2012年12月27日木曜日

セッション!

25日の夜、リクシーさんのおうちでドラム、ギター、ベースでセッションする機会がありました。

8ヶ月ぶりに触るドラムは本当に懐かしくてなんだか涙が出そうになりました。
実は日本からドラムのスティックも持ってきてはいたのですが、叩く機会は一度もなく
雨季のあいだにスティックの木がすっかり弱ってしまいました。

でも幸運なことにリクシーさんのおうちには親戚にプロのミュージシャンとして活動されている方がいるということで、楽器やアンプなど演奏できる機材がすべて揃っていました。

その方とTOTO,Beatles,Bon Joviの曲、Earth Wind &FireのSeptember、Tha Girl from Ipanema, Take Five, chicken, Cantaloupe Islandなどジャンルを問わずたくさん夜通しで
セッションしました。

大学のジャズ研でドラムを始めたのをきっかけに、Bump of chickenのコピーバンドをしたり、
ビッグバンドで練習したことがこの日のセッションに役に立って、いろんなジャンルの曲を演奏できて本当に面白いセッションでした。久しぶりにアドレナリンが出たような、しばらく興奮冷めやらぬ夜でした。

お互い知っている音楽があって、お互い演奏できる楽器がある。

あとから思い返すとすごい偶然だったな、と思います。
久しぶりに音楽を演奏する楽しさを感じて、間違いなくこのセッションがフィリピンのクリスマスの一番の思い出です。

フィリピンクリスマス

フィリピンで初めてクリスマスを過ごしました。
PCPの活動でお世話になった、パンパンガにあるRicciさんのおうちへ呼んでいただきました。

24日の夜には教会でミサがあり、たくさんの人たちがドレスアップして訪れていました。そのあとは親戚一同が集まり、大人が子どもたちにAginaldと呼ばれる日本でいうお年玉のように
お金を渡していました。
そして深夜までお酒を飲んでおしゃべりしたり、カラオケをしたり、私もGANGNAM STYLEの
ダンスを披露してちゃっかりAginaldを頂いてしまいました。

私が驚いたのは家族の多さです。
フィリピンのクリスマスでは一堂に会すという言葉がぴったりで、1st cousin, 2nd cousin,
3rd cousin, 4th cousinまで集まり本当に大人数なのです。
このクリスマスのためにアメリカから帰ってきた親戚の方もいて、フィリピンの人たちがいかに
クリスマスを大事にしているかがわかります。

なんだかちょっと羨ましいな、と思いました。
私は出会うのはせいぜい従兄弟、又従兄弟になるともう名前が分からなかったり一度も会ったことがない人もいます。3rd cousin, 4th cousin(すみません、日本語で何と呼ぶのでしょうか)
になるともう完全にわかりません。

私は出会ったことのない親戚の人たちになんだか無性に会ってみたくなりました。
同じ血を引く。同じ苗字を持つ。
自分の存在のルーツが同じ、というのはなんと不思議なことなのだろうと思います。

家族という大きな樹を構成する人たち一人ひとりの存在を、私もその枝のひとつとして出会ってみたいなと、フィリピンの大家族を見て思いました。

エキサイティングか退屈か

フィリピンの移動手段にジープニーという乗り物があります。
もとはアメリカの小型トラックでそれが交通手段になったそうで、見た目も銀色だったり赤だったり、アニメの絵が描かれていたり、1台1台運転手さんの個性が表れています。

乗り方は、客引きのおじさんが「おい、乗れや!乗れや!」というかんじで少ししつこく呼び込みをしてきて、目的地に行くジープを見つけ乗車し、運転手さんにお金を払い、目的地が近づいてきたら頃合を見計らって「パラポ!(降ります)」と言って降ります。

