2014年4月29日火曜日

ものを作れない人間

小学生の頃、書道を習っていた。
硬筆は得意だった。お手本を見て、忠実にその文字の形を真似ればいいのだから。

毛筆は苦手だった。線の勢いだとか、かすれ、にじみ。それにはお手本が無い。正解もない。のびのびした文字、味のある文字。そんなのちっとも理解できなかった。毎週通ってもずっと昇級できず、筆を持つのがいやでいやで仕方なかった。

先生にどこが良くないのか助言される度に落ち込んだ。助言を守ろうとすればするほど、緊張し、筆を持つ手は震え、線は弱々しくなった。書けない自分に悲しくなり、よく教室のトイレにこもって泣いた。

そのうち、教室に行って筆を持つだけで条件反射のように涙が出るようになった。目の前の半紙が水滴で濡れた。すずりに入ったたっぷりの墨は、黒々として飲み込まれていきそうな気分になった。

全身の細胞が拒否している、と思った。もう私は何も書けない。
ちょうど小学校を卒業する時期だったので中学進学を理由に書道をやめた。

今、またその当時と同じような状況にいる。パソコンを開くたび、みっともなくめそめそと泣いている。あの頃のようにうやむやに辞めることも出来ない。

私の悪いところは、すぐ全てを否定してしまうところだ。1つできないことがあると、私はこんなことも出来ない、もう何もできないという思考回路を辿ってしまう。

作れない。私には何も作れない。

泣いても何も解決されず、パソコンの画面は滲んでよく見えない。ただ空虚に、私の顔をぼんやりと照らすだけだ。

2014年4月27日日曜日

あなたがどうやって作られてきたのか

男女関係なく、なんて素敵な人なんだと思ったときその人の小さい時のことについて質問攻めにしたくなる衝動に駆られる。

「どうやって育てられたの」
「小さい時にはどんな絵本読んでもらったの」
「何をして遊んでいたの」
「何をして怒られたことがあるの」
「大好きだったキャラクターは」
「好きな乗り物は」
「外で遊ぶのが好きだった、それとも部屋の中」
「1人、それともみんなで」

その人の性格が、人格がどのように形成されたのか知りたくなる。そして図々しい質問じゃないだろうか、と不安になって質問は永遠に口から出てこない。

そのかわり、一人で想像する。その人の高校生の時、中学生の時、どんどん遡っていく。その時出会っていたら友達になっていただろうか。いや、きっと陰から羨ましげに眺めていたに違いない、と思う。

2014年4月26日土曜日

結局自分が経験してきたことしかアウトプットできない

久しぶりに弟に会ったら私のTシャツを着ていてぎょっとした。「返してよ」と言うと「あんたもやろ」と言われた。そう、その時私も弟のパーカーを着ていたのだ。

弟は、これは姉バカでも何でもなく、服のセンスがいいなあといつも不思議だった。音楽のセンスもいい。ピアノがかっこいい曲教えて、などと聞いて弟からおすすめされた曲はだいたい気に入る。

だけど気づいてしまった。弟が特別センスがいいわけじゃなかったのだ。

小さい時から、同じ色に囲まれ、同じ音楽を聴かされ、同じ旅行先に連れて行かれ、当然のことながら同じようなものが好きになったというだけのことだったのだ。育つ環境が同じだとここまで感覚が似るのかとややぞっとする。それほど幼い時の環境の影響力は大きい。

最近、自分の好きなものが自分の育ってきた環境に非常に影響されていると強く思う。色彩や造形など、「ひらめいた!」と思ってもそれはかつて経験していたものだったりする。

産まれた時から育まれて続けてきた自分の感覚を変えたいとは思わない。だけど、たまにはそれをポーンと飛び越えるような発想をしたいと願う。そしていつまでたっても、そんな瞬間は訪れない。

ひたすら綺麗なものを見て、経験して、自分の感覚を養いつづけないといけないのか、と途方に暮れるのだ。

2014年4月25日金曜日

勧誘されやすい人間の悲しみ

懐かしい友達に久しぶりに会おうと言われた。

見た目は全然変わっていなかったが、社会人2年目になる彼女はどこか大人びて見えた。営業の仕事の話を聞き、私は大学のことや留学していた時の話をした。にこにこしながら「うんうん」と聞いてくれていたけど、バリバリ働く彼女に対して相応しい話題を提供できなくて悪いなとちょっと思った。

