25日の夜、リクシーさんのおうちでドラム、ギター、ベースでセッションする機会がありました。
8ヶ月ぶりに触るドラムは本当に懐かしくてなんだか涙が出そうになりました。
実は日本からドラムのスティックも持ってきてはいたのですが、叩く機会は一度もなく
雨季のあいだにスティックの木がすっかり弱ってしまいました。
でも幸運なことにリクシーさんのおうちには親戚にプロのミュージシャンとして活動されている方がいるということで、楽器やアンプなど演奏できる機材がすべて揃っていました。
その方とTOTO,Beatles,Bon Joviの曲、Earth Wind &FireのSeptember、Tha Girl from Ipanema, Take Five, chicken, Cantaloupe Islandなどジャンルを問わずたくさん夜通しで
セッションしました。
大学のジャズ研でドラムを始めたのをきっかけに、Bump of chickenのコピーバンドをしたり、
ビッグバンドで練習したことがこの日のセッションに役に立って、いろんなジャンルの曲を演奏できて本当に面白いセッションでした。久しぶりにアドレナリンが出たような、しばらく興奮冷めやらぬ夜でした。
お互い知っている音楽があって、お互い演奏できる楽器がある。
あとから思い返すとすごい偶然だったな、と思います。
久しぶりに音楽を演奏する楽しさを感じて、間違いなくこのセッションがフィリピンのクリスマスの一番の思い出です。
2012年12月27日木曜日
フィリピンクリスマス
フィリピンで初めてクリスマスを過ごしました。
PCPの活動でお世話になった、パンパンガにあるRicciさんのおうちへ呼んでいただきました。
24日の夜には教会でミサがあり、たくさんの人たちがドレスアップして訪れていました。そのあとは親戚一同が集まり、大人が子どもたちにAginaldと呼ばれる日本でいうお年玉のように
お金を渡していました。
そして深夜までお酒を飲んでおしゃべりしたり、カラオケをしたり、私もGANGNAM STYLEの
ダンスを披露してちゃっかりAginaldを頂いてしまいました。
私が驚いたのは家族の多さです。
フィリピンのクリスマスでは一堂に会すという言葉がぴったりで、1st cousin, 2nd cousin,
3rd cousin, 4th cousinまで集まり本当に大人数なのです。
このクリスマスのためにアメリカから帰ってきた親戚の方もいて、フィリピンの人たちがいかに
クリスマスを大事にしているかがわかります。
なんだかちょっと羨ましいな、と思いました。
私は出会うのはせいぜい従兄弟、又従兄弟になるともう名前が分からなかったり一度も会ったことがない人もいます。3rd cousin, 4th cousin(すみません、日本語で何と呼ぶのでしょうか)
になるともう完全にわかりません。
私は出会ったことのない親戚の人たちになんだか無性に会ってみたくなりました。
同じ血を引く。同じ苗字を持つ。
自分の存在のルーツが同じ、というのはなんと不思議なことなのだろうと思います。
家族という大きな樹を構成する人たち一人ひとりの存在を、私もその枝のひとつとして出会ってみたいなと、フィリピンの大家族を見て思いました。
PCPの活動でお世話になった、パンパンガにあるRicciさんのおうちへ呼んでいただきました。
24日の夜には教会でミサがあり、たくさんの人たちがドレスアップして訪れていました。そのあとは親戚一同が集まり、大人が子どもたちにAginaldと呼ばれる日本でいうお年玉のように
お金を渡していました。
そして深夜までお酒を飲んでおしゃべりしたり、カラオケをしたり、私もGANGNAM STYLEの
ダンスを披露してちゃっかりAginaldを頂いてしまいました。
私が驚いたのは家族の多さです。
フィリピンのクリスマスでは一堂に会すという言葉がぴったりで、1st cousin, 2nd cousin,
3rd cousin, 4th cousinまで集まり本当に大人数なのです。
このクリスマスのためにアメリカから帰ってきた親戚の方もいて、フィリピンの人たちがいかに
クリスマスを大事にしているかがわかります。
なんだかちょっと羨ましいな、と思いました。
私は出会うのはせいぜい従兄弟、又従兄弟になるともう名前が分からなかったり一度も会ったことがない人もいます。3rd cousin, 4th cousin(すみません、日本語で何と呼ぶのでしょうか)
になるともう完全にわかりません。
私は出会ったことのない親戚の人たちになんだか無性に会ってみたくなりました。
同じ血を引く。同じ苗字を持つ。
自分の存在のルーツが同じ、というのはなんと不思議なことなのだろうと思います。
家族という大きな樹を構成する人たち一人ひとりの存在を、私もその枝のひとつとして出会ってみたいなと、フィリピンの大家族を見て思いました。
エキサイティングか退屈か
フィリピンの移動手段にジープニーという乗り物があります。
もとはアメリカの小型トラックでそれが交通手段になったそうで、見た目も銀色だったり赤だったり、アニメの絵が描かれていたり、1台1台運転手さんの個性が表れています。
乗り方は、客引きのおじさんが「おい、乗れや!乗れや!」というかんじで少ししつこく呼び込みをしてきて、目的地に行くジープを見つけ乗車し、運転手さんにお金を払い、目的地が近づいてきたら頃合を見計らって「パラポ!(降ります)」と言って降ります。
私はこのジープニーが大好きで、特にマニラなど交通の激しいところで乗るのが好きです。
窓もなく扉もなく、風がビュンビュン入ってくる感じが好きなのです。
でもこれを面白いって感じるのはきっと私が体力のある若者だからだろうな、と思います。
とにかく人が多いフィリピンではジプニーもバスも電車も、これでもかというぐらいぎゅうぎゅう詰めにされます。
もし赤ちゃんを抱えていたら、年を取っていたら、同じようにこの交通機関を利用できるだろうか、きっと怖くて利用できないだろうと思います。
私は日本の交通機関をエキサイティングだ、と感じたことは一度もありません。いつも暇つぶしに寝たり、音楽を聴いたり、私にとっては退屈な時間です。