私はこのジープニーが大好きで、特にマニラなど交通の激しいところで乗るのが好きです。
窓もなく扉もなく、風がビュンビュン入ってくる感じが好きなのです。

ジープニーに限らずバスやFXと呼ばれるバンも同様に、フィリピンでは交通ルールがあまり厳しくなく、クラクション鳴りまくり、スピード出しまくり、無秩序でエネルギーあふれるかんじがとてもエキサイティングなのです。

でもこれを面白いって感じるのはきっと私が体力のある若者だからだろうな、と思います。
とにかく人が多いフィリピンではジプニーもバスも電車も、これでもかというぐらいぎゅうぎゅう詰めにされます。
もし赤ちゃんを抱えていたら、年を取っていたら、同じようにこの交通機関を利用できるだろうか、きっと怖くて利用できないだろうと思います。

私は日本の交通機関をエキサイティングだ、と感じたことは一度もありません。いつも暇つぶしに寝たり、音楽を聴いたり、私にとっては退屈な時間です。
けれど日本の交通手段は、確実に安全に時間通りに目的地へ連れて行ってくれ、年をとった人でも、子どもでも、障がいを持った人でも使いやすいように作られているのだと思います。

フィリピンの無秩序さをエキサイティングだと感じ、日本の安全安心を退屈だと感じる私は傲慢なのかな、と思いつつ。。でもやっぱり退屈より面白いほうがいいなと思うのです。

2012年12月19日水曜日

Habitat

マニラのパヤタスというところでHabitatに初めて参加しました。
家を建てるボランティアです。

今日ボランティアとして参加したのは私一人だけでした。
建設現場ではイカつい(ように見える)お兄さん方がたくさんいて最初はとても不安だったのですが、とても丁寧に作業内容を教えてくださってなんとか今日の作業を終えることができました。

お手伝いさせてもらったのは、コンクリートブロックの材料となる砂をふるいにかけて粒の大きな砂を取り除く、という作業です。簡単そうに見えた作業でしたがすごく肉体労働で、半日だけにも関わらず、もう腕が筋肉痛です。

休憩時間に実際に住んでいる方の部屋へ呼んでもらい、お話を伺いました。

ここに住む人はほとんどが教師をしている人で、実家が遠く職場の近くに住みたいがいい家が見つからない、という人がここを購入するそうです。
1つの家は10畳ほどでロフト、トイレ、台所がついています。1戸約40万円だそうです。

Habitatでは床や壁の塗装をせずに家を引き渡すそうで、住む人が自由に木の床をはったりタイルを貼ったり、また好きな色に壁を塗装するそうです。もちろん専門の大工さんたちが作業を手伝うそうですが、自分だけで行う人もいるそうです。

外観は同じ家がずらっと並んでいるように見えますが、内部は住む人が好きなように手を入れていて、そうやって自分の手で自分の家を作っていくのはとても住むのが面白くなりそうだと思いました。

この現場では日本人大学生のボランティアも多いようで、「本当に日本人は協調性があって技術もあって素晴らしい」と言われ、自分のことではありませんが何だかすごく嬉しくなりました。
日本以外にも世界中からボランティアたちがパヤタスのHabitatを訪れるそうですが、アジア各国からは休暇中の大学生、欧米からは社会人が多いそうです。

また他のボランティアの人たちに出会えたら話を聞いてみたいなと思いつつ..
また参加しようと思います。

2012年12月17日月曜日

食べものの思い出

・家族旅行で行った大阪で食べた穴子のお寿司。今まで回転ずしで食べてた穴子は穴子じゃなかった。ふわふわで甘くて、魚じゃない未知の動物のようだった。

・高校の部活の合宿で三重に行ったとき、夜のバーベキューで初めて食べた牡蠣の味は衝撃的だった。網の上で炙った牡蠣をつるんと食べたら止まらなくなって、そのまま10個以上は食べたんじゃないかと思う。案の定あたってしまい、翌朝のランニングを腹痛で遅刻してしまった。
それでも牡蠣は食べ物の中で一番好きだ。広島の牡蠣祭りにはぜひいつか行きたい。
何度あたろうが、食べたい。

