自分はなんてダメなんだと思うとき、そこにはちょっと甘い毒みたいなのが含まれていて、自己嫌悪に陥る状態はちょっと気持ちが良かったりする。
「はたらけど はたらけど猶 わがくらし 楽にならざり」という石川啄木の詩を読んだときこの人はナルシストだなと思ったし、太宰治の人間失格を読んだ時も同じようなことを思った。
一見深く考えているようで、苦しんでいるようで、悩んでいるようで、自己愛が強すぎるあまり「可哀相な自分、不幸な自分」というものに酔っているのではないのか、と。
もちろん啄木や太宰と私を一緒にするわけではないが、自己嫌悪に陥るときどこかその状態を気持ちよく思っている自分は確かにいて、それはけっこう毒だよなあと時々恐ろしくなるのだ。
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