2014年11月27日木曜日

元ブータン王国地方行政プロジェクト専門家津川智明さんの講演感想と完全に止まっている自分


「ブータン王国のボランティア政策の変遷」というタイトルの津川智明さんの講演を聞いた。

ご自身もアフリカのマラウイでの青年海外協力隊を経験されており、ブータンでは協力隊員の調整員という仕事をされていたため、今回の講演の中でも現在の青年海外協力隊の活動事情についてお話された。本当に多くの人がボランティアをしに海外に出て行き、仕事を定年退職した人もシニアボランティアとして活動しに行っている現実にただただ驚いた。

問題があり現地から要請され、そして派遣されて2年間活動する。その経験の感想は、「何かをしてあげたのではなく、自分がたくさん学ばされ成長した」というのが多いことが印象的だった。

Yゆるす、Aあたえる、Kかんしゃする

なお、講演後にスマホで津川さんのお名前を検索して見つかった津川さんの半生を特集した記事がとても面白かったので、こういう個人的なお話ももう少しお聞きしたかったなあと思う。

さて、話は変わるが、来年2月から行くフィリピンでのスラム調査のことである。具体的な内容を決めなければいけないのに、まだ全然決められていない。色んな先生にアドバイスばかりもらいに行って、言葉は悪いが「アドバイスもらいビッチ」みたいになっている。トビタテ留学JAPANという国の奨学金プログラムを利用して行くことの責任もあり、何も決まらない現実に焦りばかりがつのる。

トビタテに応募したときは、頭の中にある大きなイメージをプレゼンテーションしただけだったので、自分の留学経験などを照らし合わせて採用してもらったのだと思うが、さて実際に、道具は何を使って、対象地はどこで、誰に、何を、どうやって調査するのか、というように具体的に計画を作る段階で先に進めないでいる。ある先生には「そもそも調査なんて一人でやるものではない」と言われ、完全に途方に暮れている。

本当に何とかしなければいけないのだけれど、どうしたらいいのかわからなくてしんどい。

2014年11月25日火曜日

[映画感想]ブルース・ブラザーズ 踊らなきゃいけないときもある

ブルース・ブラザース [DVD]

この映画は踊りながら見る映画だ。

唐突だが、私は踊るのが苦手だ。数年前に人に連れられて初めてクラブという場所に行った時、薄暗く、派手な照明がぎらぎらと光り、大音量で音楽が響く空間を全然楽しいと思えなかった。踊る人たちを横目にわずかに音楽に合わせて肩を揺らすのが精一杯で、そこには恥ずかしさしかなかった。

いつからだろう。音楽に合わせて踊ることを恥ずかしく思うようになったのは。おそらく小学校低学年ぐらいまでは平気だった。けれど成長に伴い社会性という鎧を身につけ、恥ずかしさが先行するようになった。それは正常な成長の過程であったし、現在の私が街で流れてくる曲に合わせていきなり踊り出したら、たちまちおかしな人とみなされてしまうだろう。

けれど、社会性という鎧は時に自分を不自由にさせる。大人になっても思わず音楽に合わせて身体が動きだす瞬間はあってもいいのに、それを無いものとして抑えつける。それをやはりどこかで解放したくなる。

この映画では、歌がたくさん出てくる。そしてそれに合わせて劇中の大人たちが踊る踊る。その楽しさが画面からこれでもかと伝わってくる。そうだ、音楽に合わせ、リズムをとって、身体が揺れて、そして魂が震えるのがロックなんだよな、と思えてくる。

特に、最初の教会のシーンは思わず画面の中に入って行きたいと思うほど、はしゃいでいる大人たちを見るのが楽しい。そして、劇中アレサ・フランクリンの歌う「Think」(GUのCM曲)に合わせて一緒に踊ったときは気分が高揚し、それはまさしくロックな瞬間であった。

そうやって発散して、私はまた社会性という鎧でがちっと身を固めるのだ。

2014年11月12日水曜日

クリエイティビティを育むには人に見せられない世界をもつことではないかと鳥獣戯画を見て思った


京都国立博物館に現在展示中の鳥獣戯画を見に行ってきた。

中学生の時に美術の教科書で見た、ひっくり返るウサギや踊るカエルが生き生きとした線で描かれており、彼らは今にも動き出しそうだった。

この展示を見に行く前、日曜美術館という番組でこの絵の特集があった。もともと1枚の紙の表裏に描かれていたこの絵は、私たちがチラシの裏に落書きするような感覚で描かれていたのかもしれないそうだ。作者といわれる鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)が、きっと自分一人で楽しむためだけに描いていたのだろう、と番組の中で語られていた。