・二十歳を超えて初めて日本酒を飲んだ時、お刺身と冷たい日本酒の組み合わせにくらくら眩暈がしそうになった。大人はこんないいもの飲んでたのか、大人とは何ていいものなんだ、と
思った。

・友達と二人で和歌山のサファリパークに行った帰り、オーシャンイエローの中で、キオスクで
買った缶チューハイをプシュッと開けた瞬間とその時食べた柿の葉寿司の味は本当に良かった。「おやじみたいやねー」って言いながら食べた後はほろ酔いで京都まで眠り続けてしまった。


なんでこんなこと書いたかというと、今日久しぶりに大好物のフィリピン料理、カレカレを食べたからです。美味しかったもののことを思い出すと、そのときのまわりの温度や会話までよみがえってくるような気がします。

何年か経ってふとフィリピンで食べたカレカレのことを思い出したとき、夕方にもかかわらず
じっとり暑かったことや食べながら足元に猫がまとわりついてきたことも思い出すといいなあ。

2012年12月15日土曜日

正義感?

昨年の夏、岩手県での泥かきのボランティアに参加しました。
津波で流された街の光景は想像以上に心にズシンときました。

40人ほどのボランティアで泥かきをしていたとき、津波に流されて何もない街を
制服姿の高校生たちが自転車でさーっと下校していくのが見えました。

そのとき私は彼らをすごくタフだな、と思ったのです。
こんな大変な目に遭っているのに...と。

でもあとから思うと、彼らにとっては当たり前のことなのだ、とはっとしました。
たとえ街の姿は変わってしまっても、多くの家が失われてしまっても、
彼らの日常は失われていない。

そう気づいたとき、私は自分の中の上から目線な態度に愕然としました。
東北が大変だ!困っているにちがいない!何とかしに行かなきゃ!

とても恥ずかしいのですが、ボランティアをする前、岩手県にいく道中、
私は自分の正義感にちょっとうっとりすらしていたのです。
役に立ってやるぞー!と。

でもそれはとても上から目線でした。
困っているに違いない、悲しんでいるに違いない、という気持ちが私の中にはありました。

日常は失われていない。
時間は同じように流れ、同じように尊い繰り返されるべき生活がある。
そのことを下校中の高校生たちに気付かされました。

上から目線になるべきじゃなかった。

何が言いたいかというと、正義感というのはときどきちょっと危険だと思うのです。
正義感という言葉に、何か自分が偉くなったような気がしてしまう。
けれど、正義の名のもとに大事なものを見落としまうかもしれない。

自分の動機、本当にそれは相手のことを思っているか、
かっこいい言葉、耳触りのいい言葉で自分の本当の気持ちを見えなくしていないか、

これは自分への戒めです。

思うこと2

「貧困とは1日1ドル以下で生きる人のことだ」
と定義を聞くとああそうですか、と思いなんとなく頭で貧困を理解した気になります。
けれど、実際にJの生活を目の当たりにすると定義なんて頭から飛んでしまって
私は何も言えなくなってしまうのです。

レストランでお客さんが食べ残したほとんど骨だけのチキンをもらって食べたり、
道端に捨ててあるマクドナルドのジュースのカップを拾って中の氷をかじっていたり。

もはや食べものと呼べないようなものでもJにとっては貴重な食料だそうです。

Jはストリートチルドレンの中でも年上のようで、道行く人から集めたであろうコインで道端で売られている10ペソのコーンを買い、さらに小さなストリートチルドレンたちに食べさせているところも見かけます。

ストリートチルドレン=かわいそう、と単純に考えるのは違和感があります。
彼らの人生は彼らのもので、私が想像してみたところで彼らのことを本当に理解することはとても難しく思います。

