2017年11月26日日曜日

相手の好きなところ

男の目には糸を引け、という言葉を知ったとき彼のことを言っているのかと思った。彼は目が細く、感情の上下が表情に出にくい。つまり情緒が安定して見える。

彼は仕事で自分よりも年上の人たちの調整役をするらしいが、多分すごく彼の安定さは役に立っているのだろうなと思う。

私の目は細くない。だから色んなものが目に表れてしまう。嬉しさも、驚きも、悲しみも、疲労も。表情がわかりやすいと人に言われることは、大人になるとあまり良くないことだと思うようになった。

彼の仕事を、私は敬意と少しの羨ましさを込めて、遠洋漁業の漁師と呼ぶ。数か月海外に漁に出て、少しの間日本に戻ってきて、また次の漁へ出る漁師のような職業だ、と。そして私も同じ仕事に就きたかった。

もうすぐ彼が漁から帰ってくる。私は浜辺で待っている。

2017年11月25日土曜日

11月25日 晴天

引っ越しの段ボールがやっとすべて片付いた。
心から楽しみにしていた引っ越しだったが、引っ越しに関わる色んな作業を一人で進めていると気づけば口元に吹き出物がいっぱい現れ、ああ身体は疲れているんだなと思った。

だけど新しい部屋は想像以上に快適で、生活の質が上がるとはこういうことかと実感している。一番嬉しいのは、部屋の窓から遠くにスカイツリーが見えることだ。流れ星のようなスカイツリーのライティングは、永遠にぼーっと見ていられる。
スカイツリーはもはや、大自然だと思う。

2017年9月23日土曜日

身体が疲れるようになった

9日間の入院を経て、会社に行くようになった。

起きた変化はというと、以前よりも身体がどっと疲れるようになった。退院直後は周囲の気遣いもあり、17時を過ぎるとすぐに帰らしてもらった。ただ段々身体を慣らしているつもりでも、残業は19時までが限界になっている。頭が働かなくなってしまう。

帰り道のコンビニで晩御飯を買い、家に帰ってレンジで温めて食べ、そのままぐったりベッドに横になったまま気づくと眠っている。翌日も気分が晴れないまま目覚める。入院前に比べると、体力が全く無くなってしまったように感じる。

高校生の時にも、同じようなことがあった。
高校1年生、15歳の私は、部活で毎日ランニングをしていた。長距離を走るのは得意な方だった。だからランニングでは集団の先頭にいることが多かった。
高校に入学して半年たった秋に、アメリカにホームステイした。1か月、現地の高校に通い、現地の食事を食べる。運動は全くしなかったが、1か月だけなのだから何も変わらないと思っていた。

帰国して、また部活でランニングして、愕然とした。すぐに疲れ、身体は重く、足は進まない。私はのろのろと最後尾を走ることとなった。それでも自分は必死だった。結局私は高3で部活を引退するまで、ランニングは最後尾だった。最後まで、元の速さを取り戻せなかった。

体力とは、下っていくエスカレーターに乗り続けているようなものだ。そう言ったのは弟が入団していた野球チームの監督らしいが、その通りだと思う。鍛え続けていれば、現状をキープできる。何もしなければ、ずるずる下がっていく。また鍛え始めても、前と同じトレーニングでは、下がった位置をキープし続けるのとは変わらない。前の位置を取り戻すには、前の何倍ものトレーニングをしなければいけないのだ。

体力だけでなく、最近、できなくなる自分に直面する機会が何度かある。身体の柔軟性も、ピアノ、勉強の集中力も、長い文章を書くことも。自分はできたはずなのに、という記憶だけがむなしい。

来年の2月が来ると27歳になる。まだまだ若さの盛りであると思う。だけどもう、何でもできるわけではない。できなくなっていくことは、確実に増えていく。

だからこそ自分が人生の中でどうしてもやりたいこと、やらなければいけないことは慎重に選び取っていかなければいけないのだと思う。

2017年9月13日水曜日

扁桃腺手術日記3

9月5日
朝ごはん。わかめの味噌汁、人参とキャベツを煮て片栗粉でとろみをつけたやつ、ベーコンと豆腐の煮物、五分粥、紙パックの牛乳。牛乳をズボンに激しくこぼす。今日はスウェットじゃなく普通の綿のズボンを穿いたのに…

昨晩は22時から7時まで9時間ぐっすり眠った。こんなに寝ていて来週から社会復帰できるのだろうか。今日は会社に合わせて9~12時、13~17時はベッドで横にならずに勉強したり本を読んで過ごそうと思う。

