私には友達がいます。
彼の名前をJとします。
年齢は聞いたことがありませんがおそらく8才か9才ぐらい。
学校には行っていないようです。
Jは路上で生活している、ストリートチルドレンです。
初めて出会ったのはマクドナルドの前で友達と待ち合わせをしているときでした。
彼は他のストリートチルドレンと同様に手を出して
私にお金を求めてきました。
いつものように知らないふりをしようと思いましたが
友達が来るまで少ししゃべりました。
それ以来、Jは私を見つけると「Yuuka!」と駆け寄ってくるようになりました。
出会うといつもアニメの話をしたり、タガログ語を教えてくれます。
時々Jは「1ペソでいいからちょうだい。」と言ってきます。
1ペソ。コイン1枚。日本円で約2円です。
1ペソでキャンディ1つが買え、7ペソでジュースが買え、10ペソでアイスが買えます。
私にとってあげられない額ではありません。
でも私はとても複雑な気分になってしまうのです。
1度お金をあげると、次出会ったときもJは私がお金をあげることを期待するかもしれない。
たった2円で何を悩んでるんだろう、と思いながら私はもやもやする
気持ちを抑えることができません。
Jはいつも大人用のサイズの合わないボロボロのサンダルを履いています。
私のビーチサンダルをあげたら彼は歩きやすくなるかもしれない。
でもビーチサンダルあげたらその次は。
服は、食べ物は、水は、ノートや鉛筆、彼の家は、彼の家族は。
それにストリートチルドレンはJ一人じゃない。他に何人もいます。
貧困はいやです。なくなればいいのにといつも思います。
みんながお腹いっぱいごはんが食べられて、学校に行けて、勉強できて、仕事ができて、
私はなんだかマクドナルドに行きにくくなってしまいました。
私がマクドナルドで食事をしているところをJが見たらなんだか申し訳なくていやだな、
と思ってしまうのです。
そう思う自分もいやです。
1日1ドル以下で生活する人が貧困ですか。そうですか。
授業で話を聞いてるだけのときは良かったです。
難しそうな本を読んで理解した気になれて。
それはとっても遠い世界のことでした。
でも現実はいろいろと違う。
なんだかよくまとまりません。
もやもやした気持ちがとまりません。
J=ストリートチルドレン=貧しい・かわいそう=お金やモノをあげることでしか救えない
返信削除文章を読んでいると、そういう定式ができている気がした。
彼がお金を望むからあげたい、彼がモノをほしがるからあげたい、では、何も変わらないと思う。
もちろん、今あの場所で何か新しい活動を起こせるほどではないかもしれないけど、お金やモノをあげることでしか救えない対象じゃなくて、Jと違う関わり方を見つけることが大事じゃないかと思う。
Jの見た目は変わらないかもしれないけど、何かが変わるかもしれない。何より、自分は変わる。何もできない自分じゃなくて、何かできる自分になる。そうしたら、また見えてくるモノも変わるんじゃないかな。