けれど日本の交通手段は、確実に安全に時間通りに目的地へ連れて行ってくれ、年をとった人でも、子どもでも、障がいを持った人でも使いやすいように作られているのだと思います。
フィリピンの無秩序さをエキサイティングだと感じ、日本の安全安心を退屈だと感じる私は傲慢なのかな、と思いつつ。。でもやっぱり退屈より面白いほうがいいなと思うのです。
もとはアメリカの小型トラックでそれが交通手段になったそうで、見た目も銀色だったり赤だったり、アニメの絵が描かれていたり、1台1台運転手さんの個性が表れています。
乗り方は、客引きのおじさんが「おい、乗れや!乗れや!」というかんじで少ししつこく呼び込みをしてきて、目的地に行くジープを見つけ乗車し、運転手さんにお金を払い、目的地が近づいてきたら頃合を見計らって「パラポ!(降ります)」と言って降ります。
私はこのジープニーが大好きで、特にマニラなど交通の激しいところで乗るのが好きです。
窓もなく扉もなく、風がビュンビュン入ってくる感じが好きなのです。
ジープニーに限らずバスやFXと呼ばれるバンも同様に、フィリピンでは交通ルールがあまり厳しくなく、クラクション鳴りまくり、スピード出しまくり、無秩序でエネルギーあふれるかんじがとてもエキサイティングなのです。
でもこれを面白いって感じるのはきっと私が体力のある若者だからだろうな、と思います。
とにかく人が多いフィリピンではジプニーもバスも電車も、これでもかというぐらいぎゅうぎゅう詰めにされます。
もし赤ちゃんを抱えていたら、年を取っていたら、同じようにこの交通機関を利用できるだろうか、きっと怖くて利用できないだろうと思います。
私は日本の交通機関をエキサイティングだ、と感じたことは一度もありません。いつも暇つぶしに寝たり、音楽を聴いたり、私にとっては退屈な時間です。
けれど日本の交通手段は、確実に安全に時間通りに目的地へ連れて行ってくれ、年をとった人でも、子どもでも、障がいを持った人でも使いやすいように作られているのだと思います。
フィリピンの無秩序さをエキサイティングだと感じ、日本の安全安心を退屈だと感じる私は傲慢なのかな、と思いつつ。。でもやっぱり退屈より面白いほうがいいなと思うのです。
2012年12月19日水曜日
Habitat
マニラのパヤタスというところでHabitatに初めて参加しました。
家を建てるボランティアです。
今日ボランティアとして参加したのは私一人だけでした。
建設現場ではイカつい(ように見える)お兄さん方がたくさんいて最初はとても不安だったのですが、とても丁寧に作業内容を教えてくださってなんとか今日の作業を終えることができました。
お手伝いさせてもらったのは、コンクリートブロックの材料となる砂をふるいにかけて粒の大きな砂を取り除く、という作業です。簡単そうに見えた作業でしたがすごく肉体労働で、半日だけにも関わらず、もう腕が筋肉痛です。
休憩時間に実際に住んでいる方の部屋へ呼んでもらい、お話を伺いました。
ここに住む人はほとんどが教師をしている人で、実家が遠く職場の近くに住みたいがいい家が見つからない、という人がここを購入するそうです。
1つの家は10畳ほどでロフト、トイレ、台所がついています。1戸約40万円だそうです。
Habitatでは床や壁の塗装をせずに家を引き渡すそうで、住む人が自由に木の床をはったりタイルを貼ったり、また好きな色に壁を塗装するそうです。もちろん専門の大工さんたちが作業を手伝うそうですが、自分だけで行う人もいるそうです。
外観は同じ家がずらっと並んでいるように見えますが、内部は住む人が好きなように手を入れていて、そうやって自分の手で自分の家を作っていくのはとても住むのが面白くなりそうだと思いました。
この現場では日本人大学生のボランティアも多いようで、「本当に日本人は協調性があって技術もあって素晴らしい」と言われ、自分のことではありませんが何だかすごく嬉しくなりました。
日本以外にも世界中からボランティアたちがパヤタスのHabitatを訪れるそうですが、アジア各国からは休暇中の大学生、欧米からは社会人が多いそうです。
また他のボランティアの人たちに出会えたら話を聞いてみたいなと思いつつ..
また参加しようと思います。
家を建てるボランティアです。
今日ボランティアとして参加したのは私一人だけでした。
建設現場ではイカつい(ように見える)お兄さん方がたくさんいて最初はとても不安だったのですが、とても丁寧に作業内容を教えてくださってなんとか今日の作業を終えることができました。
お手伝いさせてもらったのは、コンクリートブロックの材料となる砂をふるいにかけて粒の大きな砂を取り除く、という作業です。簡単そうに見えた作業でしたがすごく肉体労働で、半日だけにも関わらず、もう腕が筋肉痛です。
休憩時間に実際に住んでいる方の部屋へ呼んでもらい、お話を伺いました。
ここに住む人はほとんどが教師をしている人で、実家が遠く職場の近くに住みたいがいい家が見つからない、という人がここを購入するそうです。
1つの家は10畳ほどでロフト、トイレ、台所がついています。1戸約40万円だそうです。
Habitatでは床や壁の塗装をせずに家を引き渡すそうで、住む人が自由に木の床をはったりタイルを貼ったり、また好きな色に壁を塗装するそうです。もちろん専門の大工さんたちが作業を手伝うそうですが、自分だけで行う人もいるそうです。
外観は同じ家がずらっと並んでいるように見えますが、内部は住む人が好きなように手を入れていて、そうやって自分の手で自分の家を作っていくのはとても住むのが面白くなりそうだと思いました。
この現場では日本人大学生のボランティアも多いようで、「本当に日本人は協調性があって技術もあって素晴らしい」と言われ、自分のことではありませんが何だかすごく嬉しくなりました。
日本以外にも世界中からボランティアたちがパヤタスのHabitatを訪れるそうですが、アジア各国からは休暇中の大学生、欧米からは社会人が多いそうです。
また他のボランティアの人たちに出会えたら話を聞いてみたいなと思いつつ..