喉痛いです。もうだめだ。

昼ごはん。人参とじゃがいもとキャベツのスープ、白身魚を煮たやつ、椎茸と豆腐の味噌汁、そうめん、プリン。量が多くてプリンは持ち帰った。摂取カロリーに対して消費カロリーが圧倒的に少ないのだろう。

病室のベッドは寝るところで、テーブルがあっても勉強する気にならない。やっぱり人がいる食堂にいないといけない。入院してから漫画も本いっぱい読んだが飽きてきた。この頃は漫画を読んでいると不安と焦りに襲われる。今日も食堂の窓からオフィスで働く人たちをぼんやり見ていた。

痛いのは喉だけ。あとは圧倒的に健康だ。頭も冴えているし眠気もない。時間をどぶに捨てているような気がして焦るのはなぜ。さっきNTTから電話がかかってきてそれはただの営業の電話だったのだけど誰かと話せて嬉しかった。家族や彼とは違う、他人と話す嬉しさだった。

ー記録終わりー

9月6日、9月7日は勉強したりしながら過ごし、9月8日朝9時に無事退院した。
その後、痛み止めの薬を飲み続けているが喉は徐々に良くなっている。

2017年9月12日火曜日

扁桃腺手術日記2

9月3日
22時に痛み止めを飲んで寝る予定が21時に眠ってしまい、朝の4時に喉の痛みで目が覚めた。寝ている間、無意識に奥歯を噛み締めているようで歯がどんよりと重かった。

母が昨晩、出張ついでに病院に寄ってくれた。喉を温めるストールを持ってきてほしいとお願いすると、ROPEでスカーフを買ってきてくれた。可愛かったかららしい。思てたんと違うが嬉しい。退院したら会社にしていこう。

スカーフを持つのが初めてのためスカーフのコーディネートばかり調べている。これからの季節にちょうど良さそう。ファッションにポリシーがありそうな人に見える。喉を温めるという口実で色々集めたくなった。

帽子もだけど、「日焼け防止のためですから」と自分に言い分けしないと気恥ずかしくて被れない。スカーフなんてもっと取り入れにくい。だから喉を温めるっていう言い訳ができてよかった。ただの自意識過剰だとは思うけれど。

弟は古着屋で安物の服を買ってるらしいがモスグリーンのハットやロシア帽を被ったりブーツを履いたり幾何学的模様のシャツを着たりファッションにおける勇気があってそこは少し羨ましい。私はそこそこ服にお金をかけているはずなのにあんまりお洒落になれなくてそれはやっぱり勇気の違いなんだと思う。

朝ごはん。3分粥、具無し味噌汁、みじん切りの人参・玉葱・じゃがいもが入ったクリームシチュー、ミカンゼリー、紙パックのミルクティー。液体は痛いが飲めるようになった。でも具を飲み込むのは非常に痛い。喉をザクザク傷つけている気がする。結局シチューは半分以上残してしまった。

昼ごはん。柔らかく煮た白身魚、そうめん、菜っ葉入りの味噌汁、温泉卵、牛乳プリン。昼食30分前に痛み止めを飲んだから時間はかかったが残さず完食。白身魚を噛んだときのじわっとにじみ出る出汁の美味しさに「美味い!」と叫びたかった。声出ないけど。

9月4日
入院4日目朝。薬を水で飲んだら喉が焼けるように痛い。看護師さんによると喉のかさぶたはだいぶ薄くなっているのでそのせいでしみるそう。何もやる気が起きない。ぼんやりしている。

朝ごはん。人参の炒めたの、わかめの味噌汁、スクランブルエッグ、五分粥、紙パックの牛乳。喉が痛くて痛くて腹が立ってくる。食堂から見えるビルにはオフィスで働いている人たちがいて月曜日だなと思う。どうか自分がやり残してきた仕事で何もトラブルが起きてませんように。

仕事、自分がいなくても誰かがやってくれるんだろうけど、迷惑だけはかけたくないなと思う。思ったところで何もできないのだけれど。

食事が食べられなくて常に空腹感。youtubeで高橋真麻がフジテレビの食堂で食べまくる動画を見ている。人がいっぱいご飯を食べる映像を見たいが大食いの動画はグロテスクに感じて食べ物も美味しそうに見えないから好きじゃない。高橋真麻のは食べ物も美味しそう、かついっぱい食べるので良い。

昼食。白身魚を煮たやつ、人参と玉葱のスープ、わかめの味噌汁、五分粥、ブドウゼリー。全然動いてないからか胃もたれした。ゼリーは食べきれず持って帰ってきた。

ベッドのシーツ交換のため一時的に食堂に行った。ベランダに出るとひんやりとした風に秋を感じた。働いている人達がいるオフィスが見える。世の中からぽつんと取り残された気分になった。

