2015年2月21日土曜日

24歳になりました。サザエさんと同い年です。

24歳。ああなんて大人な数字だろう、とかつて思った。

今から6年前、私は18歳で浪人生だった。ちょうどその年の9月、祝日と土日がうまく重なりシルバーウィークと呼ばれる5連休があった。もちろん浪人生には関係のないことだ。その時のニュースで、次に5連休となるのは6年後の2015年です、と言っていた。

6年後。その時私は24歳か。きっと大学を卒業して会社員になって清潔なオフィスでバリバリ働いているに違いない。化粧も覚えておしゃれになって、髪の毛を染めてパーマなんかあてちゃったりして、もちろん結婚を考えて付き合っている相手もいるのだろう。そして5連休にはその人とヨーロッパなんかに旅行しているのかも、早く24歳にならないかしら。などと垢抜けない予備校生は夢想した。

はたして24歳になった私はと言うと、未だに大学生をしている。9月の5連休も卒業制作だ何だかんだでおそらく休んでいる場合じゃないだろう。結婚?遠すぎて見えねえ!

そもそも、19歳でフィリピンに初めて来た時点で、あるいは興奮冷めやらぬまま21歳のときに留学もしてしまった時点で、その後インターンでも戻ってきた時点で、そしてやっと復学したと思ったら今また毎日スラムを歩いている時点で、18歳の時の可愛らしい人生計画はどこかへ行ってしまったのだ。

それでも、ありがたいことに元気に生きている。スラムの環境は決して良いとは言えないが、ここでは子どもたちが裸で外を走り回り、手作りのハンモックで朝から眠る男性もいれば、女性たちは集まっておしゃべりしている。日本では隣人が誰かもわからないアパートに一人で住む私には、ここはとても温かく幸せな場所に見えるときがある。

もちろん楽しい思いばかりではない。居住状況を調査するのが目的であるため、住民に電気や水道についての質問をしていると、毎日の生活の大変さをとうとうと語り出す方もいる。
「あなたが将来建築家になって成功したら、ここに戻ってきて私たちを助けてください」
顔にしわが深く刻まれたおばあさんにぎゅっと手を握られそう言われたとき、思わず身体が硬直した。「ええ、もちろん」と答えながらも、「ごめんなさい、私にはそんな力はないのです」と心の中で深く詫びた。

そんなことを経験するひたすら地道な毎日。清潔なオフィスも華やかな海外旅行も無縁の生活ではあるが、日々生きていくことの愛おしさと哀しさに出会い、哀しみに囚われず強く生きていく人に出会う。そして自分もまた、悲喜こもごもあるちっぽけな生活を営む一人であると知る。

18歳の私は、24歳のこの現実を全く予想しなかった。それはとても可笑しく愉快だ。次に5連休となるのは11年後の2026年。35歳の私もまた、私を大きく裏切っていて欲しいと願う。

2015年2月16日月曜日

暑さに負けそうにもなったけど私は元気です

フィリピン生活の4分の1が過ぎた。早い。早すぎる。本当は毎日ブログを書く、というのを目標にしていたが劇的なことなどほとんど起こらず、ついつい書くのをさぼってしまった。

今、毎日集落をまわってアンケート調査をしているがやはり当然のことながら警戒されるし、答えてもらえないことの方が多い。住宅の実測なんかもさせてもらえない。わかっていたけど心は折れるし焦りばかりが募る。

認めたくないことだが、自分はどこかでフィリピンの人を怖いと思う気持ちを持っていて(主に治安の面で)、そういうのはやはり相手にも伝わっているのだと思う。自分が相手に対して閉じているのに、どうやって相手に心を開いてもらえるというのだろうか。

外を歩けば太陽が照りつけ汗が噴き出る。部屋に帰れば水しか出ないシャワーに震える。キラキラとした海外生活をfacebookにアップしたり、確かな成果を得られたと実感できるような日は未だにやって来ない。そんな日は永遠にやって来ないようにも思える。

けれど、さっきテレビでタガログ語バージョンのドラゴンボールが放送されているのを見て、日本語の時よりも何だかテンションが高く聞こえるそれに思わず笑ってしまった自分は、きっとまだ大丈夫だと思った。それは半分、言い聞かせるようにだけれど。