また参加しようと思います。
2012年12月17日月曜日
食べものの思い出
・家族旅行で行った大阪で食べた穴子のお寿司。今まで回転ずしで食べてた穴子は穴子じゃなかった。ふわふわで甘くて、魚じゃない未知の動物のようだった。
・高校の部活の合宿で三重に行ったとき、夜のバーベキューで初めて食べた牡蠣の味は衝撃的だった。網の上で炙った牡蠣をつるんと食べたら止まらなくなって、そのまま10個以上は食べたんじゃないかと思う。案の定あたってしまい、翌朝のランニングを腹痛で遅刻してしまった。
それでも牡蠣は食べ物の中で一番好きだ。広島の牡蠣祭りにはぜひいつか行きたい。
何度あたろうが、食べたい。
・二十歳を超えて初めて日本酒を飲んだ時、お刺身と冷たい日本酒の組み合わせにくらくら眩暈がしそうになった。大人はこんないいもの飲んでたのか、大人とは何ていいものなんだ、と
思った。
なんでこんなこと書いたかというと、今日久しぶりに大好物のフィリピン料理、カレカレを食べたからです。美味しかったもののことを思い出すと、そのときのまわりの温度や会話までよみがえってくるような気がします。
何年か経ってふとフィリピンで食べたカレカレのことを思い出したとき、夕方にもかかわらず
じっとり暑かったことや食べながら足元に猫がまとわりついてきたことも思い出すといいなあ。
・高校の部活の合宿で三重に行ったとき、夜のバーベキューで初めて食べた牡蠣の味は衝撃的だった。網の上で炙った牡蠣をつるんと食べたら止まらなくなって、そのまま10個以上は食べたんじゃないかと思う。案の定あたってしまい、翌朝のランニングを腹痛で遅刻してしまった。
それでも牡蠣は食べ物の中で一番好きだ。広島の牡蠣祭りにはぜひいつか行きたい。
何度あたろうが、食べたい。
・二十歳を超えて初めて日本酒を飲んだ時、お刺身と冷たい日本酒の組み合わせにくらくら眩暈がしそうになった。大人はこんないいもの飲んでたのか、大人とは何ていいものなんだ、と
思った。
・友達と二人で和歌山のサファリパークに行った帰り、オーシャンイエローの中で、キオスクで
買った缶チューハイをプシュッと開けた瞬間とその時食べた柿の葉寿司の味は本当に良かった。「おやじみたいやねー」って言いながら食べた後はほろ酔いで京都まで眠り続けてしまった。
買った缶チューハイをプシュッと開けた瞬間とその時食べた柿の葉寿司の味は本当に良かった。「おやじみたいやねー」って言いながら食べた後はほろ酔いで京都まで眠り続けてしまった。
なんでこんなこと書いたかというと、今日久しぶりに大好物のフィリピン料理、カレカレを食べたからです。美味しかったもののことを思い出すと、そのときのまわりの温度や会話までよみがえってくるような気がします。
何年か経ってふとフィリピンで食べたカレカレのことを思い出したとき、夕方にもかかわらず
じっとり暑かったことや食べながら足元に猫がまとわりついてきたことも思い出すといいなあ。
2012年12月15日土曜日
正義感?
昨年の夏、岩手県での泥かきのボランティアに参加しました。
津波で流された街の光景は想像以上に心にズシンときました。
40人ほどのボランティアで泥かきをしていたとき、津波に流されて何もない街を
制服姿の高校生たちが自転車でさーっと下校していくのが見えました。
そのとき私は彼らをすごくタフだな、と思ったのです。
こんな大変な目に遭っているのに...と。
でもあとから思うと、彼らにとっては当たり前のことなのだ、とはっとしました。
たとえ街の姿は変わってしまっても、多くの家が失われてしまっても、
彼らの日常は失われていない。
そう気づいたとき、私は自分の中の上から目線な態度に愕然としました。
東北が大変だ!困っているにちがいない!何とかしに行かなきゃ!
とても恥ずかしいのですが、ボランティアをする前、岩手県にいく道中、
私は自分の正義感にちょっとうっとりすらしていたのです。
役に立ってやるぞー!と。
でもそれはとても上から目線でした。
困っているに違いない、悲しんでいるに違いない、という気持ちが私の中にはありました。
日常は失われていない。
時間は同じように流れ、同じように尊い繰り返されるべき生活がある。
そのことを下校中の高校生たちに気付かされました。
上から目線になるべきじゃなかった。
何が言いたいかというと、正義感というのはときどきちょっと危険だと思うのです。
正義感という言葉に、何か自分が偉くなったような気がしてしまう。
けれど、正義の名のもとに大事なものを見落としまうかもしれない。
自分の動機、本当にそれは相手のことを思っているか、
かっこいい言葉、耳触りのいい言葉で自分の本当の気持ちを見えなくしていないか、
これは自分への戒めです。
津波で流された街の光景は想像以上に心にズシンときました。
40人ほどのボランティアで泥かきをしていたとき、津波に流されて何もない街を
制服姿の高校生たちが自転車でさーっと下校していくのが見えました。
そのとき私は彼らをすごくタフだな、と思ったのです。
こんな大変な目に遭っているのに...と。
でもあとから思うと、彼らにとっては当たり前のことなのだ、とはっとしました。
たとえ街の姿は変わってしまっても、多くの家が失われてしまっても、
彼らの日常は失われていない。
そう気づいたとき、私は自分の中の上から目線な態度に愕然としました。
東北が大変だ!困っているにちがいない!何とかしに行かなきゃ!