身体が元気だ。持ってきた資格の勉強をしようと思うが、テキストを開いた瞬間やる気が無くなる。ベランダで涼しい風に当たりに行きたいがもうすぐ点滴。

思い出したが、今私は夏休みをとっている。手術と入院をしているが、今は私の夏休みなのだ。休みらしいことをしたいな。

【やりたいこと】
1位:担々麺とチャーハンを食べる。可能なら羽田空港の中華料理屋の担々麺を食べたい。あそこはチャーハンも餃子も美味しい。GWに長崎に行くときに夕飯で食べて、美味しさを知った。
2位:髪を切ってパーマをあてる。
3位:秋服を買いに行く。ネイビーのパンツとレースのタイトスカートを買いたい。
4位:資格の勉強
5位:お洒落してブルーノートにジャズを聴きに行く。
6位:もんじゃ焼きを食べる。
7位:パスポートを更新していつでも海外に行ける態勢を整える。
8位:マニキュアとペディキュアを綺麗に塗る。
9位:通勤用リュックを見に行く。
10位:鴨川シーワールドのシャチを見ながら食事ができるレストランに行く。
11位:着ない洋服をリサイクルショップに持っていく。
12位:ミスドを食べる。
13位:日記を更新する。
14位:チークブラシを新調する。
15位:黒か紺のショートブーツもしくはレースアップシューズを買う。
16位:ボルドーやワインレッドの石を使って秋用のピアスを作る。
17位:赤いペンケースを買う。
18位:秋刀魚を焼いて大根おろしと出汁醤油で食べる。
19位:部屋に花を飾る。
20位:ブラウンでクラシカルなフレームの眼鏡を買う。

さていくつできるか。遅めの夏休みを取り戻そう。

晩ごはん。水餃子、卵入り味噌汁、茶碗蒸し、五分粥、杏仁豆腐。すぐお腹いっぱいになりちょっと残す。

2017年9月11日月曜日

扁桃腺手術日記1

扁桃腺の手術をした。
入院したときから短い記録をつけていた。

8月31日
入院1日目。大学生の時に一人旅で安宿に泊まっていたときのことを思い出す。両隣に人の気配がある安心感。ここぞとばかりにパックやクリームを持ってきたので手術が終わったら綺麗にしよう。

9月1日
朝、マスクをして眠ったが乾燥していて喉がひりひりする。手術を受けられるか不安になる。じわじわと嫌な緊張感。お腹が減ったし喉も渇いた。あと2時間で手術。やることが無いからベッドの上でストレッチばかりしている。

ストレッチをすると体がかたくなっていて驚く。高校生まで習っていたバレエはどこにいったのか。180度の開脚もできない。トウシューズを履いてピルエットももちろんもうできない。できた頃の自分はもういないのだと知って、悲しかった。

従姉妹の結婚式で弾いたピアノもそうだ。2カ月近く練習したが、当日は手が震えミスタッチの連続だった。家族のフォローが余計に辛かった。別の親族からは見てる方が緊張したと言われた。かつてコンクールで準優勝したその記憶だけが自分の中にあって、でもそれは今の私ではなかった。

点滴用の部分麻酔テープを貼られた。普通のセロテープのよう。これで麻酔できるのか。まだ感覚はある。

手術前検査。舌に電流を流し味覚を調べる。舌に金属の棒を当てられじわっと鉄の味の変化があるとボタンを押す。あんまり変化がよくわからなかった。とりわけ私の舌は奥が味覚が鈍いらしい。確かに繊細な舌じゃないが、そのおかげで何でも食べられるのだ!鈍感舌でもいいのだ!

フィリピン留学中、他の日本人学生が現地の料理のお肉がくさい、米がまずいと食べなかったことがあった。私は何の匂いも感じなくて、自分はどこかおかしいのだろうかとも思いながら、毎日もりもり食べた。ぷくぷく太った。今でも、何を食べてもだいたい美味しい。

手術前の診察終了。先生がいい声。喉の手術をする人として説得力抜群。第一声が「扁桃腺大きいですねー!」なんかちょっと嬉しそうですらあった。

手術着が5才児の浴衣のよう。あと30分で手術。さらばマンセイヘントウエン!