たしかに鳥獣戯画は生き生きとしてとても面白い絵だった。この面白さはどこから来たのか。私は、絵を見ながら、以前アメトークという番組でキングコングの西野が話していたエピソードをふと思い出した。彼はお笑い芸人ながらも絵本作家としてデビューするほど絵が上手い。その絵はボールペンで実に緻密に描かれ、ちょっと見る人を圧倒させるような絵だ。西野が、絵が上手くなった理由を尋ねられ、こう話した。

中学生の時の自分は、友達にクールな奴と思われたくていつも格好つけていた。だから性に興味を持ち始めたとき、そういう本をどうしても見たかったが、格好つけていた自分は友達に貸してと頼めなかった。そこで仕方なく自分で、女性の裸体などを描き始めたそうだ。一度描き始めた中学生男子の性への好奇心は止まらなかった。その好奇心が彼にどんどん絵を描かせ、その結果、類まれなる画力を手に入れたそうだ。

中学生男子の性欲に突き動かされたクリエイティビティと鳥獣戯画を一緒にするのは、作者の鳥羽僧正に申し訳ないが、両者の共通点は、自分の世界の内部で誰にも見せるつもりがなかったものが、結果的にすごい画力、価値のある絵を生み出した、ということではないだろうか。

下半身を丸出しにして男たちが踊る絵を見ながら、鳥羽僧正もまた、いつもは真面目に僧として仏教の教えを人々に説きながらも、実は下ネタが大好きだったのかもしれない、と思った。でも僧である自分はそんなこと人に言えない。人に言えないからこそ想像力を思いっきり膨らませ、自分の世界をどんどん肥大させていったのだろう。そうやって誰にも見せるつもりなく、動物たちを人間のように躍らせ走らせ、架空の動物たちは空を舞い、男たちは全裸で踊る絵を一人、大笑いしながら描いていたのかもしれない。それが800年経った今、何百人もが列をなして一目見ようとやって来るとは、なんて面白いことだろう。誰にも見せるつもりのなかった自分の世界が公開され、鳥羽僧正は今、赤面しているだろうか。

大学の後、急いで大阪から京都へ行き、130分並んでほんの一瞬、鳥獣戯画を見た感想。それはクリエイティブな人間になるには、自分の中に人に言えない無限の宇宙を持つことだ、ということであった。

さて、私はどうやって自分の宇宙を膨らませることができるだろうか。

2014年11月10日月曜日

生活することは戦いではなかった

久しぶりに実家に帰ると、父がクリームシチューを作っていた。気持ちよく晴れた秋の土曜日の昼下がり、シチューの甘い匂いをかぎながらぼんやりと机の上の新聞を読んだ。この平和で平凡な時間に、何だかめまいがするかと思った。

一人暮らしをしていると時々思う。生きることは戦いだ、と。溜まった洗濯物を洗って干すこと、食器を綺麗にすること、ちらかった部屋を片づけること、溜まったごみを捨てること。家事とはマイナスをゼロにしていく作業だ。その作業を毎日、営々と繰り返すのだ。

それは下っていくエスカレーターに乗りながらも、抗って上に行こうとするようなものだと感じていた。生活するとはなんて途方もないのだろう、そう思っていた。

実家に帰ったときに感じた幸福感。それは、私はあまりにも無意識で気が付かなかったけれど、確かに父と母と祖母がきちんと生活を営んでいたのだという事実を思い知らされたからであった。毎日手作りのごはんを食べさせてもらうこと。服を綺麗に洗ってもらうこと。片付いた家に帰って来られること。家族の中にいた時にはそんなことに無自覚で、わがままな私は時に彼らを疎ましく思ったりもした。

けれど、ずっと家の中は、どこまでもひたひたと幸せで満たされていたのだった。その事実に何だか頭がくらくらし、生活することは楽ではないけれど、戦いではないのかもしれないな、と少し思った。

2014年11月8日土曜日

書くどー!