とても恥ずかしいのですが、ボランティアをする前、岩手県にいく道中、
私は自分の正義感にちょっとうっとりすらしていたのです。
役に立ってやるぞー!と。
でもそれはとても上から目線でした。
困っているに違いない、悲しんでいるに違いない、という気持ちが私の中にはありました。
日常は失われていない。
時間は同じように流れ、同じように尊い繰り返されるべき生活がある。
そのことを下校中の高校生たちに気付かされました。
上から目線になるべきじゃなかった。
何が言いたいかというと、正義感というのはときどきちょっと危険だと思うのです。
正義感という言葉に、何か自分が偉くなったような気がしてしまう。
けれど、正義の名のもとに大事なものを見落としまうかもしれない。
自分の動機、本当にそれは相手のことを思っているか、
かっこいい言葉、耳触りのいい言葉で自分の本当の気持ちを見えなくしていないか、
これは自分への戒めです。
思うこと2
「貧困とは1日1ドル以下で生きる人のことだ」
と定義を聞くとああそうですか、と思いなんとなく頭で貧困を理解した気になります。
けれど、実際にJの生活を目の当たりにすると定義なんて頭から飛んでしまって
私は何も言えなくなってしまうのです。
レストランでお客さんが食べ残したほとんど骨だけのチキンをもらって食べたり、
道端に捨ててあるマクドナルドのジュースのカップを拾って中の氷をかじっていたり。
もはや食べものと呼べないようなものでもJにとっては貴重な食料だそうです。
Jはストリートチルドレンの中でも年上のようで、道行く人から集めたであろうコインで道端で売られている10ペソのコーンを買い、さらに小さなストリートチルドレンたちに食べさせているところも見かけます。
ストリートチルドレン=かわいそう、と単純に考えるのは違和感があります。
彼らの人生は彼らのもので、私が想像してみたところで彼らのことを本当に理解することはとても難しく思います。
けれど、数人の子どもたちががりがりに痩せて、食べ物と呼べないようなものを食べている
現実、定義では見えてこない貧困の現実はきちんと受け止めたいと思っています。
今、インターネットで「貧困」と検索すると、金銭的な援助だったり、物資の援助だったり、技術や教育、ものすごい数の情報が見られます。
政府以外にNGOやNPO,その他たくさん世界中の人々があらゆる方法で貧困を解消しようと支援しているのがわかります。
私は一人、JやJの友達と話すことしかできません。
あふれる情報を前に、何もできずにひるんでいます。
私は何も持っていない。
だから私は彼らの友達になろうと思います。
Jがタガログ語を教えてくれるように、私もなにか面白いことを伝えたい。
フィリピンに約8か月住んでたくさん学ばせてもらったように、日本人として
「日本ってこんなところなんだよ、世界っていろんな場所、人がいて面白いんだよ」
ということを伝えられたら、と思います。
ということを書きながら、本当はなにがいいのかよくわかりません。
でもそれはきっと相手に何かしてあげよう、と思うからぐるぐるまとまらなくなってしまうのかなと
思ったり..。
「してあげる」っていうのはよくないですね.。
彼らと同じ目線に立てる人になりたいです。
と定義を聞くとああそうですか、と思いなんとなく頭で貧困を理解した気になります。
けれど、実際にJの生活を目の当たりにすると定義なんて頭から飛んでしまって
私は何も言えなくなってしまうのです。
レストランでお客さんが食べ残したほとんど骨だけのチキンをもらって食べたり、
道端に捨ててあるマクドナルドのジュースのカップを拾って中の氷をかじっていたり。
もはや食べものと呼べないようなものでもJにとっては貴重な食料だそうです。
Jはストリートチルドレンの中でも年上のようで、道行く人から集めたであろうコインで道端で売られている10ペソのコーンを買い、さらに小さなストリートチルドレンたちに食べさせているところも見かけます。
ストリートチルドレン=かわいそう、と単純に考えるのは違和感があります。
彼らの人生は彼らのもので、私が想像してみたところで彼らのことを本当に理解することはとても難しく思います。
けれど、数人の子どもたちががりがりに痩せて、食べ物と呼べないようなものを食べている
現実、定義では見えてこない貧困の現実はきちんと受け止めたいと思っています。
今、インターネットで「貧困」と検索すると、金銭的な援助だったり、物資の援助だったり、技術や教育、ものすごい数の情報が見られます。
政府以外にNGOやNPO,その他たくさん世界中の人々があらゆる方法で貧困を解消しようと支援しているのがわかります。
私は一人、JやJの友達と話すことしかできません。
あふれる情報を前に、何もできずにひるんでいます。
私は何も持っていない。
だから私は彼らの友達になろうと思います。
Jがタガログ語を教えてくれるように、私もなにか面白いことを伝えたい。
フィリピンに約8か月住んでたくさん学ばせてもらったように、日本人として
「日本ってこんなところなんだよ、世界っていろんな場所、人がいて面白いんだよ」
ということを伝えられたら、と思います。
ということを書きながら、本当はなにがいいのかよくわかりません。
でもそれはきっと相手に何かしてあげよう、と思うからぐるぐるまとまらなくなってしまうのかなと
思ったり..。
「してあげる」っていうのはよくないですね.。
彼らと同じ目線に立てる人になりたいです。
2012年12月7日金曜日
思うこと
私には友達がいます。
彼の名前をJとします。
年齢は聞いたことがありませんがおそらく8才か9才ぐらい。
学校には行っていないようです。
Jは路上で生活している、ストリートチルドレンです。
初めて出会ったのはマクドナルドの前で友達と待ち合わせをしているときでした。
彼は他のストリートチルドレンと同様に手を出して
私にお金を求めてきました。
いつものように知らないふりをしようと思いましたが
友達が来るまで少ししゃべりました。
それ以来、Jは私を見つけると「Yuuka!」と駆け寄ってくるようになりました。
出会うといつもアニメの話をしたり、タガログ語を教えてくれます。
時々Jは「1ペソでいいからちょうだい。」と言ってきます。
1ペソ。コイン1枚。日本円で約2円です。
1ペソでキャンディ1つが買え、7ペソでジュースが買え、10ペソでアイスが買えます。
私にとってあげられない額ではありません。
でも私はとても複雑な気分になってしまうのです。
1度お金をあげると、次出会ったときもJは私がお金をあげることを期待するかもしれない。
たった2円で何を悩んでるんだろう、と思いながら私はもやもやする
気持ちを抑えることができません。
Jはいつも大人用のサイズの合わないボロボロのサンダルを履いています。
