2016年12月23日金曜日

音楽

今、無性に音楽をしたい。
ピアノを弾きたい。
ドラムを叩きたい。

たまにものすごく集中して練習したい。発表会の、ライブの、手が震えるような緊張感を味わいたい。

日常生活では着ないような服や化粧で、じりじりと暑いスポットライトを浴びたい。

全然理想通りの演奏が出来なくて自分の下手さに恥ずかしくなりたい。

ああ、音楽がしたい。
大人はどこで、音楽をやっている?

2016年12月18日日曜日

仕事を好きになる方法

私が大好きな映画「プラダを着た悪魔」の中で、主人公アンディが、上司が自分の頑張りを認めてくれないと同僚に泣き言をいうシーンがある。

同僚であるナイジェルは、突き放す。ファッションの仕事が好きでたまらない人間がここにはたくさんいるのに、上司に認められないというだけで君は愚痴る。目を覚ませ、と言う。

これまで服に興味がなくダサい服装のままファッション誌編集部で働いていたアンディは、その日を境に急におしゃれをするようになる。ファッション編集部で働くおしゃれな人たちになじむ装いをするようになる。

彼女はきっと、ファッションブランドのことを勉強した。そして自らもハイブランドに身を包み、ファッションが好きになっていったのではないかと思う。

ファッションを無駄なものだと馬鹿にしていたアンディが、仕事に敬意を持ち始めた瞬間、すなわち世界の流行をつくる、というファッション誌の役割を真の意味で理解したのだと思う。私はこのシーンが大好きだ。

そして、久しぶりに映画を見返して、はっとさせられた。
変身前のアンディと、今、仕事でうじうじ悩んでいる自分は重なるような気がした。

彼女の仕事はファッションで、私の仕事は、建築だ。

建築のことに詳しくなればいいのか。
建築を好きになればいいのか。

彼女はおしゃれになり、ファッションブランドに詳しくなり、仕事がスマートにできるようになる。
私は建築をもっと勉強して、いろんなメーカーの商品に詳しくなって、CADが早く操作できるようになって、図面が早くかけるようになる。

目先のことばかりにとらわれて働くのがしんどいなあと勝手に思っていたけど、なんで気づかなかったんだろう。

新建築を久しぶりに買おう。学生のときみたいに、面白い建築を見に行ってスケッチしよう。建築が好きだという気持ちを呼び起こそう、と思った。

2016年12月17日土曜日

高円寺

東京で働く大学の先輩に誘ってもらい、高円寺で古着屋めぐりをした。歩けばあちこちにある古着屋。宝探しをするようだった。

買ったのは小さな口紅がたくさん並んだ模様のシフォンワンピース、バレリーナの形のピアス、2連になった指輪だ。とっても可愛い。年末に実家に帰る時に、ワンピースを着て、ピアスをつけて、指輪をしよう。

古着屋めぐりの間に、カレーを食べ、カフェでチーズケーキを食べ、そして最後は餃子にビールでしめた。ずっとしゃべってしゃべってしゃべり続けた。お酒に酔うって気持ちいいんだなあと久しぶりに思った。自分が好きだなあと思う人と飲むお酒は最高に美味しい。悪酔いもしない。

先輩に、東京の面白い場所やイベントを教えてもらった。半年も住んでいるのに全然知らなかった。いつまでここにいられるか全くわからないけど、せっかく今は東京に住んでるのだから、もっとこの機会を享受しないとなあと思った。

今、会社の人間関係がすべてで、それだけっていうのは時々とても苦しくなることがあるけど、こうやって全く別の関係の人と出会うと心が洗われた。大げさではなく、救われたような気分になった。

ほろ酔いの幸せな土曜日。

2016年12月13日火曜日

買いたいけど買えない

黒柳徹子のインスタグラムを見ていると、素敵なものに囲まれていて、ものの一つひとつに思い出話があっていいなあと思う。こんなお金の使い方をしたい。

少しばかりの貯金で何か自分に買いたいが、どうも私はお金を使うのが怖い。今大好きな服のブランドがあるのだけれど、お店にも見に行くのだけど、なかなか勇気が出なくて買えない。ちょっと高めの価格帯であることと、まだそのブランドに自分は見合わないだろう、という気持ちが渦巻き、ゾゾタウンを見ては「あー欲しいなーでも勇気が出ないなー」とうじうじしている。

あれほど欲しかったビオラのピアスも、時間が経てばやっぱり今買わなくてもいいか、と購買意欲が薄れていく。買い物には衝動が必要なのかもしれない。

消費をしないとどんどん自分がつまらなくなっていく気がする。なにかお出かけする予定があればいいのだけれど。いや、服とピアスを買って、それらを着るための予定を作ろうか。

2016年12月11日日曜日

朝食ケーキ

雑誌キャンキャンを初めて買ったのは、高校1年生の時だった。雑誌は毎月セブンティーンを買っていたが、何となく違うのも読んでみようと手にとったのだった。ものすごく分厚くて、わくわくした。もちろん、雑誌の対象年齢からは大きく外れている。

だがキャンキャンを買ったのは後にも先にも、この一度だけだった。いかにも男性にモテそうな服が次から次へと載っていたのをぼんやり思い出す。

唯一はっきり覚えているのは、モデルの朝ごはんを紹介するページで、あるモデルが朝ごはんに毎日ケーキを一つ食べていると書いていたことだ。

ケーキって特別な日に食べるものじゃないのか。いいな。私も真似したい。そう思って母に、「キャンキャンのモデルは毎日朝ごはんにケーキを食べるんだって!」と言った。
母はひとこと、「そんなことしたら糖尿になるわ。」と言った。