2015年1月31日土曜日

出発前夜の戯言

明日の今頃、私はちゃんとブラカン大学の寮にいるのだろうか。

恥ずかしながら、実はさっき泣きながら母に電話をした。
「調査もうまく出来るか不安やしなのに人様のお金を使わせてもらうし明日の朝4時に起きられるかも心配やし荷造りは出来てないしちょっと眠気を感じて仮眠したら2時間も寝ていたしコンビニでエクレアをいっぱい買ってしまったしそれ全部食べてしまったし」

「もう、出来ることなら行きたくない」と。

母はこう言った。
「無謀なことにチャレンジしてしまうのは私の娘だから仕方ない。私は同じ大学を3回も受験して3回ともだめだった。CAを目指したけど新卒でも中途採用でもだめだった。夢破れてばかりだったけど今まあまあ幸せに生きてる。ちょっと種類は違うけど、私もあなたも無謀なことに挑戦してしまう星のもとに生まれたのだからこればっかりはもうしょうがない。生きて帰ってくれさえすればいい。」

かあさん、何でそんな星に産んでくれたんや...

2か月はきっと長いようであっという間なのだろう。小心者の無謀なチャレンジは果たしていかに...!

2015年1月3日土曜日

大人のための性的ミュージアム鬼怒川秘宝殿感想と新年の抱負

明けましておめでとうございます。


さて、新年最初のブログは昨年末に行った鬼怒川秘宝殿の感想を書こうと思う。ここ鬼怒川秘宝殿が2014年12月31日に閉館すると知り、歴史の終わりを見届けるべく大阪から栃木まで行ってきたのだった。人生初の秘宝館。入口の看板からさっそく妖しげだった。もちろん18歳以上でないと入れない。


入館すると出迎えてくれる美人な鬼怒川お竜。

奥に進むと、石で作られた男性器が大きなものから小さなものまで所狭しと展示されていた。どれも日本全国にある子孫繁栄や農作物の豊穣を祈るためのものだそうで、日本の性神信仰の歴史の深さを感じさせた。あと江戸時代に描かれた春画もたくさんあった。


ここでは行為を思わせる半裸の男女の舞が和太鼓のドコドコした音に合わせて後ろのスクリーンに映っていた。きっとこれも神様に捧げる子孫繁栄などを祈った舞なのだと思う。


そしてろう人形のゾーンへ。こちらは「道鏡艶夢暮壱図」というタイトル。生涯を閉じるまで煩悩に苦しんだお坊さん道鏡が表現されている。お経を上げる後ろにあるのは道鏡の欲望の世界だそう。

「道鏡は座る膝が三つ出来。」と説明文に書かれていた通り、お経を上げていると突然「ビョイーン」と音がして三つめの膝が起き上がる、という仕掛けだった。

また「板東武者出征前夜」というタイトルの戦に出る前夜の武士とその妻の場面や、「百花繚乱太閤幻蕾」というタイトルの豊臣秀吉が女性4人を相手にしている場面など等身大のろう人形で迫力たっぷりに作られていた。どれも動きがあったり音声があったりして、上のお坊さん同様、笑かしてるのか真剣なのかよくわからず、コントのようだった。


他にも西洋の性神を展示したスペースや、


「ラブサイエンス」という男女の身体の作りや妊娠のメカニズムなどを保健の教科書のように展示したスペースもあった。


そして最後は、古いポルノ映画が上映されていた。人生初のポルノ映画と周囲にはたくさんの女性客。こんな時一体どんな表情をしていればいいのだろうと非常にドギマギしたが、映画の中でアクロバティックなポーズが披露されるたびに「おおー!」とか「ええー!」と声を上げる女性客に囲まれていると何だかサーカスを見ているような気分になった。

秘宝館を出たあと、私は山崎ナオコーラの小説に出てくる一文を思い出した。

もし神様がベッドを覗くことがあって、誰かがありきたりな動作で自分たちに酔っているのを見たとしても、きっと真剣にやっていることだろうから、笑わないでやってほしい。

人生初めての秘宝館。次から次へと展示される男女二人組が織りなすそれは、無防備で一生懸命で滑稽だと思った。そんな格好わるい営みの末にひとは誕生するのだから人間とはなんて愛おしい存在なのだろうと、私は何だか泣き出したいような気持ちになった。