私のビーチサンダルをあげたら彼は歩きやすくなるかもしれない。
でもビーチサンダルあげたらその次は。
服は、食べ物は、水は、ノートや鉛筆、彼の家は、彼の家族は。
それにストリートチルドレンはJ一人じゃない。他に何人もいます。
貧困はいやです。なくなればいいのにといつも思います。
みんながお腹いっぱいごはんが食べられて、学校に行けて、勉強できて、仕事ができて、
私はなんだかマクドナルドに行きにくくなってしまいました。
私がマクドナルドで食事をしているところをJが見たらなんだか申し訳なくていやだな、
と思ってしまうのです。
そう思う自分もいやです。
1日1ドル以下で生活する人が貧困ですか。そうですか。
授業で話を聞いてるだけのときは良かったです。
難しそうな本を読んで理解した気になれて。
それはとっても遠い世界のことでした。
でも現実はいろいろと違う。
なんだかよくまとまりません。
もやもやした気持ちがとまりません。
彼の名前をJとします。
年齢は聞いたことがありませんがおそらく8才か9才ぐらい。
学校には行っていないようです。
Jは路上で生活している、ストリートチルドレンです。
初めて出会ったのはマクドナルドの前で友達と待ち合わせをしているときでした。
彼は他のストリートチルドレンと同様に手を出して
私にお金を求めてきました。
いつものように知らないふりをしようと思いましたが
友達が来るまで少ししゃべりました。
それ以来、Jは私を見つけると「Yuuka!」と駆け寄ってくるようになりました。
出会うといつもアニメの話をしたり、タガログ語を教えてくれます。
時々Jは「1ペソでいいからちょうだい。」と言ってきます。
1ペソ。コイン1枚。日本円で約2円です。
1ペソでキャンディ1つが買え、7ペソでジュースが買え、10ペソでアイスが買えます。
私にとってあげられない額ではありません。
でも私はとても複雑な気分になってしまうのです。
1度お金をあげると、次出会ったときもJは私がお金をあげることを期待するかもしれない。
たった2円で何を悩んでるんだろう、と思いながら私はもやもやする
気持ちを抑えることができません。
Jはいつも大人用のサイズの合わないボロボロのサンダルを履いています。
私のビーチサンダルをあげたら彼は歩きやすくなるかもしれない。
でもビーチサンダルあげたらその次は。
服は、食べ物は、水は、ノートや鉛筆、彼の家は、彼の家族は。
それにストリートチルドレンはJ一人じゃない。他に何人もいます。
貧困はいやです。なくなればいいのにといつも思います。
みんながお腹いっぱいごはんが食べられて、学校に行けて、勉強できて、仕事ができて、
私はなんだかマクドナルドに行きにくくなってしまいました。
私がマクドナルドで食事をしているところをJが見たらなんだか申し訳なくていやだな、
と思ってしまうのです。
そう思う自分もいやです。
1日1ドル以下で生活する人が貧困ですか。そうですか。
授業で話を聞いてるだけのときは良かったです。
難しそうな本を読んで理解した気になれて。
それはとっても遠い世界のことでした。
でも現実はいろいろと違う。
なんだかよくまとまりません。
もやもやした気持ちがとまりません。
2012年12月4日火曜日
facebook2
先日、偶然バスで隣になった方と目的地に着くまでお話しました。思いもよらず会話が弾み、良い出会いがあってラッキーだと思っていたら、別れ際にfacebookアカウントを持っているか、と聞かれました。「Yes」と答えfacebooknameを伝えると「See you on facebook!」と言われ、そして後日facebook上でも友達になりました。
私は「See you on facebook」という言葉にとても驚き、すごい時代になったと思わずにはいられませんでした。もはや「別れ」という概念がなくなっているじゃないか、と思ったのです。
私にとって人との別れが悲しいのは、会えるのはこれが最後かもしれない、もう連絡もとれなくなるかもしれない、と思うからなのですが、facebookでは一度友達になると連絡もとれるし
画面越しですが、会える。
あれほど別れるのが寂しかった韓国の友達も、今でもfacebook上でリアルタイムに連絡が取れ、現在の様子も写真ですぐにわかります。
なんだかおとついの記事とものすごく矛盾することを書いていますが、少しさびしいなという
気がしました。
人との別れは悲しいですが、だからこそ時々ふっと、元気にしてるかな、久しぶりに会いたいな、でも会えないな、と思い出すのもまた風情があっていいと思うのですが..。
でも「昔はよかった」なんてしみじみ言うのはあまりかっこよくないので、時々一人でこっそり別れの風情を懐かしみながら、世界中の人とリアルタイムにつながっている今の便利さをもっと享受しようと思います。
私は「See you on facebook」という言葉にとても驚き、すごい時代になったと思わずにはいられませんでした。もはや「別れ」という概念がなくなっているじゃないか、と思ったのです。
私にとって人との別れが悲しいのは、会えるのはこれが最後かもしれない、もう連絡もとれなくなるかもしれない、と思うからなのですが、facebookでは一度友達になると連絡もとれるし
画面越しですが、会える。
あれほど別れるのが寂しかった韓国の友達も、今でもfacebook上でリアルタイムに連絡が取れ、現在の様子も写真ですぐにわかります。
なんだかおとついの記事とものすごく矛盾することを書いていますが、少しさびしいなという
気がしました。
人との別れは悲しいですが、だからこそ時々ふっと、元気にしてるかな、久しぶりに会いたいな、でも会えないな、と思い出すのもまた風情があっていいと思うのですが..。
でも「昔はよかった」なんてしみじみ言うのはあまりかっこよくないので、時々一人でこっそり別れの風情を懐かしみながら、世界中の人とリアルタイムにつながっている今の便利さをもっと享受しようと思います。
2012年12月2日日曜日
少し前までfaccebookはすごく苦手でした。
ニュースフィードには次から次から情報が流れてくるし、自分が発信するとなると誰の反応も
なかったらどうしようなどとくよくよしてしまうし..。
けれどある出来事をきっかけに私はfacebookの面白さに気付きます。
それは私が投稿した写真に、コメントがついていたときのこと。
普段のドミトリーでの食事風景の写真なのですが、離れて暮らす妹さんが写真にうつるお兄さんに「お兄さん、お元気ですか?」とコメントを書いていました。私は写真を一般に公開していませんが、タグ付けをしたのでその妹さんもお兄さんの写真を見られたのだろうと思います。