8月31日に夏休みの宿題をまとめて一気にやるタイプだった私は、最近も変わらず締切間際に焦る日々であったが、やっと色んなことから解放されたためブログを再開しようと思う。

2014年10月7日火曜日

無関心砂漠からの脱し方

高校時代のある英語の先生の話だ。
当時50代ぐらいのその先生は、いつも奇妙な教え方をした。

教室の中で特定の一人の男子生徒を選び、徹底的に話しかける。一人ひとり生徒を当てていくのではなく、その男子生徒だけに教科書の訳を読ませる。その他の生徒は苗字を呼び捨てにするが、その男子生徒だけは下の名前で呼ぶ。他の生徒には不愛想でそっけないが、その男子生徒には相好を崩し笑顔を見せる。その男子生徒には冗談を言い、イジる。

その先生は、私のクラスだけでなく他のクラスでも特定の一人を見つけ同じような接し方をしていたそうだ。そのやり方はもはや確立された先生の授業スタイルだった。その特定の一人の共通点は、クラスのイジられキャラであり、だからちょっと弱かった。決して先生に歯向かったり無視をしたりしない優しいお調子者が選ばれた。

私はその先生の授業のやり方が理解できなかった。とても苦手だった。別に特定の一人になりたいわけではないが、普通に教えたらいいのにと思っていた。

でも今思う。先生、居場所を作りたかったんだな。

少し前、教室で80人ほどの前で話す機会があった。教壇に立ってみて驚いたのは、聴衆の関心が自分に向いているかいないかは一瞬でわかってしまう、ということだった。これはとても恐怖だった。内容がつまらないとどんどん関心がなくなっていく。「ああ、お願い。離れて行かないで」と心の中で嘆願した。

話を聞いてもらっているとき、そこに私の居場所は存在する。だが、みんなが無関心になるともはや私がそこにいる意味はなくなってしまうだろう。誰も私に関心を向けない瞬間。無関心の砂漠に放り出される恐怖を初めて想像したとき、その先生のことを唐突に思い出した。

高校時代、私が在籍していた理系クラスでは英語が苦手な生徒が多かったように思う。だから数学や物理に比べると、英語の授業にかける集中度は低かっただろう。加えて、その先生は特別話が面白いわけでもなく、また人柄に人気あるというわけでもなかった。いつもむすっとした顔で早口にまくし立てる先生の授業を、一体どれほどの生徒が好意的に、そして関心をもって聞いていたのだろうか。

その先生はきっと、無関心の砂漠の中にいた。だからオアシスのように、心のよりどころのように、特定の一人を見つけた。まわりの関心が自分に向いていなくても、その生徒はイジれる。自分に関心が向くよう冗談を言う。笑いかける。その生徒は弱くて優しいから答える。そうやって無関心砂漠の中でも自分の存在場所を確認していたのかもしれない。

自分が教壇で話すという経験をして初めて、その先生に少しだけ、同情した。哀しさと同時に可笑しみを感じた。

私なら、自分の力で人の関心を引き付けることができないと悟ったとき、一体どうするだろうか。

2014年10月6日月曜日

コミュニケーションをとる上で気を付けることって一体何なの、教えて

私が人とコミュニケーションをとる上で一番気を付けていることがある。
人を、バカにしないことだ。

そんなこと当たり前じゃないか、と思われそうだが私がこの考えに至ったのにはフィリピンでのある経験が理由だ。

留学中、中国人留学生と天安門事件の話になった。その留学生はすごく熱心にその時どういうことが起こってそこに日本はどう関与して、ということを話した。そして私に「どう思う?」と聞いた。私は恥ずかしながら天安門事件の知識が全然なくて返す言葉が見つからなかった。だから「ごめんね、私天安門事件のこと知らなくって」と苦笑いして言った。

すると彼は私の態度にとても怒った。自分の国の歴史を一生懸命話して、そこには日本の影響も少なからずあったのだということを言ったのに、私がへらへら笑いながら「全然知らない」と言ったら自分をないがしろにされたと感じて当然だっただろう。

私自身、全然相手をバカにしようなんてつもりは無かったが、この経験以来、相手がバカにされたと感じる態度や言い方は絶対しないようにしようと反省した。

ただ、「人をバカにしない話し方をしよう」といつも気を付け始めた途端、人の言い方に過剰に敏感になってしまった自分がいる。それはまるで、「今日一日赤いものを見つけないでください」 と言われると、とたんに街中の赤いものが目についてしまう心理学の実験のように。

だから人と話をすると、ごくたまにだがどっと疲れてしまう。無意識のうちに、「ああ、こういう表現はバカにされたと感じるな」など自分の中にリストアップしていき、「よし私はこういう言い方をしないようにしよう」ということを、本来の会話を置き去りにして考えている時がある。

そういうことを考えているとき、私はおそらく会話に上の空な顔をしているだろうし、そういう態度こそ相手はバカにされてると感じるだろうな、と思うのだけど。

人とコミュニケーションをとる上で一番大切にしているもので自分をがんじがらめにしている現状はわかっているのだが、もはや意識から切り離すのは難しく本来とるべきコミュニケーションがわからなくなる時がある。

私はどこで間違ってしまったのだろう。