2012年12月15日土曜日

思うこと2

「貧困とは1日1ドル以下で生きる人のことだ」
と定義を聞くとああそうですか、と思いなんとなく頭で貧困を理解した気になります。
けれど、実際にJの生活を目の当たりにすると定義なんて頭から飛んでしまって
私は何も言えなくなってしまうのです。

レストランでお客さんが食べ残したほとんど骨だけのチキンをもらって食べたり、
道端に捨ててあるマクドナルドのジュースのカップを拾って中の氷をかじっていたり。

もはや食べものと呼べないようなものでもJにとっては貴重な食料だそうです。

Jはストリートチルドレンの中でも年上のようで、道行く人から集めたであろうコインで道端で売られている10ペソのコーンを買い、さらに小さなストリートチルドレンたちに食べさせているところも見かけます。

ストリートチルドレン=かわいそう、と単純に考えるのは違和感があります。
彼らの人生は彼らのもので、私が想像してみたところで彼らのことを本当に理解することはとても難しく思います。

けれど、数人の子どもたちががりがりに痩せて、食べ物と呼べないようなものを食べている
現実、定義では見えてこない貧困の現実はきちんと受け止めたいと思っています。

今、インターネットで「貧困」と検索すると、金銭的な援助だったり、物資の援助だったり、技術や教育、ものすごい数の情報が見られます。
政府以外にNGOやNPO,その他たくさん世界中の人々があらゆる方法で貧困を解消しようと支援しているのがわかります。

私は一人、JやJの友達と話すことしかできません。
あふれる情報を前に、何もできずにひるんでいます。

私は何も持っていない。

だから私は彼らの友達になろうと思います。
Jがタガログ語を教えてくれるように、私もなにか面白いことを伝えたい。
フィリピンに約8か月住んでたくさん学ばせてもらったように、日本人として
「日本ってこんなところなんだよ、世界っていろんな場所、人がいて面白いんだよ」
ということを伝えられたら、と思います。


ということを書きながら、本当はなにがいいのかよくわかりません。
でもそれはきっと相手に何かしてあげよう、と思うからぐるぐるまとまらなくなってしまうのかなと
思ったり..。
「してあげる」っていうのはよくないですね.。

彼らと同じ目線に立てる人になりたいです。

2 件のコメント:

  1. 彼らと友達になることそのものが勇気のいることだと思う。周りから見れば、余計なことするなって思っている人もいるかもしれない。けど、その関わり方を決めたことに、自分はすごいことだと思う。変わることが難しい中で、そう決めたことは本当にすごいことやと思う。もちろん、それがまた変わってもいいと思う。でも、まず一歩自分から変わろうとしたこと、それが大事なことだと思う。

    振り返ってみると、自分がフィリピンに関わり始めたときも、フィリピンの人と関わりたい、と思ってたけど、自分が果たして変わったのか、自分の価値観を押しつけてなかったか、色眼鏡で見てなかったか、と言われると、Noとは言えない。今でも、はっきりとNoと言えるかと言われると、自信を持てないこともある。どっかで割り切ってる部分もある。このブログ見て、考えさせられることもたくさんある。

    今、残り少ない時間かもしれないけど、できることをできるだけ、好きなことをを好きなだけやって、関わって、また考え直して次のこと、関わり方を考えてることもできる。人は何回でもやり直せるから、今とにかく止まらずにチャレンジしてみることがいいんじゃないかなと思うよ。

    ただ、無理だけはしないように。つらかったら止まってもいいし、相談してもいいし、ぶちまけてもいいし。自分だけで抱え込まないこと!

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    1. コメントありがとうございます。
      友達になるといっても少し話すぐらいですが、1ヶ月前には無視をして通り過ぎていたのが今ではお互い名前を呼び合うようになって、0だった関係が0.1ぐらいにはなったかな、という気がしています。
      ただ、たまにJが私にしつこく物乞いをしていると勘違いをしたおじさんがJを怒鳴りつけることがあり「違うんだ」と説明しながらJに対して余計なことをしているかな、と申し訳なく思うときもあります。
      何がいいのか、何が出来るのか、自問自答しながらそれでも答えは出ずにもやもやしています。
      それでも無理しない範囲で「今はとにかく止まらずチャレンジ」してみようと思います。

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