思えばキャンキャンへのキラキラとした憧れも、その時音を立ててしゅるしゅるとしぼんでいった気がする。

なぜこんなことを思い出したかというと、明日の私の朝食は苺のショートケーキだからだ。憂鬱な月曜日をキラキラした気分で迎えるために、ケーキを食べたら何とかなるのではないかと、駅前のケーキ屋で買った。

あのキャンキャンモデルは、今でも朝食にケーキを食べているだろうか。

2016年12月10日土曜日

傷つきやすい

アルコールが残り、しんどい土曜日の始まりだった。

何とか体を持ち上げて、予約していた歯医者さんで歯のクリーニングをしてもらう。歯が真っ白になり、楽しくなくても歯を見せたいがために笑いたくなってしまう。少し元気が出た。

衝動的に美容院の予約もした。明日、すっきり髪型を変えよう。明日は丈を直してもらったスカートとワンピースも取りに行く予定だし、それに合わせるセーターも買いに行きたい。

唐突だが、ネットで、「傷つきやすい人は人を傷つけやすい」という文章を読み、自分のことかと、どきっとしてしまった。

私は傷つきやすいと思う。人の言葉を深読みし、すぐにくよくよする。一人でよく泣く。うじうじと何日も考えすぎてしまう。傷つくと、それを自分で消化しきれないとき、苛立ちや怒りに変わってしまうこともある。

前に、「あなたは自分に対する期待値が高すぎるんだね」と言われことがある。「自分はこの程度しかできないと思うと、傷つくこともない」とも言われた。

そのときは、「そうは言われても自分の理想とする姿にたどり着けない時、苛立ったり落ち込んだりするのは仕方ないじゃないか」と思った。

でもふと、傷つきやすい私は、見えない物差しを勝手に作って、勝手に傷ついているだけなのか、と思った。
優秀か頭が悪いか、美人か不美人か、とかそうやって自分で勝手に物差しをつくって、そこに届かない自分に落ち込む。劣等感はますます、増大する。

人と比べたりしないで、自分に期待しすぎないで、自分の好きなことを夢中に追い求めて生きていければいいのに。

ちょっと、心が弱くなってしまった。明日は髪を切って、洋服を買って、美味しいものを食べよう。

2016年12月7日水曜日

春菊と遅刻

サラダを作らなきゃと思ってスーパーに行き、春菊を手に取ったところで目が覚めた。遅刻だ。いつも起きなきゃいけない時間から1時間経っていた。

ああ嫌だなあと思いながら電車に乗って、会社に着いた。

帰り、いつもならコンビニで済ますところをスーパーによった。割引シールが貼られたネギトロとアボカドを買う。ご飯にのせて、ネギトロアボカド丼にしよう。

ところで、春菊は売っていなかった。今朝の夢は、なんの暗喩だったのだろう。

2016年12月6日火曜日

騙されるまい

夜、何か読みたくてAmazonでおすすめされた漫画をKindleで読んだ。誰も救われない話で、気分がどんどん沈んだ。が、続きが気になって結局6刊まで購入し、夜の2時まで読みふけった。

その漫画もだけど、女の人が騙される話ばかり読んでいる。別の日に読んだ小説は、25歳の女性が男性と婚約するが二股をかけられている、といった内容だった。

そういうものを読みたいと特に思っているわけではない。でも、愚かで騙されていても女の人が強く生きていく物語は読んでいて気持ちがいい。一方で、男は悪くて、女を騙して、という描かれ方をするのは何だか嫌な気分だ。こんな人現実にいたら嫌だなあと思う程度で、私にはよくわからない世界だからだ。

「怒り」という小説を読んで、人は自分の見たいようにしか人を見ないのだ、というメッセージを私は受け取ったのだけど、私もやっぱり自分の見たいようにしか人を見ていないのだと思う。

ひどい男が出てくる物語を読むたびに、私が好きな男の人は優しい人でよかったと心から思う。けれど、それはやっぱり優しい人であってほしいという願望があるから、自分の思い込みかもしれない。

女も男も誰かを好きになったら、やっぱりちょっと頭が悪くなる気がする。少なくとも、私はIQが下がる。

例えば、旅行に行っても景色を見ずに相手の顔ばかり見てしまう。そっちの方がずっと楽しいし、見ていて飽きない。今は、「逃げるは恥だが役に立つ」を見たあとに好きな男の人の写真を見ると、メガネをかけている、というだけで星野源に見えてくる。

こういうことを書いて読み返すと、人を好きになっているときの自分はやっぱりIQが下がっている。

私の好きな男の人が悪いやつで、私を騙していたらどうしよう。
でも頭はぽーっとして、きっと私は、何も気づかない。

2016年12月5日月曜日

休日の仕上げ

ああ会社休みたいなー、と思いながらそれでも会社に行く月曜日。
昨日は久しぶりに市民プールでぐったりするほど泳いだ。

自分は何をしたら元気が出るのか、ぼんやりわかってきた。
ゆっくりと長い距離を泳ぐこと。ぬるめのお風呂に入って汗をかきながら本を読むこと。野菜をたっぷり食べること。ベランダで椅子に座って炭酸を飲むこと。

昨日は炭酸を飲む以外をやって、週末を締めくくった。久しぶりに泳いで、筋肉を酷使して、気分がよかった。

私の好きなドラマ「すいか」の中で、ゲイの講師のこんなセリフがある。

「女はね、いい?才能かおっぱいなの。どっちかがないと大変なことになるのよ。」

才能がない女は女らしさを磨いて、男に気に入られるように生きていくしかない、という意味だったと思う。

ストーリーの中では、結局そんな世間の常識やしがらみに縛られなくても、自分の好きなことを貫けばいいのだ、という結末になるのだけれど、このセリフを借りるなら、私はこうだ。