ー手術後ー

手術台はドラマで見たそのままだった。自分で台に上がりあとはされるがまま。看護師さんたちはテキパキという音が聞こえてきそうなぐらい手際がよかった。自分の心臓のピッピッという音が部屋にいっぱいに聞こえた。深呼吸すると心音がゆっくりになった。

眠気を感じる間もなく、麻酔にかかったようだ。名前を呼ばれ麻酔から覚めると喉がひりひりと痛い。全身に鉛が乗っかったように重い。眠りたいが眠れなくて、瞼だけ閉じていた。

流動食ですら喉にしみて食べられない。すぐに咳き込んでしまう。痩せそう。これを機に痩せよう。普段の扁桃炎と同じぐらいの痛さだが、いつまで続くのか…

夜の点滴終わり。ひたすらストレッチ。その後化粧水をつけてクリームを塗って、youtubeで調べた造顔マッサージをした。顔がすっきり気持ちいい。入院中、食事もあまり食べられないし化粧もしないから肌も休められるし、ちょっと綺麗になれるんちゃうか私。

9月2日
隣の女性の「あー」という叫び声で5時に目覚める。その人は多分今日手術を受ける。うなされていたのだろう。あまりに悲痛な声に私が驚き、完全に目が覚めてしまった。喉の痛みが戻ってきた。

昨日取った自分の扁桃腺は大きくぷりぷりしたあさりのようだった。牡蠣のようでもあった。貝系。もうあさりの味噌汁も生牡蠣もカキフライも食べる気にならない。自分の扁桃腺を思い出す。写真に撮っておかなくて本当によかった。

しとしとと雨。具の無い味噌汁と水のようなおかゆ、桃の味だけついたゼリーの朝ごはんを食べるというより飲んだ。昨日に比べて咳き込まず食べられるようになった。相変わらず喉はひりひりと痛く何もやる気が起きない。冷房が効きすぎなのか私が薄着なのか部屋も食堂も寒かった。

黒部ダムの放水がテレビで生中継されている。2年前黒部ダムに放水を見に行ったときは直前に雨が降り、結局放水は無かった。ただ一面水がひたひたと貯まっていて、太陽に照らされエメラルド色にきらきら光っていたのが綺麗だった。

点滴がぎゅんぎゅん入っていく。冷たさを感じる。痺れたような感じ。この感覚は何かに似ている。辛いガムを食べた時の痺れと清涼感だ。

具無しのポタージュ、具無しの味噌汁、具無しの茶碗蒸し、くず湯、ミルクティーの昼食。30分前に痛み止めを飲んだから痛みは少しだけで食べ(飲め)た。特にポタージュは喉に膜が張る感じで全く痛みを感じなかった。昼食が終わるとまたひりつくような痛みが戻ってきてベッドで布団にくるまっている。

2017年8月6日日曜日

自分で自分を元気にしないといけない

kindleで漫画やエッセイを大量に買ってひたすら読むという幸せな休日を過ごした。

休みの日に私は一人暮らしでよかったと実感するが、平日は家族が家にいてくれればいいのになあとしょっちゅう思う。

夜、一人で帰宅する道中でコンビニのお弁当を買い、食べて、お風呂にお湯をためたはいいものの、疲れ果てて入らずに寝てしまう日々。
加えて、私は1日の自分の言動を事細かに振り返り反省するくせがある。うまくいかなかったことがあれば、ますます落ち込み、家に帰ってもずっと考え続けてしまう。それは何かを解決するために考えるのではなく、ひたすらもやもやとしているだけで、自分をとても消耗している気がする。

こういうとき、家に誰かいればいいのになと思う。関係のない話をして、気を紛らわせる相手がいればいいのに。

疲れているときに自分で自分の世話をすることは面倒くさい。食事も、お風呂も、それから落ち込んだ自分を立て直すことも。
それでも、また明日に向けて、ある程度きちんとしなければいけない。

これから少し運動して、銭湯に行って、炭酸のジュースを買って、自分の機嫌がよくなることをしようと思う。

2017年6月27日火曜日

不機嫌を止められない

偉い人ほど、いつも機嫌がよくてフレンドリーだなと思う。
お疲れ様ーと声をかけてくれる。
エレベーターで一緒になると「最近元気?」と言ってくれる。

まさか覚えられてないだろう、と思ってるから、びっくりして嬉しくなる。

誰とも仲良く、みんなを気遣い、30歳以上年下の社員の名前も覚える。そういう人だから、人から好かれ、頼られ、偉くなれるんだろうなと思う。

いつも機嫌よくありたいと思う。
だけど、仕事をすると不機嫌になるのを止められない。
空腹、疲労、終わらない資料。

ふーっと細くため息をつく。不機嫌成分を全て吐き出すつもりで。

もっとやらなきゃと思いながら、もう働かない頭をどうにもできない。
荷物をノロノロ片付けて、帰る。

化粧はとっくに落ち、目は乾燥している。
今日もコンビニで適当な夕飯を買って、駄目だとわかっていながらも寝る直前に油っこい食事をするのだろう。シャワーを浴び、髪を乾かすのがとてつもなく面倒に感じるのだろう。

