2014年7月30日水曜日

母と、ピアノの話

母の誕生日である。

母が、女の子を産んだら習わせたかったことが二つあった。ピアノとバレエだ。
だから私は3歳からこの二つを習い始めた。

バレエは、従姉妹が通っていたそれほど厳しくなくコンクールなども無い、楽しくレッスンしましょうという所に毎回通っていたのだが、成長期に伴う体重増加により辞めた。自分の身体の重みでトゥシューズで立つことができなくなってしまったのだ。

ピアノは、バレエとは対照的に、先生は厳しく、また実力によって階級がつけられるオーディション、全国規模のコンクールにも参加させられるため、練習にとても時間が取られた。
バレエは楽しく踊っているだけだったのでとても好きだったが、ピアノは練習が嫌いで辞めたくて仕方なかった。

特に小学3年生、4年生あたりはピアノのレッスンの後、私が練習していると、隣から母が「もっとこうしたら」などと言うのでそれが辛く、いつも最終的には母が怒り、私が泣き出して練習は終わるのだった。母もかつてはピアノを習っており、私の練習風景に自分自身を投影していたのだろう。母のお手本を私は再現できず、母の期待は私の指を硬直させた。

ただそんな厳しい練習の甲斐あって、小学5年生の時、あるピアノコンクールで賞をとった。それは優勝、準優勝、審査員特別賞と賞の階級がある中で一番下の敢闘賞というものであった。
ただ、それまで自分は何て下手くそなんだろうと思い続けていたのが、「ちょっとは上手になってきたのかも」と自信をつけるには十分なことだった。

それ以来、ピアノを弾くのが少し楽しくなった。そして母は、練習の時にもう何も言わなくなった。そのことを尋ねると、母は、「もう、私よりもずっと上手くなったからね」と言った。それは何だか寂しいことでもあり、誇らしいことでもあり、見放されたようでもあり、複雑な感情だった。

そして、私はピアノに熱中した。練習すればするだけ弾けるようになる。そうするともっと綺麗な音色で弾きたくなり、もっと物語のように音に気持ちを込めたくなる。

不思議なもので、その時必死で練習した曲は今でも指が覚えていて、もう辞めて3年経つが何とか弾くことができる。バレエは姿勢をよくするぐらいしか私の中には残っていないが、ピアノに関しては演奏技術や絶対音感、そして音楽を楽しむための基礎的な素養を身につけさせてくれたことを、本当に母には感謝している。

結局私はピアノでお金を稼ぐほど上手にはなれなかったし、弾くと言っても人に聞かせられるほどのものではない。ただそういった音楽の素養は実用的ではないからこその大きな豊かさをはらんでいる。

これといった趣味や特技を持たない私だが、1人でピアノを弾いている瞬間はいつもうっとりと音楽の世界に浸っている。思えば、小学校で仲間外れにされて辛かった時期の私の逃避先はピアノであった。小学校、中学校では地味で目立たなかったが、毎年音楽会の伴奏という役を与えてもらったことは、自分の存在の証のようで嬉しかった。

母がピアノという1人で楽しめる世界をくれたこと。これがどれほど私の人生を救って、そして豊かにしてくれているのだろう、と思う。

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