どんなに格好よくスマートに生きていても、どうしようもなく誰かを好きにならずにはいられなかったり、欲求に振り回されたりする瞬間はきっと誰にでも訪れるのだろう。みんな本能の部分ではどうしようもない格好わるさを抱えている、という大人だけが知る事実をこの秘宝館はこっそり教えてくれる気がした。

哲学者パスカルは「パンセ」の中でこう言った。
「人間の弱さはそれを知っている人たちより、それを知らない人たちにおいてずっとよく現れている。」
この「弱さ」は「格好わるさ」にも言い換えられるのではないかと思う。性的なことに限らず、自分のどうしようもない格好悪さを自覚して引き受けられることはきっと格好いいのだ。

2015年はたくさん恥をかいて、格好わるさの限りを経験して、かっこいい大人に一歩ずつ近づいていきたい。

2014年12月26日金曜日

トビタテ留学JAPAN事前研修感想 それは研修という名の「己を知る時間」だった


2月に控えるフィリピンへの渡航前に、今回奨学生に採用していただいたトビタテ留学JAPANの事前研修に参加してきた。ロバート・キャンベル氏の講演やヤンググローバルリーダーの方のパネルディスカッション、グループでのプレゼンテーションなどとにかく盛りだくさんな内容だったのだが、特に印象に残ったのは「自分の軸の発見」であった。

私は、トビタテに採用していただいたのはありがたいと思うものの、自分の計画がふわふわとした具体性のないものであることがずっと心苦しかった。そういった中での事前研修参加であり、しっかりとした自分の言葉で計画内容を話せないことに非常に焦りを感じていた。

まずこの研修では徹底的に聞いて書いて話して、聞いて書いて話して、を繰り返す2日間であった。そうやって自分を見つめる作業の中で軸として浮かび上がってきたものは、「他者への尊敬」と「文章を書くこと」だった。

恥ずかしながら、私は大学で建築を専攻しつつも今まで建築が好きだと胸をはって言えなかった。設計が得意でない自分にいつも負い目を感じていた。今思えば視野が狭いのだが、設計こそが建築の世界の中で最もキラキラ輝くメインステージのように見えていて、私もそこに立てるものなら立ちたかった。デザイナーを名乗れる人になりたかった。

一方で才能溢れる人たちを目の当たりにして、呼吸をするように図面を書いたり模型を作ったりする人がいて、自分にはその才能は持ち合わせていないのだということも嫌というほどわかっていた。けれど認めたくなかった。出来もしない「設計」にみっともなくすがりつきたかった。

研修の中で自分の軸が「他者への尊敬」と「文章を書くこと」だとわかったとき、なんだかとても納得できた。

私は人が好きなのだ。人の生き方に、暮らし方にとても興味があって、それを文章で表現するとき私の心は最も高揚してわくわくするのだと初めて気づいた。9か月前、トビタテに応募するときに「スラムで調査をしたい」と思った動機は、きちんと自分の軸から生まれたものだったとわかってとても腑に落ちた。

「建築を専攻してどうしてフィリピンなの?」「どうしてスラムなの?」という問いに対しても、「私は人の生活に興味があって、日本の外の異なる文化圏の人が、異なる経済圏の人がどういう生き方をしているのか知りたいのです。そして発見したことをあなたや誰かに伝えたいのです」と胸をはって説明できる気がした。

残念ながらゼロから格好いい造形を生み出すオリジナリティは持っていなかったけれど、それとは別の軸がちゃんと自分にはあったのだ、とわかって嬉しかった。

この二日間、自分一人だとしんどくて考えるのを放棄してしまいそうなことを徹底的に考える時間を与えてもらえて本当にありがたいと思う。(当初怪しい自己啓発セミナーだったらどうしようと疑った自分を反省する。)

奨学金という誰かのお金で調査に行く、ということはちょっぴりプレッシャーを感じることではあるけれど、でもそのプレッシャーはきっと、現地で「もうだめだ」と思った時に少しだけ踏ん張れる力になるのかもしれない。軸がはっきりした今、計画をより具体的なものにしてフィリピンでの経験をきちんと自分の血肉にしたいと思う。