帰り道の私はとっても不機嫌な顔をしている。

毎日機嫌よく働きたいのに。

2017年5月22日月曜日

5月21日22日 両方とも晴れ

日曜日
ロードバイクで50キロほど走ったあと、市民プールでひたすら泳いだ。身体はフラフラだが、頭は爽快感でいっぱいだった。

女っぽくなれない自分をうじうじ悩んでいたのが別人のようだ。悩みがあるときは有酸素運動に限る。答えが出ないことで悩むときは、体力有り余ってるのだと思う。

月曜日
昨日あまりに身体を酷使したせいか手足の節々がだるく、会社での午前中は使い物にならなかった。自分の体力を過信し過ぎて痛い目をみた。

2017年5月20日土曜日

女っぽさ

何が悲しくて涙が出るのだろう。

昔は目が痛くても頑なにコンタクトをつけていた。地毛が直毛なのに髪を痛めつけてゆるふわパーマをあてていた。清楚に見せたくて白い服ばかり着ていた。どれも、モテたいと思ってやっていたことだ。思い返しても痛々しい。

今は毎日眼鏡をかけて会社にいくし、シャンプーが楽だという理由でショートカットだ。染めないし、パーマもかけない。服は汚れが目立たないグレーや紺色を着ていると落ち着く。

ちやほやされたい、という欲求から年々解放されていく気がする。それは生きるのをとても楽にしてくれている。自分がとても好きな人ひとりに、好かれるといいなと思う。


少し前に、とても女っぽい女の人と出会った。その場の視線を、とりわけ男性の視線を一身に受けているようだった。私はそこで、透明人間の気分を味わっていた。

それからずっと私は彼女のことを考えてしまう。正確には、彼女のようになれない自分について。

彼女の容姿があれば、きっといい気分だろうなとおもった。生きるのが楽だろうなとも思った。そしてそう考える自分が嫌だ。

第一、私が普段悩み苦しむことは、私の容姿や仕草を女らしくしたところで解決するものではないのに。

社会で生きている限り、男性と女性の両方がいる集団生活からは逃れられない。そこで注目を集める人も、集めない人もいる。容姿、仕草だけが人の魅力じゃないこともわかっている。

私は話が面白い人になりたかった。話の引き出しが多い人になりたかった。そういう人が魅力的だと思っている。

モテとかそんなしょうもない物差しに捕らわれない人になりたかった。自分の好きなものをひたすら追い求める人でいたかった。

なぜこんなに、もやもやするのだろう。
こうやって一人で涙が出るのは、一体何の悲しみなのだろう。

2017年5月18日木曜日

2017年5月18日 一時的に雨

同い年の弁護士さんに出会って驚愕する。立派な人がいるものだ。しかも穏やかで感じが良くてスタイルが良く美しい。嫉妬もできないぐらいの高みにいる人だった。私はまだ何も成し遂げていないのに。

気の合う人とたくさん話した夜だった。仕事仲間と、心身ともに健康で働き続けることは難しいことだねえとねぎらい合うのは、幸せな時間だった。

2017年5月17日水曜日

質問する

大学生のとき、お世話になっていた先生に頼まれて、講演会で質問する役をやっていたことがある。質疑応答の時間になると、シーンと静まりがちな教室で最初に手を挙げる役だ。一人目が質問すると、次の質問には人が続く。その役割はいつも非常に緊張した。

大学を卒業した今でも、講演や研修の後の質疑応答で、私は必ず手をあげるようになった。一度自分も登壇者の立場を経験し、質問されることのありがたさを痛感したからだ。

大学4回生のとき冒頭と同じ先生に頼まれて、授業で90分間話したことがあった。自分の留学経験について話した。聞いている学生は、私の話が聞きたくて来ている人たちではない。いつもの授業を受けにきた人ばかりだ。

プレゼンは必死で用意したが、結果は散々だったことは言うまでもない。眠る学生、教室から出ていく学生、90分という地獄のように長い時間。そのときの緊張感、孤独感を思い出すと、今でも涙が出そうになる。

当然だが、質疑応答の時間はシーンと静まりかえった。先生に促された学生が1人だけ、質問してくれた。

講演や研修の後の質疑応答で、私は必ず手をあげる。それは、前に立つ者の孤独を勝手に想像してしまうからだ。そして、私はあなたの話を聞いていた、あなたのことを見ていたと表明したくなってしまう。登壇している人にすれば、そんな勝手な想像などいらない、と思われるかもしれない。

