2016年11月30日水曜日

箱根


少し前の週末に、箱根へ行った。土曜日のお昼のロマンスカーは満席だった。王道の旅行先だけある。箱根までは新宿から1時間半。その距離がいいんだと思う。遠すぎず、近すぎない。

夕方、温泉街を歩く。川が流れる音とぶらさがる提灯。手をつなぐたくさんのカップル。街全体がじめっと湿っぽかった。

箱根には美術館がたくさんある。それから山と川と温泉。バスはぐるぐると循環している。綿密な計画を立てなくても、それなりに楽しい場所へあまり時間もかからずに移動できる。

若いカップルの初めての旅行にもちょうどいいだろうし、熟年夫婦の旅行にもちょうどいいんだろう。王道の旅行先だけある。

記憶に残ったのは、ポーラ美術館のトイレの洗面台だ。たっぷりの光と丸い鏡。清潔で、かっこよかった。化粧品を作っている会社なだけある。

写真を撮ればよかったのだが、その時私はお昼に食べたアイスのせいで腹痛が止まらず、それどころではなかったのだ。

2016年11月29日火曜日

ピアス

指輪やネックレスと違って耳たぶの飾りは自分では見えないのに、私はピアスを欠かさない。うっかりつけ忘れるとその日はずっと元気が出ない。

先日、祖母の見舞いのあと新幹線で東京に戻った。祖母には申し訳ないが、病院にいると心が沈む。新幹線を降りると滋賀とは比べ物にならない人の数に、街の圧倒的な生命力を感じた。心からほっとした。

何か綺麗なものを見てから家に帰りたい。キラキラしたものに囲まれたい。洋服でも、靴でも、アクセサリーでもなんでもいい。そう思って新宿のルミネに行った。

作家の作品ばかりを集めたお店で、強烈に「欲しい!」と思うピアスを見つけた。ビオラの花を模した複雑な色合いのピアス。値段は1万1千円だった。

お店には、華やかで心が踊りそうなパステルカラーと、秋冬にぴったりなスモーキーカラーの2色が並んでいた。今買うならスモーキーカラーの方が服に会わせやすいけど、パステルカラーも春夏にぴったりで、可愛らしい。

店内をぐるぐるまわって物欲を落ち着かせようとするが、気分はどんどん高揚する。

両方買ってしまおうか。2万2千円か。ティファニーとかに比べたら安いではないか。仕事も色々あって大変だったし、朝が苦手なのに毎日早起きもよくやってると思う。買っちゃえ買っちゃえ買っちゃえ買っちゃえ。物欲はささやき続ける。

指輪やネックレスと違って、耳たぶの飾りは自分では見えない。でも顔の一番近くで、自分をきらきらと彩ってくれる。だからアクセサリーの中で一番好きだ。

それからというもの、インスタグラムでそのブランドの写真をうっとり眺めている。そのピアスをつけている自分を想像する。ずっとずっと素敵になれる気がする。

その瞬間はいつも、仕事で失敗ばかりしてしまうこととか、こめかみのニキビがずっと治らないこととか、私の素敵じゃない日常を、忘れさせてくれるのだ。

2016年11月28日月曜日

命の終わり

実家で飼っていた犬が亡くなった。
いるだけで幸せな気分になる存在は貴重だと、いなくなってから痛感する。

彼は、私の弟を一番慕っていた。ちょうど弟の外出中に亡くなったのは、亡くなる姿を見せまいと思ったのだろうか。

11年間、幸せをふりまいてくれてありがとう。

あーどの写真も可愛くて、いっぱい載せちゃう。













2016年11月26日土曜日

私の大学時代

出張のあと、急いで新幹線に乗って大学の先生のお祝い会へ。

100人もの卒業生が集まった一次会には間に合わなかったけれど、二次会に途中参加した。それでも何十人もの卒業生。

私が40代になったとき、自分のために100人もの人が集まってくれるだろうか。
久しぶりに出会った先生は、相変わらずエネルギーの塊のようだった。

この人は自分に真剣に対峙してくれている。そう思わせてくれる先生だった。
みんながそう思うから、こんなにもたくさんの卒業生に慕われるんだろう。

卒業後、とある用事で送ったメールに来た先生からの返信を、今でもたまに読み返す。

「仕事は厳しいでしょうが、こつこつと様々な手段を覚えてください。
それでも、その手段を使う目的は、大学時代に経験した様々なことがベースになりますので、大学時代に学んだことは、ゆっくりといかされると思います。
近くに来られる際は、気軽にご連絡ください。
研究室の扉はいつも開いています。