「女はね、いい?才能か筋肉なの。どっちかがないと大変なことになるのよ。」

というのは冗談だけど、才能、すなわち何かを好きだと思ってやり続けられるのに加えて、仕事をする上では筋肉が必要だと思う。

精神も肉体も病まずに生きていくために、鍛えなければ。そうじゃなければ、この世は病みやすいことで溢れている。

鍛えよう。そして強くなろう。水泳でぐったり帰ってきたあと、そう思った。

2016年12月1日木曜日

雨の日

しとしとと雨が降る。こんな日はいつも電車が遅延する。

9時に間に合わないことがわかったので、いつもよりゆっくり歩いて会社に向かった。
ゆっくりゆっくり仕事をした。なんだか今日は、一生懸命頑張ろうと思えなかった。

同じ時期に東京で会社員を始めた友達が、10月から体調不良で休職していると聞いた。戦友を失ったような気分になった。会社で働くのってつらい。

同期が色んな仕事を任されているのを横目に見る。私は今自分がやるべきことをきちんとやるのだ、と言い聞かせても、思考はふらふらとさまよう。

今日はきっと、身体が疲れている。明日は、あの白のVネックセーターを着てフレアスカートをはいて、靴は赤いスウェードのパンプスを合わせよう。靴に合わせてピアスも赤い石にしよう。
よかった。だんだん元気が出てくる。

今週も明日で終わり。あと1日、生き延びよう。

2016年11月30日水曜日

箱根


少し前の週末に、箱根へ行った。土曜日のお昼のロマンスカーは満席だった。王道の旅行先だけある。箱根までは新宿から1時間半。その距離がいいんだと思う。遠すぎず、近すぎない。

夕方、温泉街を歩く。川が流れる音とぶらさがる提灯。手をつなぐたくさんのカップル。街全体がじめっと湿っぽかった。

箱根には美術館がたくさんある。それから山と川と温泉。バスはぐるぐると循環している。綿密な計画を立てなくても、それなりに楽しい場所へあまり時間もかからずに移動できる。

若いカップルの初めての旅行にもちょうどいいだろうし、熟年夫婦の旅行にもちょうどいいんだろう。王道の旅行先だけある。

記憶に残ったのは、ポーラ美術館のトイレの洗面台だ。たっぷりの光と丸い鏡。清潔で、かっこよかった。化粧品を作っている会社なだけある。

写真を撮ればよかったのだが、その時私はお昼に食べたアイスのせいで腹痛が止まらず、それどころではなかったのだ。

2016年11月29日火曜日

ピアス

指輪やネックレスと違って耳たぶの飾りは自分では見えないのに、私はピアスを欠かさない。うっかりつけ忘れるとその日はずっと元気が出ない。

先日、祖母の見舞いのあと新幹線で東京に戻った。祖母には申し訳ないが、病院にいると心が沈む。新幹線を降りると滋賀とは比べ物にならない人の数に、街の圧倒的な生命力を感じた。心からほっとした。

何か綺麗なものを見てから家に帰りたい。キラキラしたものに囲まれたい。洋服でも、靴でも、アクセサリーでもなんでもいい。そう思って新宿のルミネに行った。

作家の作品ばかりを集めたお店で、強烈に「欲しい!」と思うピアスを見つけた。ビオラの花を模した複雑な色合いのピアス。値段は1万1千円だった。

お店には、華やかで心が踊りそうなパステルカラーと、秋冬にぴったりなスモーキーカラーの2色が並んでいた。今買うならスモーキーカラーの方が服に会わせやすいけど、パステルカラーも春夏にぴったりで、可愛らしい。

店内をぐるぐるまわって物欲を落ち着かせようとするが、気分はどんどん高揚する。

両方買ってしまおうか。2万2千円か。ティファニーとかに比べたら安いではないか。仕事も色々あって大変だったし、朝が苦手なのに毎日早起きもよくやってると思う。買っちゃえ買っちゃえ買っちゃえ買っちゃえ。物欲はささやき続ける。

指輪やネックレスと違って、耳たぶの飾りは自分では見えない。でも顔の一番近くで、自分をきらきらと彩ってくれる。だからアクセサリーの中で一番好きだ。

それからというもの、インスタグラムでそのブランドの写真をうっとり眺めている。そのピアスをつけている自分を想像する。ずっとずっと素敵になれる気がする。

その瞬間はいつも、仕事で失敗ばかりしてしまうこととか、こめかみのニキビがずっと治らないこととか、私の素敵じゃない日常を、忘れさせてくれるのだ。

2016年11月28日月曜日

命の終わり

実家で飼っていた犬が亡くなった。
いるだけで幸せな気分になる存在は貴重だと、いなくなってから痛感する。

彼は、私の弟を一番慕っていた。ちょうど弟の外出中に亡くなったのは、亡くなる姿を見せまいと思ったのだろうか。

11年間、幸せをふりまいてくれてありがとう。

あーどの写真も可愛くて、いっぱい載せちゃう。













2016年11月26日土曜日

私の大学時代

出張のあと、急いで新幹線に乗って大学の先生のお祝い会へ。

100人もの卒業生が集まった一次会には間に合わなかったけれど、二次会に途中参加した。それでも何十人もの卒業生。

私が40代になったとき、自分のために100人もの人が集まってくれるだろうか。
久しぶりに出会った先生は、相変わらずエネルギーの塊のようだった。

この人は自分に真剣に対峙してくれている。そう思わせてくれる先生だった。
みんながそう思うから、こんなにもたくさんの卒業生に慕われるんだろう。

卒業後、とある用事で送ったメールに来た先生からの返信を、今でもたまに読み返す。

「仕事は厳しいでしょうが、こつこつと様々な手段を覚えてください。
それでも、その手段を使う目的は、大学時代に経験した様々なことがベースになりますので、大学時代に学んだことは、ゆっくりといかされると思います。
近くに来られる際は、気軽にご連絡ください。
研究室の扉はいつも開いています。

