2014年6月1日日曜日

二十歳の手記

実家に帰ったら小さなメモ帳が出てきた。大学2回生、二十歳のときに使っていたものだった。今から3年前だ。基本的に過去の自分が書いたものはどれも恥ずかしいのだが、「おおハタチの私はこんなこと考えてたのか」とわかってちょっと面白かった。

その頃、青春18きっぷの旅にはまっていて一人でふらふらとよく出かけていた。メモ帳には愛媛県下灘駅に行ったときのことが書かれていた。恥をしのんでここに記す。

2012年9月5日
5時55分起床。急いで着替えて6時に宿を出て松山駅までダッシュ。6時5分の電車に乗る。
7時下灘駅到着。無人駅だが一人ではなかった。愛知のあおなみ線という鉄道の運転士をされているというおにいさんが観光に来ていて少し話す。下灘駅から海を見下ろす風景はずっと見ていても全然飽きない。心が洗われる。次は朝日ではなく夕日を見に来たい。
人生のうちであと何回涙を流せるのだろう。悲しいことでじゃなくて、美しい風景とか心を震わされることで。そしてこれから先何回そのような場面に出会えるのだろう。「ああ私は全てを知ってしまった」と思わない人生を送りたい。さみどりの稲田に心が震える柔軟さをいつまでも忘れずに生きたい。

当時の私は大げさに言えば生きることに切羽詰っていて、大学に行く意味は何なのか、就職する必要はあるのか、生きる意味はあるのか、なぜ死ぬのはいけないのか、答えの出ない問いに煩わされていた。まわりに「そんなに気にしなくてもいいよ。思いつめすぎだよ」 と言われると「この人は何もわかっていない。誰も何もわかっていない」と、ひそかに周囲を愚かだと決め付けた。それは二十歳という年代特有の未熟さであり傲慢さであったし、今思い出しても私はとても嫌なやつだった。しかしそれはまた精神的な通過儀礼であったのではないかとも思う。

荒い筆跡で書かれたメモにはそのときの葛藤みたいなものがにじみ出ているような気がして、当時の自分の青さに苦笑した。

大丈夫だよ、全てを知ってしまう人生なんてあり得ないし、3年後の君は今でもふきのとうが苦くて泣き、ゴキブリが出ては泣き、人に怒られてはトイレでこっそり泣くような人間だよ、と言いたい。

あれ、涙の種類がちょっと違うか..。

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