死の行進
十六人の将校をふくむ七万人以上のフィリピン人およびアメリカ人兵士たちが、バタアンで武器を捨てた。降伏後、彼らは勝利者である敵の残忍な扱いを受けた。飢え、渇き、病い、疲労で極度に衰弱していたにもかかわらず、彼らは、パタアンのマリベレスからパンパンガのサンフエルナンドまでの全行程を行進するよう、強制された。この悪名高き「死の行進」中、フィリピン人約一万人、アメリカ人約千二百人が路上で死亡した。サンフェルナンドで生存者は有蓋貨車につめ込まれて、ターラックのキャパスにあったオドンネル・キャンプにつれてゆかれ、全員が収容された。その結果、飢えや病気でほとんどが死亡した。最終的に家族のもとに帰れたのは、ごく少数であった。
(越田稜編著『アジアの教科書に書かれた日本の戦争』梨の木舎、一九九〇年)
逃れられない歴史ではありますが、目を背けたくなります。日本兵が過去にしてきた残虐な事実を知ることは心が重くもなります。しかし何が起こったのか、なぜ起こったのか、どういう流れで、どういう経緯で、ということを知ることは同時に過去の人々への償いにもなると思うのです。過去は塗り替えがききませんが、未来の私たちが同じ過ちを犯さないよう、自らの歴史について詳しく知りたいと思います。
昨日バタアン死の行進関連で聞いた話があって、すごいタイミングだなと思っていました。
返信削除今中等学校で働いてて、その歴史の先生がちょうどこの話をしていて、山口さんの書いたことは一般的に言われていることで、それとは別の説もあるそうです。その説の中では、日本兵と捕虜が助け合いながら(というのは美化しすぎ感ありますが)歩いた、というものです。実際、あの行進を指揮したのは大阪の師団らしく、そこから戦犯はでていないそうです。
何が本当かということは、人によって全く異なります。意見が食い違うのは勘違いもあるかもしれないけど、それよりも立場とか価値観とか、そういうものが違うから起こると思います。
いろいろなものを見るとき、いろんな立場の人から意見を聞いて、判断することが大事だと思います。
ちなみに、自分自身はどちらが真実であるのかという判断は全く付けられていません。だからこそ、インタビューの内容がすごくすごく気になります。たぶん戦中戦後にかけて、アメリカの影響が強かったフィリピンで、現地の人たちは何を経験してどう捉えていたのか、とても関心があります。
返信削除インタビューの結果とか、プレゼンテーションどんなものになったのか、また教えてください!
山本さん
返信削除バタアン死の行進について調べていますが、日本の視点アメリカの視点だけから語ったものがほとんどのように感じます。フィリピンで私がバタアン死の行進についてプレゼンテーションするという意味はきっと、フィリピンの人々の思いを知ることなんじゃないかと思っています。