昨年の夏、岩手県での泥かきのボランティアに参加しました。
津波で流された街の光景は想像以上に心にズシンときました。
40人ほどのボランティアで泥かきをしていたとき、津波に流されて何もない街を
制服姿の高校生たちが自転車でさーっと下校していくのが見えました。
そのとき私は彼らをすごくタフだな、と思ったのです。
こんな大変な目に遭っているのに...と。
でもあとから思うと、彼らにとっては当たり前のことなのだ、とはっとしました。
たとえ街の姿は変わってしまっても、多くの家が失われてしまっても、
彼らの日常は失われていない。
そう気づいたとき、私は自分の中の上から目線な態度に愕然としました。
東北が大変だ!困っているにちがいない!何とかしに行かなきゃ!
とても恥ずかしいのですが、ボランティアをする前、岩手県にいく道中、
私は自分の正義感にちょっとうっとりすらしていたのです。
役に立ってやるぞー!と。
でもそれはとても上から目線でした。
困っているに違いない、悲しんでいるに違いない、という気持ちが私の中にはありました。
日常は失われていない。
時間は同じように流れ、同じように尊い繰り返されるべき生活がある。
そのことを下校中の高校生たちに気付かされました。
上から目線になるべきじゃなかった。
何が言いたいかというと、正義感というのはときどきちょっと危険だと思うのです。
正義感という言葉に、何か自分が偉くなったような気がしてしまう。
けれど、正義の名のもとに大事なものを見落としまうかもしれない。
自分の動機、本当にそれは相手のことを思っているか、
かっこいい言葉、耳触りのいい言葉で自分の本当の気持ちを見えなくしていないか、
これは自分への戒めです。
ボランティアとか社会奉仕とか、そういう言葉は本当に気をつけないと、自分があたかも力があって、弱い人たちを助けることができる、的な構図を自明視してしまいがちになるんだよね。
返信削除自分も反省。。。
分かっているつもりでも、気づかないときがたくさんある。。。
「自分があたかも力があって弱い人たちを助けることができる」
削除この一文にはっとしました。これは本当に私も気をつけたいと思います。