2時間ほど話し、おもむろに彼女は自分の会社で扱う商品の説明を始めた。「あれ」と思う。心の中に違和感が広がる。要するにその商品を買わないか、という営業だったのだ。
「ごめん、貧乏学生だからそんな余裕なくって」と言った。その後、彼女からLINEのメッセージが届くたび気が重くなる。もう、会いたくないなと思った。

私はダマされやすそうな顔をしているのか、よく何かの勧誘をされる。新興宗教に関しては大学に入ってから6回、今でも人通りの多いところを一人で歩いていると声をかけられる。なんでだろうね、と母に聞いたら彼女もまた昔はそうだったようで、これはもう完全なる遺伝だ。

話しかけてくる人たちは皆一様に、にこやかで親しみやすそうだ。もちろんいきなり勧誘してきたりしない。道を聞かれたり、美味しいアイスクリーム屋さんはどこかと聞かれ、何も知らない私はそれに全力で答えたいと思う。

けれど話すうちに、「あれ、どうしてこの人は私の個人的なことを聞きたがるのだろう」「初対面の人間の連絡先を知りたがるのだろう」と徐々に心に疑いが生じ始める。そして「こんなイベントやってるんですよ」だとか「こんな勉強会あるんですよ」と見せられたチラシやノートに、幸せ、自己、神などの言葉が並んでいるのを見て確信する。「ああ、宗教の勧誘だったのか」と。

その後いつもどっと身体が疲れる。そして少し悲しくなる。道に迷ってなんかいなかったんだ。美味しいアイスクリーム屋さんなんか探してなかったんだ。彼らにとって私は勧誘しやすそうな駒でしかなかったんだ、と思う。

冒頭の営業の彼女にとってもまた、私は「顧客1」でしかなかった。もちろん宗教の勧誘の人と営業の彼女を一緒にするのはちょっと乱暴な気がするし、商売は商品を買ってもらわなければ成り立たない。

自営業を営んでいた祖父に昔、言われた言葉がある。「どこでお客さんになってくれるかわからないのだから、周りの人を大事にしなさい。」
そうやって人脈を作り戦後の大変な状況の中、一馬力で商売してきた祖父を私はとても尊敬する。

だから彼女が自分の人脈を使って知り合いである私に営業活動をするのはわかる。だけど心が重くなったのは、あたかもそんなふうじゃない、商売のためじゃないという様子で近づいて来られたことだった。それは新興宗教の勧誘の人が最初、道を聞いて来たり美味しいアイスクリーム屋さんはどこですか、と聞いてくることとよく似ていると思った。

勧誘してきてもいい。商品を売ってきてもいい。だけど、困っているふりをしないで、友達のフリをしないでと思う。

だって、勘違いしてしまうじゃないか。

2014年4月23日水曜日

柔らかい春の陽気の中ずっと眠り続けていたい

びっしりと道を埋め尽くしていた桜の花びらは一体どこに行ってしまったのか。花の季節は終わり、緑の葉っぱたちは太陽の光を浴びてきらきらと光る。

「ここ最近頭がぼんやりしてずっと眠いんよ」と人に言うと、「春眠暁を覚えず、だね」と言われた。そうか、昔からみんなこの時期は眠いんだ。

春はいい季節だ、と思う。勝手に、頭がぼんやりさせられていく。

将来のこと、未来の自分を考えると不安で眠れなくなることがしょっちゅうある。わけもわからず泣きたくなったりする。自分の中から発生する感情を私はコントロールすることが出来ない。

だけど、春は、季節という外的要因によって無理やり自分のバイオリズムがコントロールされる。暖かな気温、風、気圧それらに身体が飲み込まれて、頭がぼんやりとしていくなか、自分の中から生まれた不安の泡はだんだん小さくなっていく。

日本に四季があってよかった。特に、春はとってもいい。
もちろん、フィリピンのあっけらかんとした常夏も大好きなのだけど。

2014年4月22日火曜日

恋愛中の私はそれ以外の私と上手く共存できない

好きな人と手をつないで街を歩けない。
友達に好きな人を紹介できない。
まして親になんてもってのほか。

私は、自分が恋愛をしている姿を人に見られることを極端に恥ずかしいと思う。いや、それは恥ずかしさともまた違う、複雑な感情を引き起こす。この居心地の悪さ、むずがゆさは一体何なんだと思ったときに、「私の恋愛する人格は他の人格とうまく共存できないのだ」と気づいた。