研究室にいた1年は長い人生でみれば短い時間だけれど、振り返ると圧倒的にきらきらした時間だった。

2016年11月15日火曜日

生き延びたい

遠い親戚の通夜に参列した。
故人が好きだったのか、サザンの音楽が鳴っていた。

誰もが重々しい表情をした会場で、「今何時?」と歌う桑田佳祐の声。

私の通夜があるなら、ジョージウィンストンのピアノをかけてほしい。短調の、悲しい音楽がいい。

通夜の会場で僧侶の読経を聞きながら、高校生のとき初めて買った自己啓発本に書かれていた言葉を思い出した。

「あなたが死ぬとき、何人が泣いてくれますか?」

アメリカ人の弁護士でコンサルタントという人が書いたよくある内容の薄い自己啓発本だったと思う。泣いてくれる人がいるように生きよう、みたいなことが書かれていた。

私はぼんやり、あの人とあの人は泣いてくれるかなあ、といつか来る自分の葬儀を想像した。そしてその思考の傲慢さにぎょっとした。

泣いても、泣かなくてもいいじゃないか。

堀江貴文は、毎日今日死ぬと思って生きているらしい。死を意識するとパフォーマンスが向上する、と彼の本に書いてあった気がする。

私は明日も明後日もしぶとく生きたい。毎日の60点、いや30点でいいからずるずる長生きしたい。

そして死ぬ瞬間、「よくここまで生き延びた」と自分にちょっとだけオッケーを出して、ひっそり世界からいなくなりたい。

そのとき誰から泣こうが笑おうが、そんなのわからない。でも、悲しんでくれる人がいると、やっぱりちょっと嬉しいと思うだろうか。

2016年11月14日月曜日

祖母の見舞い

実家に帰り、祖母の見舞いに行った。
前に会ったときよりも、身体がきゅっと小さくなったように感じた。

口元の産毛をそってあげた。ついでに、眉毛も整えた。
祖母の肌はフワフワと柔らかく、25歳の私の肌よりもずっと綺麗だ。私の肌は、今でもストレスや食生活のせいで吹き出物が現れる。

祖母に、会社の愚痴を言った。
「世の中しょうもない人もたくさんいるけど、気にしすぎたらあかんで」と言われる。

また来月来るね、と言って病院を後にした。

顔剃りを喜んでくれたのでお化粧もしてあげたいけど、化粧は落とすのが大変かもしれない。
次に見舞いに行くときはマニキュアを塗ってあげよう。
コテを持って行って髪を整えてあげよう。
綺麗にすると、元気が出るよね?どうか祖母もそうであってほしい。
孫はこれくらいしか、出来ることがない。

老いていく姿を見るのはつらい。だけど命は有限なのだと知る。
生きている間は楽しいことで自分の人生を満たそう、と思った。しょうもないことに囚われている場合じゃないのだ。

2016年11月6日日曜日

どんな家に住みたいか

独身の女性たちと、マンションをめぐるお話の「プリンセスメゾン」という漫画がとてもよかった。
自分の家のことを、考えようと思った。

今、自分が生活している社員寮のマンションに特に不満はない。
けれど、6畳のワンルームはたまにとても狭く感じて、服も、本も、買って増えるにしたがって、定期的に今持っているものを手放さなければいけない。そういうとき、部屋に支配されているなあと思う。

建築学科に在籍していたのにも関わらず、自分はどんな部屋に住みたいのか考えてみても、うまく想像できない。お風呂に窓があって、ベランダはハンモックを置ける広さが欲しい。理想の家を考えるとき、なぜか、マンションを前提としてしまう。土地を買って、自分の家を建てる未来はきっと来ないだろうと思う。

フィリピンにいたとき、窓ガラスのない部屋に住んでいた。窓は格子だけだった。4階だったので、虫は入ってこなかった。自分で決めたそのアパートの家賃は、毎月2000円だった。

たまに、そのときの生活を思い出す。今、狭い部屋だけど都心にもほどほどに近く、オートロックもついている家に住まわせてもらっていると、自分がとても分不相応な生活をしている気持ちになる。

記憶のなかにいる、窓ガラスのない部屋にいた私は、とても強くて勇敢だった。別人のような幻影を、時々思い出してしがみつきたくなる。その瞬間だけ、弱い自分がいなくなる気がする。

週末に、私は、家じゅうをピカピカにする。キッチンも、トイレも、お風呂も。部屋に落ちたほこりも念入りに取り除く。それは家を大事にしているからではなく、単に、休日にやることがないからだ。

2016年10月25日火曜日

昨日見た夢

夜、私は高校生の時に通っていた塾で、薄汚れたパソコンを必死で見つめていた。大学受験がもうすぐなのに、どこの大学を受けるのかも決まっていなかったからだ。

すでにどこの大学も入試は終わっていて、後期日程しか残されていなかった。後期日程で受験できそうな地方の国立大学、なぜか徳島大学とか愛媛大学とか四国の大学ばかりを検索して、はーもし受かってもここで独り暮らしをするのは嫌だな、と思った。

その時ふと、私はすでに大学を卒業して(しかも6年もかけて)いたことを思い出した。そして、今は会社員をやっていて、給料をもらって一応生活しているではないか、と気づいた。