2014年12月15日月曜日

アートアクアリウムで金魚の艶めかしさに打ち震えた



二条城で開催されていたアートアクアリウムを見に行ってきた。

唐突だが、2月21日生まれの私は小学校低学年まで自分の星座を水瓶座だと思い込んでいた。「みずがめざ」という華やかな音の響きが気に入っていたし、水瓶は薄水色のガラスでできたキラキラとした壺に透明な水がたっぷり入っているものだと信じて、その想像上の美しさにうっとりとしていた。

あるとき、「水瓶座は2月18日生まれまでで、2月21日生まれは魚座なのだ」ということを人に言われ、とてもショックを受けた。「うおざ」というもっさりした音の響きに加え、その魚も、でっぷり太った真っ黒な鯉のようなものしか頭に浮かばず、なんだか可愛くなくてずっと好きになれなかった。

だが、私は魚の美しさを、艶めかしさを何も知らなかったのだ。アートアクアリウムを見終えたあと、魚の星の元に生まれたことをひとり感謝した。

以下、その時撮った写真。


尾ひれは薄い絹のよう。目はどこかをみているようで、どこも見ていないようにも思える。金魚の顔は、表情がわからない。


こういう言い方は不謹慎かもしれないけれど、水槽の中で泳ぎ続ける魚たちはどこか死を思わせた。


鑑賞用に交配され、愛でられるためだけに生まれた金魚は、美しくライトアップされた水槽の中で泳ぎ続ける。それこそが死に向かうまでの唯一の存在意義であるかのように。


金魚が自らの死期を悟っているかなんて知る由もないけれど、泳ぎ続ける姿は、静かにその時を待っているように思えてしょうがなかった。


それが、ぞっとするほど艶めかしかった。

2014年12月13日土曜日

[講演感想]建築家伊礼智さん「小さな心地よい居場所に惹かれて」

伊礼智の「小さな家」70のレシピ (エクスナレッジムック)

建築家の伊礼智さんの講演を聞いた。

講演の中では今まで手掛けられたたくさんの住宅の写真を一つ一つ見せて説明された。そしてその住宅には、昼寝のためだけのスペースや絵本を読むためのふかふかのクッションが敷かれた小さな部屋、2畳ほどの茶室のような空間などまさに小さな心地よい居場所がいくつも作られていた。お話を聞きながら私はふと、自分の幼い頃を思い出した。

今から20年ほど前、いつも保育園に迎えに来てくれた祖母の家に帰ると、私の居場所は居間の食卓テーブルの下だった。テーブルの下に潜り込んで脚と脚の間にぺたんと座り、おもちゃで遊ぶのも絵本を読むのも昼寝をするのもその場所だった。そんな私を見て祖母はよく「もっと広いところに来たら?」「そんな暗いところにいると目が悪くなるよ」と言ったが、そこから出てくるようになったのはもう少し身体が大きくなった小学生の頃だった。

テーブルの下の薄暗い感じ、ひんやりとした床の冷たさ、4本の脚の間に自分が収まる感じ。もうその家はないのだけれど、身体はその時の感覚を鮮明に覚えている。

伊礼さんがご自身の作品を一つひとつ説明されるときに、「単純なプランですけど」という言葉を何度も言われた。けれどそのわかりやすく明快なプランの中には、私にとってのテーブルの下のような、たとえその家で暮らすことがなくなっても記憶や感覚に残り続けるだろうなと思える空間がいくつも作られていた。

「自分が作るものは、地味で質素で簡素でいい。でも一目見て人の心を揺さぶるものを作りたい、ということを50歳を超えてやっと思った。」という言葉が印象に残った。

質疑応答の時に一つだけ質問させていただいた。
「一目見て人の心を揺さぶるものを作るためには、どのような勉強、経験が必要ですか。」と。

それに対しておだやかな口調でこう答えられた。
「目を養い、手を練れという言葉があります。とにかくいいものを見て、それを書き写してください。私は吉村順三さんの品のある建築が好きですが、先生や友達にもいい建築は何か尋ね、それをひたすら見て体験してください。」

やはり一朝一夕には身に着くものでないのだなと痛感したが、幼いとき、私は確かに小さな心地よい場所を体験していたのだということを思い出して、なんだかとても嬉しかった。