そのとき私はfacebookはすごいツールだ!と思いました。
一度すごくホームシックになったときに「家族の写真をメールで送ってください」と父にお願いしたことがあります。おそらく最近の家族写真がなかったのでしょう。昨年の年賀状用の家族写真が父から送られてきました。
確かにそれも嬉しかったのですが、本当は今家族がどう過ごしているのか、何を食べているのか、健康でいてくれているのか、今現在の家族の表情が知りたかったのです。(そうなんですよ、お父さん)
facebookは私が知りたかったそういう日常を離れた場所でもリアルタイムに伝えることができるツールだと、その妹さんのコメントを見て実感したのです。
facebookに並ぶ美しい場所や美味しそうな料理の写真ももちろん素晴らしいです。
けれど、毎日繰り返す生活もまた同じぐらい素晴らしくて尊いのだと思います。そして普段記録されないだけに、人によってはそのような写真はより価値をもつのかもしれません。
これからできるだけ、たくさん日常の写真を撮りたいと思います。そしてそれを自分だけではなく多くの人に見てもらいたいと思います。
facebook上に一度公開するとそれはもう私の写真ではなく、より大きな価値をもって人に伝わっていくのだと思います。
2012年12月1日土曜日
伝わらない
フィリピンに来たばかりの頃はしょっちゅう泣いていたのに、いつの間にかあまり泣かなくなったなーと最近思います。
けれど、涙が出る瞬間は自分が意識せず時々突然訪れます。
それは例えば、お釣りのコインを乱暴に渡された時。
そのこと自体が悲しいのではなく、そういうささいなことをきっかけにぷつんと糸が切れたように
涙が出るときがあるのです。
毎日の生活、まだまだ言葉も十分に習得したとは言えません。
自分の言いたいことが伝わらない。舌に重りをつけて話しているみたいだといつも感じます。
そういう伝わらないストレスが無意識のうちに積み重なって、時々涙となって出てくるのかな、と思いました。
そういう意味では、このブログは自分が好きなように使える日本語で好きなように文章が書ける唯一の場です。「伝わらない」というストレスを感じることなく言葉が自由に使える嬉しさを改めて噛み締めています。
けれど、涙が出る瞬間は自分が意識せず時々突然訪れます。
それは例えば、お釣りのコインを乱暴に渡された時。
そのこと自体が悲しいのではなく、そういうささいなことをきっかけにぷつんと糸が切れたように
涙が出るときがあるのです。
毎日の生活、まだまだ言葉も十分に習得したとは言えません。
自分の言いたいことが伝わらない。舌に重りをつけて話しているみたいだといつも感じます。
そういう伝わらないストレスが無意識のうちに積み重なって、時々涙となって出てくるのかな、と思いました。
そういう意味では、このブログは自分が好きなように使える日本語で好きなように文章が書ける唯一の場です。「伝わらない」というストレスを感じることなく言葉が自由に使える嬉しさを改めて噛み締めています。
2012年11月30日金曜日
冬服
今日はボニファシオデーというフィリピンの英雄を称える祝日です。
大学も休みなのでSMショッピングモールに行ってきました。大きな本屋さんがあるので、
タガログ語の辞書を探すためです。そしたら何とユニクロがオープンしていたので見に行ってみました。驚いたのは、ここはフィリピンにも関わらず日本と同じ商品が並べられていたことです。
フリースやセーター、ダウンジャケットが店頭に並べられ、マネキンたちも完全に冬の格好をしています。ヒートテックも売られていました。今現在、日本のユニクロで売られている服をそのまま
フィリピンに持ってきた、という感じなのです。
日本だったらわかります。でも、どう考えてもフィリピンでは必要ないと思います..。
ちなみに今日は31℃でした。この暑さにも関わらずぬくぬくした冬服を見せられるとなんだか
頭が混乱しそうになります。
もちろんTシャツやポロシャツも売られていました。けれど値段は日本と同じでフィリピンだったら200~300ペソで買えるのに対し、ユニクロではポロシャツは1枚990ペソ(2000円)で高いなーという印象です。
でも品質はすごく良いんだと思います。フィリピンで買ったTシャツが洗濯を繰り返すうちにどんどん生地が弱くなっていく一方で、日本から持ってきたユニクロのTシャツは未だに現役です。
日本ではユニクロはお手頃価格のファストファッション代表のような感じですが、こちらでは
生地のしっかりした高級服として売られていておもしろいなーと思いました。
ただ、どうして冬服を売っているのか理由を知りたいです。
繰り返しますが、絶対フィリピンではいらないと思います。
大学も休みなのでSMショッピングモールに行ってきました。大きな本屋さんがあるので、
タガログ語の辞書を探すためです。そしたら何とユニクロがオープンしていたので見に行ってみました。驚いたのは、ここはフィリピンにも関わらず日本と同じ商品が並べられていたことです。
フリースやセーター、ダウンジャケットが店頭に並べられ、マネキンたちも完全に冬の格好をしています。ヒートテックも売られていました。今現在、日本のユニクロで売られている服をそのまま
フィリピンに持ってきた、という感じなのです。
日本だったらわかります。でも、どう考えてもフィリピンでは必要ないと思います..。
ちなみに今日は31℃でした。この暑さにも関わらずぬくぬくした冬服を見せられるとなんだか
頭が混乱しそうになります。
もちろんTシャツやポロシャツも売られていました。けれど値段は日本と同じでフィリピンだったら200~300ペソで買えるのに対し、ユニクロではポロシャツは1枚990ペソ(2000円)で高いなーという印象です。
でも品質はすごく良いんだと思います。フィリピンで買ったTシャツが洗濯を繰り返すうちにどんどん生地が弱くなっていく一方で、日本から持ってきたユニクロのTシャツは未だに現役です。
日本ではユニクロはお手頃価格のファストファッション代表のような感じですが、こちらでは
生地のしっかりした高級服として売られていておもしろいなーと思いました。
ただ、どうして冬服を売っているのか理由を知りたいです。
繰り返しますが、絶対フィリピンではいらないと思います。
2012年11月29日木曜日
命の終わり
今回はブログにふさわしくない不謹慎な内容かもしれません。
今年の8月にPCP(フィリピンチルドレンプロジェクト)に現地参加させてもらいました。
そのときにアエタ族というフィリピンの先住民の方々が住んでいる村を訪問しました。
ちょうど私たちが訪れたとき、生まれたばかりの赤ちゃんが亡くなったそうで、小屋のような
ところで遺体を燃やしておられるところでした。中に入って見てもいいとおっしゃったのですが、