みんながみんなそうかは分からないけど 、人は自分の中にいくつもの人格をもっていて、それを関わる人に対して使い分けている。真剣に話したい人には真面目な部分を見せるし、面白おかしく話したい人にはテンション高く冗談もたくさん言う。英語圏の人相手に英語を話す私は、無意識のうちにオーバーにリアクションし、普段よりテンション3割増しになる。タガログ語を話すときは、陽気に明るくなって人前で歌ったり踊ったりもする。関わる相手、使う言語によって意識しなくても人格を使い分け、その集合体によって私の性格が形成されている。

私にとって恋愛をする人格は相手にしか見せないものであり、普段はずっと心の中の奥の方に鍵をかけてしまわれている。無理やりひっぱり出してこようものなら、本来とは違う場所に連れてきているものだから、とたんに居心地悪いようなむずがゆいような気分になる。だから、公共に対しての人格、友達に見せる人格、親への人格、これらと恋愛をする人格はうまく共存してくれない。こいつは、暗闇からいきなり明るいところにつれて来られて、うろたえてしまうのだ。

道行く仲睦まじいカップルを、冷静な人格は羨ましいと思う。そう思っていることに気づいた恋愛する人格は、もっともっと奥の方に鍵をかけて閉じこもってしまう。そして、まあ無理やり引っ張り出さなくてもいいか、時間がたてば自分から出てきたくなるだろう、とその他大勢の人格はその様子を穏やかに見守っているのだ。

2014年4月20日日曜日

見てきた!フィギュアスケート!

何事もテレビを通さず生で見るというのはとても迫力があるが、フィギュアスケートも生の迫力はすさまじかった!ジャンプってこんな高く飛んでるのか、とかこんなに早いスピードで回転してるのか、とか人間の身体能力にひたすら驚いた2時間半だった。

特に印象に残った選手の詳細を。

トップバッターは織田信成選手。小柄な身体はくるくると動き、笑顔が本当に魅力的でエンターティナーだった。

鈴木明子選手。この選手のスケートは迫力があった。柔らかい動きが本当に綺麗でバレエを見ているようだった。

村上佳菜子選手。真っ赤な衣装に妖艶な表情。後半にかけて曲のテンポが上がっていくにつれて会場の手拍子もヒートアップしていき、ぐいぐい引き込まれる演技だった。

町田樹選手。身体の芯が真っ直ぐで、姿勢がすごく良くて、手足はどこまでも伸びやかだった。荘厳な雰囲気の曲と白からブルーにかけてのグラデーションの衣装もとても美しかった。

アデリナ・ソトニコワ選手。黒い衣装で髪を振り乱してブラックスワンを踊る様子はもはやフィギュアというスポーツではなく舞台芸術のようだった。白鳥の湖では悪の象徴であるブラックスワン。その悪であることの虚しさや絶望感を全身から爆発させているような演技だった。見終わった後、思わず茫然自失。。すごいものを見てしまったという感じ。これぞ金メダリスト。

パトリック・チャン選手。身体の柔軟性がすごくて、動きが本当にしなやかだった。無駄な脂肪は一ミリもなく筋肉がぎゅっとつまった細い身体は芸術作品のようだった。

カロリーナ・コストナー選手。身長の高さが演技をダイナミックに見せていて、アベマリアの旋律に合わせ包み込まれるような演技だった。

そして羽生結弦選手。12頭身ぐらいなんじゃないかと思うほどのスタイルの良さ。手足は細く長く、1秒1秒の動きが美しかった。なんだか圧倒されてしまい、涙が出て仕方なかった。隣の人も泣いていた。美しいものを見ると人間って涙が出るんだなと思った。

そしてそして浅田真央選手!ベージュのキラキラした衣装に身を包んで、ポニーテールを弾ませながらするすると氷の上を滑る姿は本当に妖精のようだった。重力なんかこの世に存在しないかのようにふわっとジャンプし、くるくると回転し、高く足を上げる。関節などないようななめらかな手足の動き、そしてすごい運動量にもかかわらずずっと微笑んでいる表情!1秒たりとも見逃したくないとまばたきを忘れるほどだった。

あっという間の2時間半だった。本当にすごいものを見てしまったと思った。アルバイト5日分のチケット代を払っても、これからモヤシばっかり食べる節約生活になるとしても、見て良かった。こんなすごいものが見られる世界に生きていて、良かった。