そんな今日もいくつかの質問をして、「やる気があるね」と言われた私は心の中でひとり苦笑いする。

2017年5月16日火曜日

2017年5月16日 晴れ

疲れ果てて帰宅した昨日は、お風呂にお湯をためたのにそのまま朝まで眠りこけてしまった。朝、バタバタしながらシャワーを浴びる。バタバタ、というのが一番嫌いなのに。

健康のために、宅配野菜のオイシックスを注文しようか迷っている。家に帰れば新鮮な野菜が待ってると思うと、コンビニご飯にも頼らなくなるかもしれない。自炊をする気にもなるかもしれない。

値段は高い気がするが、健康のためにはしょうがない。そもそも、スーパーが開いてる時間に仕事から帰ってこられたらいいだけなのだけど。

2017年3月10日金曜日

寂しさの耐性

通勤電車に揺られていると、突発的にどこか遠くへ行きたくなった。

北へ行きたい。
そう思って、東北新幹線の終点の新青森駅に行く新幹線を検索した。青森県立美術館にも行きたかった。

スマホの予約画面を進む。

青森駅前のビジネスホテルを探して、ふと指が止まった。

旅行先の、自分の姿を想像した。

一人で町を歩く。食事をする。途方もなく寂しくなってきて、だめだ、心が耐えられないと思った。結局、予約はしなかった。

大学生のとき、一人旅が大好きだった。荷物を小さなリュック1つにして、そこに住んでてふらっと散歩してます、みたいな旅行をよくした。

その時の私は、寂しくなるために、一人旅にせっせと出かけていたのだと思う。つまり、大学生の時の私は寂しくなかった。実家でぬくぬく過ごし、大学やサークルの友達が数少ないけれどまわりにいて、だから時々一人ぼっちになりたかった。

今の私は、きっと一人に耐えられない。それはつまり寂しいからなのだ、なんて事実は、見えないふりをする。

2017年2月21日火曜日

26歳になりました。マリオと同い年です。

このぐらいの年齢になると、同世代の友人が結婚したり、出産したり、はたまた起業したりということが身近で起こるようになる。そんなの大人のすることだと思っていた。成熟した人にしかできないことだ、と。

21歳のときに留学していたフィリピンでのことだ。住んでいたドミトリーで掃除係として働く、ルイという名前の男性がいた。彼は私と同い年で、ドミトリーで住み込みで働きながら、ルイの妹が出産した子どもである2歳の女の子を育てていた。妹の夫も、妹も経済的に困窮して育てられないから、と言っていた。

彼は働き者だった。同い年に思えないほど大人びていた。
親のすねかじり大学生だった私は、ある日ルイに、「あなたを見ていると自分がとても子どもっぽく感じる」と言った。

ルイは笑って言った。「確かに君は成熟(mature)してないね。」

その通りなのだけど、成熟してないという言葉に私は少なくないショックを受けた。それ以来、matureという単語に遭遇するたびにこの時の恥ずかしさがこみ上げ、何とも言えない気持ちになる。

自分の年齢に精神が追い付いていない気がする。そう思い始めたのは一体何歳のときからなのだろうか。
成熟してないという言葉を実感するのは、いつも自分のことにしか関心がないときだ。

自分のことでいっぱいいっぱい。それは例えば毎日早起きして会社に行って夜疲れ果てて帰ってくるときとか、毎日混んでる電車に乗るときとか、週末にたまりにたまった洗濯物を洗っているときなんかに、感じる。

でも、この生活を選んだのは自分。そしてしばらくはここにとどまり続けるのだろう。

4月に会社に入って、ずっとお腹を壊し続けた。肌にニキビがいっぱい現れ、すがるようにデパートの化粧カウンターで安くないお金を払って化粧水や乳液などを揃えたこともあった。夜になると涙はしょっちゅう出るので、そのたびに凍らせたタオルを目の上に乗せて眠った。

こんなはずじゃない。
自分はこんなもんじゃない。

そう思うことは、私が新人であるがゆえのおごりなのかもしれない。でも悔しさしか、自分を前に進める原動力にできない。


自転車にのるとき、バランスをとるコツは、思い切ってスピードに乗ってしまうことだ。スキーでもスケートでも同じ。勇気を出してぐっと前に体重をかけスピードを出すと、不思議と安定する。ゆっくりのろのろと進む方が、不安定でこけやすくなる。安定するには、ある程度のスピードが必要なのだ。

