2014年5月10日土曜日

中2病をこじらせていたとき

いわゆる中2病と呼べるのかわからないけど、あの年齢特有の「自分は人と違うんだ」という自意識をたっぷりもてあましていた時期が私にもあった。

まさに、中学2年生のときだった。

ある日、道徳の授業があった。その日は何だか偉い人が授業を見学に来ていて、先生も、生徒も少し緊張していた。

「心のノート」みたいな名前の教科書で、授業で扱った題材はこんな話だった。

サラリーマンのおじさん、年を取ったおばあさん、若いサラリーマンが満員電車に乗っている。おじさんが座席に座っていて、おばあさんが立っていた。それを見た若いサラリーマンが、おじさんに「おばあさんに席を譲ったらどうですか。」と声をかける。それに対しておじさんは怒り、「オレは疲れているから、座るために早起きしてわざわざ遠い駅まで行ってこの電車に乗ってきたんだ」と言う。若者はそれに対して、「おばあさんに席を譲るのは常識だ」と言う。二人は満員電車の中で口論になる。これを読んで誰が正しいのか議論しましょう、という授業だった。

「若いサラリーマンだと思う人」と先生が聞く。クラスのほとんどが手を上げる。

「なぜですか」

「お年寄りには席を譲らなければいけないからです」
「このおじさんはわがままです」
「おじさんがいくら疲れていても、おばあさんの方がもっとしんどいと思います」

クラスの意見が「おじさんが悪い」ということにまとまりかけていった。

中2病をこじらせていて、何か人と違うことを言ってやろうと思っていた私は手を上げた。

「私は若いサラリーマンではないと思います。」

「だいたい周りの人はどうしていたんでしょう。二人の口論を聞いている人はたくさんいるはずなのに、席を譲っていない。おじさんが悪者のように書かれているけれど、周りの人も見て見ぬふりをしているということは、同じように悪いことではないですか」

「そもそも、このおばあさんは本当に席を譲ってほしかったんでしょうか。健康のために立っていたかったということは考えられませんか。そんなことも想像せず、勝手におじさんに突っかかるこの若者はただ自分の正義感に酔っているだけではないですか」

何だか楽しくなってきて、言葉がとまらなくなった。

「それに、自分のために二人の男性が口論をして、その結果もし席を譲られたとしても、このおばあさんは本当に気持ちよく座れますか。おじさんの不満げな視線と、若者の勝ち誇った顔を見ながらその場所にいることは、おばあさんにとってとても苦痛なことではないでしょうか。そのことを想像できない若者もおばあさんにとっては決していい人だとは思えません。」

「おじさんは、本当に身体がしんどいのかもしれません。心臓が痛いのかもしれない。肺が痛いのかもしれない。表面には見えないけど、どこか体に大きな痛みを抱えていて、座っていないとしんどくてたまらない、ということは考えられませんか。」

「それなのに、どうしておじさんだけが悪いと言えるんでしょうか!」

自分の言葉に酔っていた。「さあ、誰か反論するがよい!」と思って席についたら、クラスの空気が冷え切っていたことに気づいた。見学に来ていた偉いおじさんが笑ってこっちを見ていて、目が合った。それが何だか嫌だった。

「そうですね、やまぐちさん、もう言いたいことはないですか」

そう先生に言われ、自分のしたことが急に恥ずかしくなった。友達に授業が終わった後、「さっきすごかったね」と冷やかされた。

ああ思い出しても、生意気な中学生だ。

人と違う視点もっているんですよアピールが、私のこじらせた中2病だった。思い出しても、「うわあああああ」と叫びたくなるぐらい、恥ずかしい。

当時の自分を成仏させたくて、書いた。

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