんかに旅行しているのかも、早く24歳にならないかしら。などと垢抜けない予備校生は夢想した。
はたして24歳になった私はと言うと、未だに大学生をしている。9月の5連休も卒業制作だ何だかんだでおそらく休んでいる場合じゃないだろう。結婚?遠すぎて見えねえ!
そもそも、19歳でフィリピンに初めて来た時点で、あるいは興奮冷めやらぬまま21歳のときに留学もしてしまった時点で、その後インターンでも戻ってきた時点で、そしてやっと復学したと思ったら今また毎日スラムを歩いている時点で、18歳の時の可愛らしい人生計画はどこかへ行ってしまったのだ。
それでも、ありがたいことに元気に生きている。スラムの環境は決して良いとは言えないが、ここでは子どもたちが裸で外を走り回り、手作りのハンモックで朝から眠る男性もいれば、女性たちは集まっておしゃべりしている。日本では隣人が誰かもわからないアパートに一人で住む私には、ここはとても温かく幸せな場所に見えるときがある。
もちろん楽しい思いばかりではない。居住状況を調査するのが目的であるため、住民に電気や水道についての質問をしていると、毎日の生活の大変さをとうとうと語り出す方もいる。
「あなたが将来建築家になって成功したら、ここに戻ってきて私たちを助けてください」
顔にしわが深く刻まれたおばあさんにぎゅっと手を握られそう言われたとき、思わず身体が硬直した。「ええ、もちろん」と答えながらも、「ごめんなさい、私にはそんな力はないのです」と心の中で深く詫びた。
そんなことを経験するひたすら地道な毎日。清潔なオフィスも華やかな海外旅行も無縁の生活ではあるが、日々生きていくことの愛おしさと哀しさに出会い、哀しみに囚われず強く生きていく人に出会う。そして自分もまた、悲喜こもごもあるちっぽけな生活を営む一人であると知る。
18歳の私は、24歳のこの現実を全く予想しなかった。それはとても可笑しく愉快だ。次に5連休となるのは11年後の2026年。35歳の私もまた、私を大きく裏切っていて欲しいと願う。
もちろん楽しい思いばかりではない。居住状況を調査するのが目的であるため、住民に電気や水道についての質問をしていると、毎日の生活の大変さをとうとうと語り出す方もいる。
「あなたが将来建築家になって成功したら、ここに戻ってきて私たちを助けてください」
顔にしわが深く刻まれたおばあさんにぎゅっと手を握られそう言われたとき、思わず身体が硬直した。「ええ、もちろん」と答えながらも、「ごめんなさい、私にはそんな力はないのです」と心の中で深く詫びた。
そんなことを経験するひたすら地道な毎日。清潔なオフィスも華やかな海外旅行も無縁の生活ではあるが、日々生きていくことの愛おしさと哀しさに出会い、哀しみに囚われず強く生きていく人に出会う。そして自分もまた、悲喜こもごもあるちっぽけな生活を営む一人であると知る。
18歳の私は、24歳のこの現実を全く予想しなかった。それはとても可笑しく愉快だ。次に5連休となるのは11年後の2026年。35歳の私もまた、私を大きく裏切っていて欲しいと願う。
2015年2月16日月曜日
暑さに負けそうにもなったけど私は元気です
フィリピン生活の4分の1が過ぎた。早い。早すぎる。本当は毎日ブログを書く、というのを目標にしていたが劇的なことなどほとんど起こらず、ついつい書くのをさぼってしまった。
今、毎日集落をまわってアンケート調査をしているがやはり当然のことながら警戒されるし、答えてもらえないことの方が多い。住宅の実測なんかもさせてもらえない。わかっていたけど心は折れるし焦りばかりが募る。
認めたくないことだが、自分はどこかでフィリピンの人を怖いと思う気持ちを持っていて(主に治安の面で)、そういうのはやはり相手にも伝わっているのだと思う。自分が相手に対して閉じているのに、どうやって相手に心を開いてもらえるというのだろうか。
認めたくないことだが、自分はどこかでフィリピンの人を怖いと思う気持ちを持っていて(主に治安の面で)、そういうのはやはり相手にも伝わっているのだと思う。自分が相手に対して閉じているのに、どうやって相手に心を開いてもらえるというのだろうか。
外を歩けば太陽が照りつけ汗が噴き出る。部屋に帰れば水しか出ないシャワーに震える。キラキラとした海外生活をfacebookにアップしたり、確かな成果を得られたと実感できるような日は未だにやって来ない。そんな日は永遠にやって来ないようにも思える。
けれど、さっきテレビでタガログ語バージョンのドラゴンボールが放送されているのを見て、日本語の時よりも何だかテンションが高く聞こえるそれに思わず笑ってしまった自分は、きっとまだ大丈夫だと思った。それは半分、言い聞かせるようにだけれど。
けれど、さっきテレビでタガログ語バージョンのドラゴンボールが放送されているのを見て、日本語の時よりも何だかテンションが高く聞こえるそれに思わず笑ってしまった自分は、きっとまだ大丈夫だと思った。それは半分、言い聞かせるようにだけれど。
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