けれど、数人の子どもたちががりがりに痩せて、食べ物と呼べないようなものを食べている
現実、定義では見えてこない貧困の現実はきちんと受け止めたいと思っています。

今、インターネットで「貧困」と検索すると、金銭的な援助だったり、物資の援助だったり、技術や教育、ものすごい数の情報が見られます。
政府以外にNGOやNPO,その他たくさん世界中の人々があらゆる方法で貧困を解消しようと支援しているのがわかります。

私は一人、JやJの友達と話すことしかできません。
あふれる情報を前に、何もできずにひるんでいます。

私は何も持っていない。

だから私は彼らの友達になろうと思います。
Jがタガログ語を教えてくれるように、私もなにか面白いことを伝えたい。
フィリピンに約8か月住んでたくさん学ばせてもらったように、日本人として
「日本ってこんなところなんだよ、世界っていろんな場所、人がいて面白いんだよ」
ということを伝えられたら、と思います。


ということを書きながら、本当はなにがいいのかよくわかりません。
でもそれはきっと相手に何かしてあげよう、と思うからぐるぐるまとまらなくなってしまうのかなと
思ったり..。
「してあげる」っていうのはよくないですね.。

彼らと同じ目線に立てる人になりたいです。

2012年12月7日金曜日

思うこと

私には友達がいます。
彼の名前をJとします。

年齢は聞いたことがありませんがおそらく8才か9才ぐらい。
学校には行っていないようです。

Jは路上で生活している、ストリートチルドレンです。

初めて出会ったのはマクドナルドの前で友達と待ち合わせをしているときでした。
彼は他のストリートチルドレンと同様に手を出して
私にお金を求めてきました。

いつものように知らないふりをしようと思いましたが
友達が来るまで少ししゃべりました。
それ以来、Jは私を見つけると「Yuuka!」と駆け寄ってくるようになりました。

出会うといつもアニメの話をしたり、タガログ語を教えてくれます。

時々Jは「1ペソでいいからちょうだい。」と言ってきます。

1ペソ。コイン1枚。日本円で約2円です。
1ペソでキャンディ1つが買え、7ペソでジュースが買え、10ペソでアイスが買えます。

私にとってあげられない額ではありません。
でも私はとても複雑な気分になってしまうのです。

1度お金をあげると、次出会ったときもJは私がお金をあげることを期待するかもしれない。

たった2円で何を悩んでるんだろう、と思いながら私はもやもやする
気持ちを抑えることができません。

Jはいつも大人用のサイズの合わないボロボロのサンダルを履いています。
私のビーチサンダルをあげたら彼は歩きやすくなるかもしれない。

でもビーチサンダルあげたらその次は。
服は、食べ物は、水は、ノートや鉛筆、彼の家は、彼の家族は。

それにストリートチルドレンはJ一人じゃない。他に何人もいます。

貧困はいやです。なくなればいいのにといつも思います。
みんながお腹いっぱいごはんが食べられて、学校に行けて、勉強できて、仕事ができて、

私はなんだかマクドナルドに行きにくくなってしまいました。
私がマクドナルドで食事をしているところをJが見たらなんだか申し訳なくていやだな、
と思ってしまうのです。

そう思う自分もいやです。

1日1ドル以下で生活する人が貧困ですか。そうですか。

授業で話を聞いてるだけのときは良かったです。
難しそうな本を読んで理解した気になれて。
それはとっても遠い世界のことでした。

でも現実はいろいろと違う。

なんだかよくまとまりません。
もやもやした気持ちがとまりません。

2012年12月4日火曜日

facebook2

先日、偶然バスで隣になった方と目的地に着くまでお話しました。思いもよらず会話が弾み、良い出会いがあってラッキーだと思っていたら、別れ際にfacebookアカウントを持っているか、と聞かれました。「Yes」と答えfacebooknameを伝えると「See you on facebook!」と言われ、そして後日facebook上でも友達になりました。

