2014年4月9日水曜日

たどり着けない境地

もうだいぶ前のことなのだけれど、ふとさっき思い出したことがある。

知人と両親の話になったときに、私は言った。
「ずっと好きなことをさせてもらって親には迷惑をかけ続けているから、早く楽させてあげたいんよね。」

切実にそう思っていたから、その時私はとても真剣だった。だけど相手は笑って、流した。
「ははは、何言ってんの。ほんとうにマジメだね。」

私は相手に期待をしていた。言葉の重みを一緒に共感してほしいと思っていた。けれど、自分の気持ちの重みが相手にとってはそれほどでもないのだとわかったとき、少しショックだった。

言葉の意味は伝わっても、言葉の重みまでは伝わらない。

父が昔、結婚式のスピーチを頼まれたとき、「夫婦とは期待しないことです」と言ったそうだ。その話を聞いたとき、なんて夢のないスピーチなんだと思ったが、今は父の言った言葉の意味が少しわかる。

「期待をしない」とは人間関係の理想形なのだろう。言わば悟りの境地のようなものだと思う。

相手はわかってくれるに違いない、私の思いを受け止めてくれるに違いない。そう期待することは相手への依存だ。

期待をしなければ、余計なことに傷つかず、腹を立てることもない。期待をしないからこそ、相手のしてくれたことが余計に嬉しく感じられる。相手のことをするりと受け入れることができる。

諦めとか寂しいものじゃなく、静かに相手と向き合う境地。
頭ではわかっていながらも、まだ私はそこへ行けない。

0 件のコメント:

コメントを投稿