研究室にいた1年は長い人生でみれば短い時間だけれど、振り返ると圧倒的にきらきらした時間だった。

2016年11月15日火曜日

生き延びたい

遠い親戚の通夜に参列した。
故人が好きだったのか、サザンの音楽が鳴っていた。

誰もが重々しい表情をした会場で、「今何時?」と歌う桑田佳祐の声。

私の通夜があるなら、ジョージウィンストンのピアノをかけてほしい。短調の、悲しい音楽がいい。

通夜の会場で僧侶の読経を聞きながら、高校生のとき初めて買った自己啓発本に書かれていた言葉を思い出した。

「あなたが死ぬとき、何人が泣いてくれますか?」

アメリカ人の弁護士でコンサルタントという人が書いたよくある内容の薄い自己啓発本だったと思う。泣いてくれる人がいるように生きよう、みたいなことが書かれていた。

私はぼんやり、あの人とあの人は泣いてくれるかなあ、といつか来る自分の葬儀を想像した。そしてその思考の傲慢さにぎょっとした。

泣いても、泣かなくてもいいじゃないか。

堀江貴文は、毎日今日死ぬと思って生きているらしい。死を意識するとパフォーマンスが向上する、と彼の本に書いてあった気がする。

私は明日も明後日もしぶとく生きたい。毎日の60点、いや30点でいいからずるずる長生きしたい。

そして死ぬ瞬間、「よくここまで生き延びた」と自分にちょっとだけオッケーを出して、ひっそり世界からいなくなりたい。

そのとき誰から泣こうが笑おうが、そんなのわからない。でも、悲しんでくれる人がいると、やっぱりちょっと嬉しいと思うだろうか。

2016年11月14日月曜日

祖母の見舞い

実家に帰り、祖母の見舞いに行った。
前に会ったときよりも、身体がきゅっと小さくなったように感じた。

口元の産毛をそってあげた。ついでに、眉毛も整えた。
祖母の肌はフワフワと柔らかく、25歳の私の肌よりもずっと綺麗だ。私の肌は、今でもストレスや食生活のせいで吹き出物が現れる。

祖母に、会社の愚痴を言った。
「世の中しょうもない人もたくさんいるけど、気にしすぎたらあかんで」と言われる。

また来月来るね、と言って病院を後にした。

顔剃りを喜んでくれたのでお化粧もしてあげたいけど、化粧は落とすのが大変かもしれない。
次に見舞いに行くときはマニキュアを塗ってあげよう。
コテを持って行って髪を整えてあげよう。
綺麗にすると、元気が出るよね?どうか祖母もそうであってほしい。
孫はこれくらいしか、出来ることがない。

老いていく姿を見るのはつらい。だけど命は有限なのだと知る。
生きている間は楽しいことで自分の人生を満たそう、と思った。しょうもないことに囚われている場合じゃないのだ。

2016年11月6日日曜日

どんな家に住みたいか

独身の女性たちと、マンションをめぐるお話の「プリンセスメゾン」という漫画がとてもよかった。
自分の家のことを、考えようと思った。

今、自分が生活している社員寮のマンションに特に不満はない。
けれど、6畳のワンルームはたまにとても狭く感じて、服も、本も、買って増えるにしたがって、定期的に今持っているものを手放さなければいけない。そういうとき、部屋に支配されているなあと思う。

建築学科に在籍していたのにも関わらず、自分はどんな部屋に住みたいのか考えてみても、うまく想像できない。お風呂に窓があって、ベランダはハンモックを置ける広さが欲しい。理想の家を考えるとき、なぜか、マンションを前提としてしまう。土地を買って、自分の家を建てる未来はきっと来ないだろうと思う。

フィリピンにいたとき、窓ガラスのない部屋に住んでいた。窓は格子だけだった。4階だったので、虫は入ってこなかった。自分で決めたそのアパートの家賃は、毎月2000円だった。

たまに、そのときの生活を思い出す。今、狭い部屋だけど都心にもほどほどに近く、オートロックもついている家に住まわせてもらっていると、自分がとても分不相応な生活をしている気持ちになる。

記憶のなかにいる、窓ガラスのない部屋にいた私は、とても強くて勇敢だった。別人のような幻影を、時々思い出してしがみつきたくなる。その瞬間だけ、弱い自分がいなくなる気がする。

週末に、私は、家じゅうをピカピカにする。キッチンも、トイレも、お風呂も。部屋に落ちたほこりも念入りに取り除く。それは家を大事にしているからではなく、単に、休日にやることがないからだ。