私は次、何をしなければいけないんだっけ。
何の試験を受けなければいけないんだっけ。
今の会社に入る入社試験が最後の試験だったんだろうか。

そして、これからの試験は誰も用意してくれていないのだと気づいて、目が覚めた。

2016年9月16日金曜日

今さら夏休み

お酒に酔ってふわふわと心地よかったのが、だんだん頭痛に変わっていき、ああこんなことなら1杯だけにしておけばよかったと後悔する。

遅い夏休みをとったはいいものの、色々頼まれたことをやり残したままで、こんな状態で休んでいいのだろうかと不安になる。
私がいなくても当たり前に会社は進んでいくのだろうけど、「頼んだこと中途半端にほったらかしたなー」と思われたらいややなー。

遅めの夏休みは、どこか遠くに行きたい。東京から遠く遠く離れたい。
ぼんやり、人の少ない海を眺めたい。

2016年9月10日土曜日

新幹線が好き

東京から新幹線に乗る瞬間が好きだ。
家族へのお土産にバームクーヘンを買って、適当なちくわと、じゃがりこと、ペットボトルのジュースを買って、乗り込む瞬間が好きだ。ああ、家に帰れるという安心感でひたひたと満たされるような気がする。

新幹線に乗り込んで、ふと外に目をやると、ホームで30代ぐらいの男性がひらひらと大きな動作の手話で誰かと話している。話相手は、新幹線の中にいた。30代ぐらいの、女性だった。夫婦だろうか。出発直前、新幹線の密閉された窓などものともせず、手だけでおしゃべりできる二人を、少し羨ましいと思った。

発車ベルが鳴る。見送られる人も、見送られない私も、みんなどこかへ向かって超高速で移動する。さよなら!

2016年9月4日日曜日

結局いい休日

プールに行った。久しぶりに行く市民プールはいつもより人が多くて、自分のペースで泳げなくて、ゆるゆる適当に泳いだ。

私のアパートから市民プールに行く途中、同じ形の白い建物がいくつも並んだ団地の間を通る。そういえば、大学の時一人暮らしをしていたアパートの近くにも、同じような団地が並んでいた。

ちょうど去年の今頃、卒業設計について真剣に考えなければいけないのだけど全然何も考えられなくて、私は毎日異常に早起きをしていた。

毎朝5時に起きて、スウェットのまま団地があるところまで歩いて行く。そして、団地の隙間にある小さな公園で、一人でラジオ体操もどきみたいなストレッチをしていた。

やがて朝日が昇り、通勤や通学の人がぽつりぽつりと歩いていくのを見ていると、眠っている社会が動き出す瞬間に立ち会っているようで、気分がよかった。

卒業設計のことを考えていると1人孤独に沼に落ちていくような気分になったので、朝が苦手な自分が早起きをしている、という事実だけが、唯一自分を支えていたのかもしれない。


心地よく疲れたプールの帰りに、秋らしい色の小さい花束を買った。家に帰って花を瓶に飾り、お風呂に入りながら本を読んだ。

お風呂から上がって、水餃子のお鍋を作り、お刺身を食べた。お腹いっぱいになった後、ベランダでキャンプ用に椅子に座り、鈴虫の声を聞きながらノンアルコールのチューハイを飲んだ。

なんていい日曜日だったんだろう、と思った。

明日から会社で、またきっと色々失敗するんだろうし、怒られたり、あきれられたりするんだろう。だけど、命はしぶといもので、だめだだめだと思っても、こうやって健康に生かしてくれているではないか。
去年の今頃もずっと、もうだめだと思い続けていた。

お気に入りのピアスをつけて、好きな服を着て、綺麗な靴を履いて、会社に行こう。生きるために、お金を稼ごう。

休日をどうやって過ごすか

会社に行く毎日、好きなデザインのピアスをつけて、好きな服を着て、綺麗な靴を履くのが自分を機嫌よくする方法なのだとわかって、そうするようにしている。

だけど一日の終わりには、全てを搾り取られたようにフラフラになって、金曜日なんていつも倒れ込んでお風呂にも入らず寝てしまう。

会社で働くことは、とても疲れることだった。

毎日22時を過ぎると疲れと空腹で、世界の全員が憎いような感覚に襲われるし、そういう時、帰りの電車の中の私は虚ろでとっても変な顔をしていると思う。

私は、能力がないじゃないか、役に立たないじゃないかと思われることを一番怖がっている。能力がないにも関わらず、だ。

入社して5カ月で、能力がないのは当たり前なのだけどその分勉強したり、という風に時間を使っていない。通信教育は、安くはないお金を払ったにも関わらず結局一度も提出できなかった。