私は「See you on facebook」という言葉にとても驚き、すごい時代になったと思わずにはいられませんでした。もはや「別れ」という概念がなくなっているじゃないか、と思ったのです。

私にとって人との別れが悲しいのは、会えるのはこれが最後かもしれない、もう連絡もとれなくなるかもしれない、と思うからなのですが、facebookでは一度友達になると連絡もとれるし
画面越しですが、会える。
あれほど別れるのが寂しかった韓国の友達も、今でもfacebook上でリアルタイムに連絡が取れ、現在の様子も写真ですぐにわかります。

なんだかおとついの記事とものすごく矛盾することを書いていますが、少しさびしいなという
気がしました。
人との別れは悲しいですが、だからこそ時々ふっと、元気にしてるかな、久しぶりに会いたいな、でも会えないな、と思い出すのもまた風情があっていいと思うのですが..。

でも「昔はよかった」なんてしみじみ言うのはあまりかっこよくないので、時々一人でこっそり別れの風情を懐かしみながら、世界中の人とリアルタイムにつながっている今の便利さをもっと享受しようと思います。

2012年12月2日日曜日

facebook

少し前までfaccebookはすごく苦手でした。
ニュースフィードには次から次から情報が流れてくるし、自分が発信するとなると誰の反応も
なかったらどうしようなどとくよくよしてしまうし..。

けれどある出来事をきっかけに私はfacebookの面白さに気付きます。

それは私が投稿した写真に、コメントがついていたときのこと。
普段のドミトリーでの食事風景の写真なのですが、離れて暮らす妹さんが写真にうつるお兄さんに「お兄さん、お元気ですか?」とコメントを書いていました。私は写真を一般に公開していませんが、タグ付けをしたのでその妹さんもお兄さんの写真を見られたのだろうと思います。

そのとき私はfacebookはすごいツールだ!と思いました。

一度すごくホームシックになったときに「家族の写真をメールで送ってください」と父にお願いしたことがあります。おそらく最近の家族写真がなかったのでしょう。昨年の年賀状用の家族写真が父から送られてきました。
確かにそれも嬉しかったのですが、本当は今家族がどう過ごしているのか、何を食べているのか、健康でいてくれているのか、今現在の家族の表情が知りたかったのです。(そうなんですよ、お父さん)

facebookは私が知りたかったそういう日常を離れた場所でもリアルタイムに伝えることができるツールだと、その妹さんのコメントを見て実感したのです。

facebookに並ぶ美しい場所や美味しそうな料理の写真ももちろん素晴らしいです。
けれど、毎日繰り返す生活もまた同じぐらい素晴らしくて尊いのだと思います。そして普段記録されないだけに、人によってはそのような写真はより価値をもつのかもしれません。

これからできるだけ、たくさん日常の写真を撮りたいと思います。そしてそれを自分だけではなく多くの人に見てもらいたいと思います。
facebook上に一度公開するとそれはもう私の写真ではなく、より大きな価値をもって人に伝わっていくのだと思います。

2012年12月1日土曜日

伝わらない

フィリピンに来たばかりの頃はしょっちゅう泣いていたのに、いつの間にかあまり泣かなくなったなーと最近思います。

けれど、涙が出る瞬間は自分が意識せず時々突然訪れます。
それは例えば、お釣りのコインを乱暴に渡された時。
そのこと自体が悲しいのではなく、そういうささいなことをきっかけにぷつんと糸が切れたように
涙が出るときがあるのです。

毎日の生活、まだまだ言葉も十分に習得したとは言えません。
自分の言いたいことが伝わらない。舌に重りをつけて話しているみたいだといつも感じます。
そういう伝わらないストレスが無意識のうちに積み重なって、時々涙となって出てくるのかな、と思いました。

そういう意味では、このブログは自分が好きなように使える日本語で好きなように文章が書ける唯一の場です。「伝わらない」というストレスを感じることなく言葉が自由に使える嬉しさを改めて噛み締めています。