今の私は、まさに不安定のさなかにいるのかもしれない。26歳の私は、未だにmatureじゃない。相変わらず、自分のことでいっぱいいっぱいだ。

社会人としてスタートした25歳がどんな年だったかと言うと、「こんなはずじゃなかった」年だとしか言えない。でもこれは、スピードに乗る前の助走だと信じたい。飛躍の前の屈伸だと思いたい。

そんな自分への祈りを繰り返して、また明日を迎える。


26歳の誕生日の今日、いつも通り地下鉄をおりて地上に出ると、雲ひとつないつるりとした青空だった。
ささやかな前途を祝してくれているようで、無性に嬉しくなった。

2017年1月30日月曜日

2017年1月30日

就職活動のとき、私は本気で、社会に貢献するのだ、と熱く思っていた。卒業設計でも、貧しさを強いられる人たちでも快適な住環境で暮らせるにはどうしたらいいのか、考えていた。

だけど会社で働き始めて、いかに毎日疲れないようにするか、ばかり考えている。

どうして、働くことってこんなにしんどいのだろうか。身体を動かしていないのに、こんなに疲れるのだろうか。

理由はおそらく、自分で何も決定できないからだ。

卒業設計のとき、後輩に何人も手伝ってもらって、身体はフラフラだったけど、アドレナリンが出て楽しくてしょうがなかった。どんどん形になっていく様子に興奮して、提出直前は72時間起き続けていた。過程はもちろん苦しかったけど、自分で考えて物事を進めていくのはこんなに楽しいのかと実感した。

今は、当たり前だけど主導権がない。末端で手を動かす役割だから、上司に言われることをきちんとやるのみだ。どうしてこんなにやることがあるんだろうと思うぐらい、毎日、毎日、新しい仕事が増えていく。やってもやっても終わりは見えない。

今、勉強したことが今後自分でリーダーシップをとる時に役に立つのだと言い聞かせても、自分でもどうかと思うぐらいぐったり疲れる。

疲れて、帰りの電車の中で、心で泣いてる。

2017年1月17日火曜日

2017年1月17日


玄関に木を敷いただけでこんなに幸せな気分になるのだから、自分の設計した家に住むとは一体どれ程の幸福なのだろうか。世のお父さんが、たとえ通勤時間が2時間とかになっても、マイホームを持ちたくなる気持ちが少しわかる気がした。

私も、働いて、働いて、働き続けたら、いつか自分の家を持てるだろうか。とりあえず今は、賃貸の部屋を自分の気に入る場所にできるよう、ちょっとずつ手を加えているところだ。

賃貸は壁に穴もあけられないし、床も変えられないけれど、それでもその不自由さを乗りこなす楽しさもきっとあるはずだと自分に言い聞かせている。

2017年1月15日日曜日

2017年1月15日

部屋の中を気持ち良い空間にするために、イラっとする場所をひとつひとつ無くしていくことにした。

①靴箱の下

BEFORE


作り付けの靴箱の上段には靴用の棚板がついているが、下には何も無い。だからものをごちゃっと上に積み上げていた。下に何があるのか見えないのがイライラの種だった。ポリプロピレンの引き出しを置くことも考えたが、ぴったりサイズはなかなか無い。棚板を置く方が高さも柔軟に変えられるため、ホームセンターで板と棚受けを購入した。

AFTER



ものが多いためみっちり詰まってしまっているが、何が入っているのか一目瞭然で気分もすっきり。

②玄関

BEFORE


何の変哲もない玄関だが気分を変えたかった。黒ずみがとれないのもイライラの種だった。


CADで必要な部材の寸法を求め、ホームセンターでワンバイフォー材とオイルステインを買った。


部屋で塗った。

AFTER


玄関に敷き詰めると、ウッドデッキのようではないか!
雨の日のことを考えるとあんまり木は適してないのかもしれないが、気分が上がるのでしばらくこれで楽しみたい。

あとは本棚の中とクローゼットの中を綺麗にしたい。アイアン脚のテーブルも作りたい。次の週末にやろう。

2017年1月12日木曜日

2017年1月12日

夜、人身事故で電車が遅れていた。キリキリと寒く、どんよりと湿った夜。遅延の影響で、23時にも関わらず朝のラッシュかと思うほどのぎゅうぎゅう詰めの電車にうんざりした。