もうすぐ貴重な休日が終わる。どうしようもないけど、これが今の自分なのだ、

プールに行ってぐったり疲れるほど泳いでこようと思う。

2016年8月26日金曜日

夏の初めの山口旅行

7月の3連休に、山口県へ行った。好きなものばかりの、旅行だった。



空を見上げて、ゆらゆらと海面に浮くのが、とても好きだ。


中原中也記念館。滋賀にいたとき、「ぽっかり月がでましたら、」から始まる詩を、琵琶湖のそばを歩きながらよく思い出した。


秋芳洞。水がエメラルド色で、なにがどうなってこんな綺麗な色になるんだろう。


水でひたひたの百枚皿。涼しくて、水のさらさらとした音が気持ちよかった。


秋吉台。雲の影がみどりに映っていた。


大自然を前にすると、跳ねたくなる。


1日1本しか走らないSLやまぐち号に、奇跡的にタイミングが合って乗れた。耳をつんざくような汽笛の音と、黒い煙に気分が高まる。


その後、新岩国駅に行った。きゅっと心が寂しくなるような、無人駅だった。


電車からは、この景色。


最終日は錦帯橋へ。


水がすけすけ。


構造体の美しさにほれぼれする。


川の水は冷たくて、足をつけるとすぐにじんじんした。


緑を抜けて、岩国城へ。


ぴょーんと飛んでいきたくなるいい眺め。


岩国錦帯橋空港から帰路についた。

さて、次の旅行に向けて、またはたらこ。

2016年8月11日木曜日

綺麗なもの


虹色風鈴が届いた。
締め切ったエアコンの部屋ではなかなか音は鳴らないけれど、見てるだけでも涼やかだ。


そんな大した仕事はできないのだけど、毎日会社に行く生活を続けていると感受性がカスカスになっていくような気がする。

お腹は壊し、肌は荒れ、休日には発熱し、心の疲れはそのまま体の不調へと直結する。私こんなに弱かっただろうか、と思うほど次々体のどこかが悪くなる。

お花を買ったり、美しい風鈴を部屋に飾りたくなるのは、損なわれていくものを取り戻したいからなのかもしれない。

あれほど好きだった文章を書くのも、なんだか考える体力が無くなってしまった。生活に疲れた、つまらない人間になってしまったのだろうか。

2016年5月21日土曜日

初めてのお給料で買ったものは、めがねでした


目がとても悪い。裸眼だと両目とも0.03ぐらい。中学生の頃からずっとコンタクトを使っていたが、さいきん毎日会社で10時間以上パソコンを眺め続けているものだから、ドライアイと目の疲れがもう限界だった。

唯一持っていた眼鏡は、量販店で5000円ぐらいで買ったものだ。5分にも満たない簡易な視力検査で作られたもので、ずっと作り替えていないから最近、見えにくくてしょうがなかった。

「眼鏡を買おう。それも、とっても良い眼鏡を買おう。」

そう思い立って、ネットで検索した。すると、認定眼鏡士という資格を持つ方に眼鏡を作ってもらうといい、とわかった。幸運なことに私のアパートから歩いて10分のところに、認定眼鏡士のいるお店はあった。

お店は、明るい、ふつうの眼鏡屋といった印象だった。眼鏡を新しく作りたいと伝えると、奥に通され、視力検査が始まった。

初めて受ける細かな検査をいくつも行い、検査は40分にも及んだ。その結果、私の今の正確な視力に加え、右目には乱視があること、左目と右目で見えるものの高さにわずかな差があること、右目は少し斜視であることなどがわかった。そして、今の目にぴったり合ったレンズを選んでもらった。

フレームは、耳に重みをまったく感じない超軽量のものを選んだ。なんでも、職人さんが手でつるの部分などを曲げて作っているのだそうだ。カーキ色で四角に近い、ちょっとレトロな雰囲気のフレームだ。

眼鏡は一週間経ってできあがった。ばちっと視力が合う気持ちよさ。ふわっと耳にかかるフレームの軽さ。小躍りしたくなるほど、嬉しくてたまらなかった。レトロなフレームも、ちょっとお洒落にこだわっている人に見える気がする。

値段はフレームとレンズを合わせて5万3千円。私にとっては大きな買い物だが、毎日何年も使うと考えると良い買い物だったと思う。

25歳にして、新たな眼鏡人生が始まった。生きるのが楽しくなるアイテムを、またひとつ手に入れてしまった。

2016年5月15日日曜日

休日の成果品


唇と口紅のピアスを作った。何て生きるのが楽しくなりそうなピアスなんだ!と自画自賛。


会社用にシンプルなものも。


トートバッグにつける用のバッグチャームも作った。

こういうことしてると、土日がすぐに終わってしまう。

2016年5月8日日曜日

わたしのお母さん

10連休も終わり、東京に戻ってきた。今回は母も東京出張なので、二人で。

私のアパートの最寄り駅へ着いたあと、駅前のカフェで簡単な夕飯を食べる。そして明日からの食材を買いにスーパーへ行った。

「ラディッシュいらん?ぶどう買っとき。野菜ジュースも必要やろ。ウインナーもあると便利ちゃう?ほらハーゲンダッツの6個入りも。」

普段、自分では買わないようなものをどんどん母はかごに入れていく。いつも1週間分の食材は2500円までと決めてスーパーで買い物しているが、この日は6500円の高額な買い物となった。支払いは、母がしてくれた。

そういえば、初任給をもらったのにまだ私は両親、祖母に何もプレゼントをしたり食事をごちそうしたりしていない。帰省前に何が欲しいか母に尋ねたが、「プレゼントなんてもったいない使い方せんとき。ちゃんと貯金して。」と返答された。

さらに帰省中、京都の伊勢丹で会社に着ていく洋服を探しに行ったときも、ジャケット、スカート、パンツという結構高い服たちを、母は入社祝いだと言って買ってくれたのだった。

「もう初任給もらったんやから自分で払う」と言っても、「お給料は大事に残しとき」と言う。
私は、「ありがとう」ばかり言った。

東京の私のアパートに到着した後、ふと、前に見た報道番組を思い出した。

その番組では、オレオレ詐欺に引っかかった高齢男性の通話の内容が紹介されていた。
仕事に失敗して500万円必要だという泣き声の息子役詐欺師に対して、「気にしなくてもいい。お父さんが用意してあげるから」と男性は言った。その後、詐欺グループの一員が息子のミスによって大きな損害を受けたのだという説明をしたときにも、「うちの息子が、ご迷惑おかけして本当に申し訳ありませんでした」と丁寧に謝っていた。

私は、買ってもらったばかりの真新しい服と冷蔵庫いっぱいの食材を眺めながら、そのニュースを思い出した。

息子のために大金を用意してしまう誰かの父親。娘のためにいっぱい洋服と食材を買ってくれる私の母。もちろん母には絶対詐欺に引っかかって欲しくないけれど、でも私は、息子に大金を用意してあげたくなる気持ちが少しわかった気がした。