私は入れませんでした。
お葬式の場に見ず知らずの人間がいきなり来たら、普通は「お願いだから帰ってくれ。来ないでくれ。」とならないのだろうか。いきなり村に来た日本人に遺体の火葬を見てもいい、というのはどういう心情なのだろうか、と私は理解ができず動揺しました。
でも後で、見ておけばよかったと少し後悔しました。
それは好奇心や怖いもの見たさのような感情ではなく、アエタ族の方が「見てもいい」とおっしゃったことに応えるべきだったのかな、と思うのです。亡くなった赤ちゃんへの弔いの意味も込めて、命が終わっていく瞬間に立ち会うべきだったのかな、と。
私は小屋の外で立ち尽くすばかりで、かすかに漏れる煙をただただ見つめていました。
とても不思議な気分でした。
人はいつか死ぬんだということを今、理解していると思いました。
そして今、生かされていることを無性に誰かに感謝したくなりました。
今年の8月にPCP(フィリピンチルドレンプロジェクト)に現地参加させてもらいました。
そのときにアエタ族というフィリピンの先住民の方々が住んでいる村を訪問しました。
ちょうど私たちが訪れたとき、生まれたばかりの赤ちゃんが亡くなったそうで、小屋のような
ところで遺体を燃やしておられるところでした。中に入って見てもいいとおっしゃったのですが、
私は入れませんでした。
お葬式の場に見ず知らずの人間がいきなり来たら、普通は「お願いだから帰ってくれ。来ないでくれ。」とならないのだろうか。いきなり村に来た日本人に遺体の火葬を見てもいい、というのはどういう心情なのだろうか、と私は理解ができず動揺しました。
でも後で、見ておけばよかったと少し後悔しました。
それは好奇心や怖いもの見たさのような感情ではなく、アエタ族の方が「見てもいい」とおっしゃったことに応えるべきだったのかな、と思うのです。亡くなった赤ちゃんへの弔いの意味も込めて、命が終わっていく瞬間に立ち会うべきだったのかな、と。
私は小屋の外で立ち尽くすばかりで、かすかに漏れる煙をただただ見つめていました。
とても不思議な気分でした。
人はいつか死ぬんだということを今、理解していると思いました。
そして今、生かされていることを無性に誰かに感謝したくなりました。
2012年11月28日水曜日
HabitatとJICA
再びHabitatとJICAの事務所に行ってきました。
Habitatはいきなり押しかけたにも関わらず、職員の方がいろいろ質問にも答えてくださいました。いよいよボランティアに参加することが現実になってきてわくわくしています。
JICAの事務所では、受付で「目的は何か、誰に会いに来たのか」を聞かれ、誰もつてがいなかった私は一瞬困ったのですが、以前日本大使館でいただいたJ-Birdのパンフレットを見せ、「これについてどうしてもお話が聞きたいです」と伝えて、中に入れていただきました。
てっきり日本人の職員さんばかりなのかなと思っていましたが、対応してくださったのはフィリピン人の職員の方でした。その方がJ-Birdのプロジェクトについて説明してくださいました。
「どうしてこのプロジェクトを知ったのですか」と聞かれたので「以前、日本大使館でお話を伺いました」と答えると、「じゃあ日本人の職員を呼んできますね。その方があなたもよく理解できるだろうから。」と言ってくださったのですが、残念ながらお忙しいということで日本人の職員さんには
会えず..。次回はアポイントメントとって、直接お話を伺えればと思います。
会えず..。次回はアポイントメントとって、直接お話を伺えればと思います。
お忙しいところいきなりおしかけたにも関わらず、両方ともの事務所でとても親切に対応していただき感謝しています。
書くということ
小学5年生のとき、毎日日記を書くという課題がありました。
書きたいことなんて何も思い浮かばず、私にとっては大の苦手な宿題でした。
それから10年経った今でも、相変わらず文章を書くことは私にとってあまり得意なことでは
ありません。このブログを書くときも書いては消し、書いては消しを繰り返し、公開したあとも
読み返してはヒリヒリするような恥ずかしさを感じることが何度もあります。
でも、5年生のときに日記帳を前にして何も書けずに固まっていたことを思い出すと、
今は書くということを楽しんでいると自分で思うのです。
文章を書くということは表現の一つで、表現とは自分の内部の考えを表に現すことですが、
文章が書けなかったとき、きっと私には自分の考えが何もなかった。
けれど、21年間という大きな時間の蓄積が少しずつ「自分の考え」を形成し、それを表現する
方法が今、少し分かりかけてきたのかな、と思います。
フィリピンに来たばかりの時、アメリカ人の英語の先生に「意見を持ったならそれは誰かに伝えないとだめだよ。せっかくの自分の考えを誰にも伝えないのは実はとても自分勝手なことなんだよ。」と言われたことを思い出しました。
少しずつ表現する方法がわかってきた今、このブログを通してこれからも自分の思いを伝えていきたいです。
書きたいことなんて何も思い浮かばず、私にとっては大の苦手な宿題でした。
それから10年経った今でも、相変わらず文章を書くことは私にとってあまり得意なことでは
ありません。このブログを書くときも書いては消し、書いては消しを繰り返し、公開したあとも
読み返してはヒリヒリするような恥ずかしさを感じることが何度もあります。
でも、5年生のときに日記帳を前にして何も書けずに固まっていたことを思い出すと、
今は書くということを楽しんでいると自分で思うのです。
文章を書くということは表現の一つで、表現とは自分の内部の考えを表に現すことですが、
文章が書けなかったとき、きっと私には自分の考えが何もなかった。
けれど、21年間という大きな時間の蓄積が少しずつ「自分の考え」を形成し、それを表現する
方法が今、少し分かりかけてきたのかな、と思います。
フィリピンに来たばかりの時、アメリカ人の英語の先生に「意見を持ったならそれは誰かに伝えないとだめだよ。せっかくの自分の考えを誰にも伝えないのは実はとても自分勝手なことなんだよ。」と言われたことを思い出しました。
少しずつ表現する方法がわかってきた今、このブログを通してこれからも自分の思いを伝えていきたいです。
2012年11月27日火曜日
ここに来た理由
大学1回生の夏休みに、孤児院でリコーダーを教えるというボランティアで初めてフィリピンに
来ました。そこで見た、あまりにも日本と違う風景に衝撃を受けました。
土の上に板を立てただけの場所で生活をしている人がいる。
路上で物乞いをして生きる子どもたちがいる。
テレビや本でしか知らなかった世界を目の当たりにして、もっと広い世界を知らないといけないと痛感しました。