こんな冬に気分が沈むのもわかるけど、でもやめようよ、なんてどこかの誰かに向かって言いたくなる。

貯金がすっからかんなのにZOZOTOWNで1万円のブラウスを買った。これは、自分へのカンフル剤なのだと思う。

綺麗なブラウスを着る。それだけで嬉しくなってしばらく生き延びられる。

疲れないように、落ち込みすぎないように、自分を時々楽しませながら、私は電車に飛び込まない方を選ぶのだ。

2017年1月11日水曜日

2017年1月11日

・1日中パソコンを見つめ続けていると、表情がかちこちに固まってうまく笑えなくなる。楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなるのだ、とわかっていても、笑えない場合はどうしたらいいのだ。

・帰り道、今日1日の自分の言動を思い出して、「うわあああああ」と恥ずかしくなるクセをやめたい。思ったよりも「はい」っていう返事の声が大きくなってしまったこととか、相手が話している途中で私が話し始めてしまったこととか、取るに足らないこと一つひとつが鮮明によみがえってくる。気にし過ぎなだけなのだけど、心をすり減らしている気がする。

・実家からお餅をいっぱい持って帰ってきたのに、胃もたれが気になって全然食べられない。本当に胃が弱くなった。ものを食べると、胃の存在をより強く感じるようになってしまった。いつもそろりそろりと食べる。どうかこのあと胃が痛みませんように、と祈りながら食べる。加齢か。

2017年1月10日火曜日

2017年1月10日

インテリアの雑誌を見ていたら、おしゃれな部屋の住人へのインタビューで、おしゃれな部屋にするコツが語られていた。

「自分がイラっとする場所をなくしていくことです。」

自分の部屋を見渡すと、イラっとするところばかりではないか。
シンクの下がごちゃごちゃ。
靴箱の中がごちゃごちゃ。
クローゼットはぱんぱん。
本棚の中も資料や本で何が何だかよくわからなくなっている。
季節はずれのクローゼットに入りきらない服は床に積まれている。

乱れすぎている。だから心も落ち着かないのか。

というわけで、少しずつ部屋を整理し始めた。心から満足がいくすっきりとした部屋になったら、インスタのアカウントをつくって、♯ていねいなくらし、なんてハッシュタグをつけて、全世界に公開しよう。

2017年1月9日月曜日

2017年1月9日

キンドルで鳥飼茜の漫画「おんなのいえ」を読んでいる。まだ途中なのだけど、悲しくて悲しくて仕方がなくなった。

漫画の主人公の女性には彼氏がいて、仕事は彼氏と同じイラストレーターをしている。でも彼氏の方が仕事が順調。その彼氏のことが好きで結婚も考えていて、彼氏の夢がかなうことが自分のことのように嬉しいと思っている。というか、そう思い込もうとしている。そんなときに、彼氏が別の女性を好きになり、主人公は30歳を目前にフラれる。

ああ、悲しいなあ。悲しいだけのストーリーじゃないんやけど、なぜか自分に重ね合わせてしまう。

彼氏と同じ仕事で、でも彼氏の方が仕事が順調で、相手の仕事がうまくいくと嬉しいと思う。相手がもしどこか遠い場所に転勤になったら一緒に行きたいと思ってしまう。

彼氏の方が仕事が順調っていうのは私が勝手にそう見てるだけかもしれないけど、相手の仕事の話を聞くとき、自分はそんなことできないなあと、いつもちょっと卑屈になる。生ハムをすーっとはがすみたいに、薄く薄く、自信がなくなっていく。比較なんてできるはずないのに、「ああ、この人の方が価値のある仕事をしている」なんて思う自分が馬鹿馬鹿しい。けどそう思えてくる。

結局未来のことなんて考えてもわからないから不安になるけど、これらの不安を解決してくれるものは何かと考えた時に、それは今は資格なのだと思う。

だから早く建築士をとろう。簡単に受かる試験ではないけど、とったからってそれだけで食べていけるわけでもないけど、でも「どこへ行っても、一人になっても、仕事ができる」っていう安心になる気がする。

不純やなあ。「どこへ行っても仕事ができるように」「いつ今の会社を辞めてもいいように」建築士の勉強するって理由としてなんか不純やなあ。でもいいねん。

ああ、ローストビーフ丼食べたい。半熟卵がのったやつ。

2017年1月8日日曜日

2017年1月8日

建築士受験のための学校に説明を聞きに行く。働き始めてから貯めてきた貯金のほとんどを授業料に支払う。このために貯金してきたからいいのだ。頑張って一発で合格したい。

景気づけに帰り道、にんにくがたっぷり入ったパスタを食べた。胃の中がじわーんと温かくなってふつふつと力がみなぎってきた。

翌朝、お腹をこわした。最近脂っこいものを食べるとすぐにこれだ。