子がいくつになっても、いつくしみ、そして心配してしまう。それが親というものなのかもしれない。

母は、「月曜からも機嫌よく会社行ってやあ」と言って、帰っていった。

ぽっかりとした寂しさのあと、真新しい洋服を着て、美味しいご飯を食べることを想像すると、会社行きたくないけどちょっと頑張って行こうかな、という気になってくるのだった。

2016年5月7日土曜日

ゴールデンウィークの成果品


「生きるのが楽しくなるようなスカートが必要だ!」
美容室でシャンプーをされている最中に、ふと思いついた。

髪をばっさり切ったあと、私はそのまま手芸洋品店に駆け込み、白地に花柄の布、洋服だったらまあ選ばないような柄の布を購入した。数年ぶりに実家のミシンをひっぱり出し、動くのを確認すると、スマホで検索した作り方を参考に、1時間ほどで初めてのスカートは完成した。

その後すっかりはまり、10連休中に5枚のスカートと1枚のクッションカバーを作った。

ミシンに向き合う時間は、とても心地よかった。リズミカルに突き刺す針を見つめ、するすると布をすべらせていく。均等な縫い目がきちんと整列して並ぶ。さっきまでぺらぺらとした布だったのが、だんだん洋服の様相をなしてくる。なんて気持ちいい瞬間だろう。

そして一番好きなのは、ゴトゴト、ゴトゴトというミシンの音だ。

そういえば、昔教科書に載っていた阿部公房の「詩人の生涯」という小説の中で、老婆が糸車を引くシーンがあった。その音が、「ユーキッタン、ユーキッタン」と表現されていた。小説の内容は薄気味悪くて好きではなかったのだが、このユーキッタン、ユーキッタンという音はきっと気持ちよくて可愛い音なんだろうなあと、やけに気に入っていた。

さて、完成した5枚のスカート。会社には着ていけるような服じゃないから、週末限定スカートとなった。休みの日には色鮮やかなスカートを履いて、風をばっさばっさ切って歩くのだ。

2016年4月24日日曜日

小野美由紀さんの文章講座を受けて

今から1年前、本郷のスターバックスコーヒーで文筆家、小野美由紀さんの文章講座を受けた。

緊張しながら待ち合わせの30分も前にスタバに到着してしまった私は、キャラメルフラペチーノを頼んで、自分の書いたエントリーシート読みながら小野さんを待った。

待ち合わせの18時ちょうどに、小野さんはやって来た。黒ぶちの眼鏡と赤いバッグ、複雑な模様のブラウス。垢抜けた東京の女の人だ、と思った。

建設コンサルタント企業に就職するために就活を始めたばかりの私は、2社のエントリーシートを添削していただくことを小野さんにお願いしていた。

小野さんと一対一、2時間にも及ぶ講座で教えてもらったことは、2つある。
一つ目は文章に「私」を入れること。二つ目が、9歳の女の子に語りかけるつもりで書く、ということだ。

小野さんに言われて初めて気づいたが、私のエントリーシートには主語がほとんどなかった。そして一文が長い。この二つの欠点を直すために、「私は」から始まる文章で主語を明らかにすること、そして文章自体を簡単な言葉で短く書くことが大事だと教わった。

小野さんの目の前で、私はエントリーシートを書き直していった。小野さんは、「では今ここで、その文章を音読してください」と言った。

スタバで声に出してエントリーシートを読むと、隣の男性が振り返った。恥ずかしくてたまらなかった。一方で音読すると、自分の文章がいかに読みにくいかに気づいた。音読しやすい文章に言い換えていくことは、余計な飾りをどんどんそぎ落としていく作業だった。

18時から始まった講座は、20時過ぎに終わった。完成した2社のエントリーシートを、私は滋賀に帰ってすぐに企業に送った。

しかし残念ながら結果は、2社とも書類選考で落ちた。お祈りメールが来たとき、しばらく何もする気が起きなかった。

あらためて、私は自分のエントリーシートを読み返した。一文一文はたしかに簡潔になっていたものの、あらゆる話題が盛り込まれているのがわかった。ボランティアに留学、海外調査、ディベートや大学での課題のこと。たくさんの話題が分散して、仕事に対する理解や志望の動機がとても薄いことに気づいた。

私はもう一度、ゼロから書き直すことにした。

スラムに興味を持ち、フィリピンの大学に1年間通ったこと。その時、スラムの住環境改善には水の問題を解決することが重要ではないかと思い、計画書を作って調査をおこなったこと。その内容を卒業研究にまとめること。そして将来は、限られた予算の中で脆弱なインフラをいかに強くするか考える建設コンサルタントになりたいこと。

今までの経験を、一本の線でつなげることを意識して、会社で実現したいことを書いた。

全体の構成が決まった後、一文一文を音読しながら推敲した。小野さんに教わった通り、「私は」から始まる文章が書けているか、9歳の女の子が理解できる簡単な文章であるかを意識した。

完成したエントリーシートは4社に送り、4社とも通ることができた。

文章講座に話を戻す。

小野さんの講座を受けた直後、私は憧れだった小野さんに会えて、ほくほくした気持ちでいっぱいだった。エントリーシートはもう大丈夫だ、と何も考えなかった。

だからお祈りメールが来たとき、最初は信じられなくて、悲しみと同時に小野さんに対して少し怒りも感じてしまったのは事実だ。

けれど、結果的に落ちたことで、私は仕事を理解しようとしていなかったことに気づいた。自分の根底にある動機と向き合っていなかった。自分に自信がないから、「私を見て見て」とアピールばかりする内容しか書けなかった。

文章講座の中で音読したときに、どんどん私の声が小さくなり、小野さんに「声の小ささは自信の無さなんだよ」と言われたことを思い出す。自分を肯定する、売り出す文句を音読することは、恥ずかしさ以外の何物でもなかった。自分の本心ではないから、読んでいても違和感があった。

