遠い親戚の通夜に参列した。
故人が好きだったのか、サザンの音楽が鳴っていた。
誰もが重々しい表情をした会場で、「今何時?」と歌う桑田佳祐の声。
私の通夜があるなら、ジョージウィンストンのピアノをかけてほしい。短調の、悲しい音楽がいい。
通夜の会場で僧侶の読経を聞きながら、高校生のとき初めて買った自己啓発本に書かれていた言葉を思い出した。
「あなたが死ぬとき、何人が泣いてくれますか?」
アメリカ人の弁護士でコンサルタントという人が書いたよくある内容の薄い自己啓発本だったと思う。泣いてくれる人がいるように生きよう、みたいなことが書かれていた。
私はぼんやり、あの人とあの人は泣いてくれるかなあ、といつか来る自分の葬儀を想像した。そしてその思考の傲慢さにぎょっとした。
泣いても、泣かなくてもいいじゃないか。
堀江貴文は、毎日今日死ぬと思って生きているらしい。死を意識するとパフォーマンスが向上する、と彼の本に書いてあった気がする。
私は明日も明後日もしぶとく生きたい。毎日の60点、いや30点でいいからずるずる長生きしたい。
そして死ぬ瞬間、「よくここまで生き延びた」と自分にちょっとだけオッケーを出して、ひっそり世界からいなくなりたい。
そのとき誰から泣こうが笑おうが、そんなのわからない。でも、悲しんでくれる人がいると、やっぱりちょっと嬉しいと思うだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