2年前、フィリピンで生活を始めたとき、私はお金を使うことを極端にびびっていた。日本人ということで金持ちに見られたらどうしよう、と思い人前で小銭を見せるのすら怖いという感覚を持つほどだった。
私は、自分の持ち物を全て最安値のものだけで揃えていた。腕時計もカバンも持ってきていなかったので両方ともフィリピンのスーパーで購入した。日本円で400円のカバン、100円の腕時計を使い、わざと破れたズボンを履いていた。みすぼらしく見えるくらいがちょうど良いんだと自分に言い聞かせていた。
ようやく生活に慣れて周りが見えてくるようになると、みんなは普通におしゃれをしていることに気づく。アクセサリーをつけ、メイクをして、可愛いデザインの服を着て、おしゃれなカバンを持っていた。
確かに私は生活するのに最低限のものは持っていた。でも同時にみすぼらしい自分がイヤに思うこともあった。必要最低限のものに囲まれた生活は、ただただ貧しさだけを感じた。
400円のカバンがたった2ヶ月でどうしようもないほどぼろぼろになり、新しいカバンを買わなければいけなくなった。また同じものを買うこともできたが、私はデパートに行って1000円のカバンを買った。これも2週間悩んだ末の買い物だ。物が入るという機能ではなく、デザインが気に入って購入した。
そのとき、ああ豊かさってこういうことなんだなと実感した。デザインで選ぶという選択肢が増えること。そういう豊かさって人生をとても楽しくしてくれるんだと思う。だからそういう豊かさ、選択肢の多さを得るために人はお金を稼ぐんだと気づいた。
こういうことを考えてたときに、ネットでこんな言葉を拾った。
「人は富そのものでなく、富の変化量から効用を得る」
お金を得るとその分人生の選択肢が増え、その選択肢が増えたっていう実感こそが豊かさなのだろう。
私はお金を稼ぎたい。そして人生の選択肢をたくさん増やしたい。
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