書類選考で落ちたあと、エントリーシートを書き直したときに初めて、自分は仕事をどう思っているのか考えた。そして私は、限られた予算の中で脆弱なインフラをいかに強くするか考える建設コンサルタントになりたいのだと、気づいた。

今までの自分の経験を一本の軸を通して、会社で実現したいことにつなげて書いたとき、「ああ、今までの行動は無駄ではなく未来へつなげていくことができるのだ」とわかって嬉しかった。それは小さな自信となった。

昨年8月に企業から内定の通知を受け、春から社会の中で、居場所ができることが嬉しかった。

エントリーシートを書くことは辛い作業だった。賢く見られたい、良く見られたい、といった見栄を取っ払って、自分の根底にある気持ちと向き合うのは、時間がかかることだった。

だけど、自分から出た言葉を読み返して初めて、自分の考えを理解できた。だから、書類選考を通ったあとの面接でも、しどろもどろにならなかった。

小野さんが教えくれたこと。文章に「私は」を入れる、9歳の女の子に語りかけるつもりで書く、ということは、こんがらがった自分の考えをシンプルにしていく方法なのだと思う。そして、純度の高い自分と向き合えた時、ひたひたと小さな自信が湧いてくるのだ、と身をもって感じた。

今、会社という組織で働き始めた私は、何も出来ない自分に打ちのめされて自信が無くなることがしょっちゅうある。けれど、そのつど文章を書いて、自分と向き合って、小さな自信を自家発電していけばいいのだとわかったことは、生きることをとても楽にしてくれていると思う。

1年前、小野さんの文章講座を受けられて良かった。文章力とは、大げさではなく、生きる力なのだと思う。

2016年4月23日土曜日

なんにもない日記

金曜日、帰宅してかろうじて顔だけ洗いパジャマに着替え、きづくとテレビをつけたまま眠っていた。はっと目覚めると、昼の12時過ぎだった。

あれもやらなきゃ、これもしなくちゃと思いながら、結局なにもしない1日だった。そういえば、ずっとパジャマのままだった。スーパーに行くのも面倒くさくて、ぶどうひと房と納豆3パックだけを食べた。

明日はスーパーで1週間分の食材を買って、会社に提出するあれこれを書いて、CADの練習をして、プールに行って泳ぐのだ!今日1日を取り戻すべく活発に動くのだ!と自分に言い聞かせて寝る。

2016年4月11日月曜日

通勤つらいのがちょっと解消

朝、急行電車は内臓が圧迫されて息ができなくなるほど混んでいるので、各駅停車で会社に行くことにした。今日は運良く座れた。本も読めそう。さっそく通勤電車で読むための本をアマゾンで注文した。先週までは生活にいっぱいいっぱいで読みたい本も思いつかなかったが、今は勉強したいことがいくつかある。少し余裕ができてきたのかもしれない。

ただ相変わらず会社に行くのは怖い。自分はたいしたことない人間なのに、どうしてここにいるのだろうという気持ちが常にある。

ジェーンスー相談は踊る」というラジオ番組で、転職を繰り返した30代の女性が「仕事が続かなくて自分に自信がない。どうしたら自分に自信が持てるか」という相談をして、それはまさに今の自分の悩みそのものだと思った。ジェーンスーは、「世の中には仕事を物差しにしないところで活躍している人がいっぱいいる」と言った。

自信をもてる部分は、ゆるゆるのちのち見つけていこうと思う。私は生きるために、生活費を稼ぐために、会社に行くのだと思おう。

2016年4月10日日曜日

初島と、ある山奥

熱海港からフェリーで30分の初島へ行った。
海があって緑があって、ハンモックにゆらゆら揺られたり、灯台にのぼったり、海水のお風呂に入ったりした。

帰り道、乗り換えのために新宿駅で降りる。どっと増えた人の数に都会だなあ、と思った。唐突に実家が恋しくなってたまらなかった。


つい先日まで、会社の研修で山奥にいた。帰り道、バスから外を眺めていると、目に入るのは一面に広がる田んぼと、古い一軒家がぽつりぽつりとあるのと、さびれたラブホテルと、廃墟になったボーリング場だった。高層ビル、高層マンションはなく、どこまでも遠くを見渡せた。

ここに私が生まれていたら、何を楽しみに思って生きていただろう。

「私が生まれたところは、田んぼと、さびれたラブホテルしかないような街だった。」
から始まる小説を読んでみたいと思った。

2016年2月21日日曜日

25歳になりました。ノリスケさんと同い年です。

お祭りのような卒業設計の提出が終わり、お祭りのような発表が終わり、今なんだか真空地帯にいるような静けさだ。

ひっそり迎えた25回目の誕生日は、実家で過ごした。私が破れたスニーカーを履いていたので、ABCマートで母に新しいスニーカーをプレゼントとして買ってもらう。何だか小学生のようだと思った。父の作ったハヤシライスを食べ、ジンジャエールを飲んだ。

ちょうど1年前、24歳の誕生日にもブログを書いた。その時の文章は今読み返してもすごく熱量がこもっていて、本当に自分が書いたのだろうかと思ってしまう。あの時、一人でフィリピンで生活していた。毎日気をはっていた。生きるのに、熱量が必要とされていた。

今はその反動か、ゆるゆるだらだらと過ごしている。怠惰な自分にうんざりもするけれど、きっと人生で一人が抱えられる熱量の総量は一定なのだと思う。だから今は、これでいいのだ。

今日まで生きてこられてよかった。時々不満もあるけど、健康でご飯が食べられて、誰かと話せる以上の幸福はないのだと思う。