2回生になり、私は建築学科では落ちこぼれ学生でした。何とかしないといけないと思いつつも何事にも身が入らず、何もできない自分にいらいら焦るばかりでした。
そして、広い世界を知りたい、フィリピンで生活したい、フィリピンで建築の勉強をしたい、という
理由で休学し、フィリピンのブラカン大学に来ました。
でも、本当は落ちこぼれている自分から目を背けたかった。
逃げたかっただけだったんだと思います。
そうして始まったフィリピンでの生活も7か月が過ぎました。
私がここに来て学んだこと。
それは世界は広く、簡単には理解できるものではない、ということです。
フィリピンという一つの国だけでも多様な価値観、様々な人々に出会いました。
ならばこの地球上にはいったいどれほどの価値観、考え方があるのだろう、と世界の途方もない広さを想像してクラクラしそうになります。
でもこの広い世界の中で、人は生きていかないといけない。
老いや死や、その他たくさんのどうにもならないものを受け入れながら、この大きな世界を
構成する一つの命として生きていかなければならないのだと思います。
フィリピンでの生活も残すところあと4か月です。
来ました。そこで見た、あまりにも日本と違う風景に衝撃を受けました。
土の上に板を立てただけの場所で生活をしている人がいる。
路上で物乞いをして生きる子どもたちがいる。
テレビや本でしか知らなかった世界を目の当たりにして、もっと広い世界を知らないといけないと痛感しました。
2回生になり、私は建築学科では落ちこぼれ学生でした。何とかしないといけないと思いつつも何事にも身が入らず、何もできない自分にいらいら焦るばかりでした。
そして、広い世界を知りたい、フィリピンで生活したい、フィリピンで建築の勉強をしたい、という
理由で休学し、フィリピンのブラカン大学に来ました。
でも、本当は落ちこぼれている自分から目を背けたかった。
逃げたかっただけだったんだと思います。
そうして始まったフィリピンでの生活も7か月が過ぎました。
私がここに来て学んだこと。
それは世界は広く、簡単には理解できるものではない、ということです。
フィリピンという一つの国だけでも多様な価値観、様々な人々に出会いました。
ならばこの地球上にはいったいどれほどの価値観、考え方があるのだろう、と世界の途方もない広さを想像してクラクラしそうになります。
でもこの広い世界の中で、人は生きていかないといけない。
老いや死や、その他たくさんのどうにもならないものを受け入れながら、この大きな世界を
構成する一つの命として生きていかなければならないのだと思います。
フィリピンでの生活も残すところあと4か月です。
2012年11月25日日曜日
追記
久保田先生の著作「ライフワークとしての国際ボランティア」の中でハウスオブジョイの烏山逸男さんについて書かれている部分を読んだとき、大学1回生のときに一般教養の授業で烏山さんの講演をお聞きしたことを思い出しました。
その時の講演後のレポートを1年半ぶりに読み返してみました。
「烏山さんの心を満たすもの、それは安定した商社マンとしての自分、高い給料、ではなくフィリピンのハウスオブジョイという養護施設で子どもたちに愛を与え続けることなのだそうです。」
と私は書いていました。
似たようなことを、日本大使館の福永さんのお話を伺ったときも、「名誉や地位のためではなく、人のため、誰かに恩返しをしたい、という思いで働くのはとても心の満足感が大きいのだろうと思います」とブログに書いています。
心を満たすもの。
必要とされたり、役に立ったり、貢献したり、協力したり、そういった人とのつながりは自分を生きようと駆り立てる原動力になるのかもしれません。
「ライフワークとしての国際ボランティア」に出てくる方々はみな社会の大きな枠組みの中で、そういった人とのつながりを自ら生み出そうとされてきて、だからこそその生きる姿勢は私にはとてもエネルギッシュに見えたのだろうと思います。
エネルギーはいるけれど、心の満足感は大きい。そしてその心の満足感が自分の生きる原動力になる。
つながりを生み出せる人間になりたいです。
その時の講演後のレポートを1年半ぶりに読み返してみました。
「烏山さんの心を満たすもの、それは安定した商社マンとしての自分、高い給料、ではなくフィリピンのハウスオブジョイという養護施設で子どもたちに愛を与え続けることなのだそうです。」
と私は書いていました。
似たようなことを、日本大使館の福永さんのお話を伺ったときも、「名誉や地位のためではなく、人のため、誰かに恩返しをしたい、という思いで働くのはとても心の満足感が大きいのだろうと思います」とブログに書いています。
心を満たすもの。
必要とされたり、役に立ったり、貢献したり、協力したり、そういった人とのつながりは自分を生きようと駆り立てる原動力になるのかもしれません。
「ライフワークとしての国際ボランティア」に出てくる方々はみな社会の大きな枠組みの中で、そういった人とのつながりを自ら生み出そうとされてきて、だからこそその生きる姿勢は私にはとてもエネルギッシュに見えたのだろうと思います。
エネルギーはいるけれど、心の満足感は大きい。そしてその心の満足感が自分の生きる原動力になる。
つながりを生み出せる人間になりたいです。
2012年11月24日土曜日
アヤラの街
授業がキャンセルになったのでマニラのアヤラにあるHabitatというNPO団体とJICAの事務所に行ってきました。両方とも以前から、お話を伺いたいので事務所に伺ってもいいか、という内容のメールを何度か送っていたのですが返事が来ず、よく知らない日本人からのいきなりのメールに不審に思われたのかもしれないと思いながらも、返事が来ないなら直接行こうと思って行ってきました。
土曜日なので予想通りオフィスは閉まっていましたが、初めて歩いたアヤラの街は面白かったです。オフィスビルが整然と並び、緑の豊かな公園もあり、なんだか大阪の本町のオフィス街のようでした。いつもの見慣れたフィリピンの風景はそこには無く、ストリートチルドレンも一人もいません。掃除は行き届き、清潔で美しい街です。
もちろんサリサリストアなども無く、トライシクルも走っていません。私は喉が渇いたときはサリサリストアで14円のSparkleという瓶に入ったジュースを買うのが好きなのですが、アヤラにはスターバックスのようなカフェしかありません。「コーヒー1杯に300円も!」と物価の高さにびっくりしながらも、ビジネス街の空気を肌で感じ、フィリピンの新たな一面を垣間見た気がしました。
HabitatとJICAの事務所については行き方を覚えたので、来週の水曜日にもう一度チャレンジしてみようと思います。
「ライフワークとしての国際ボランティア」
久保田賢一先生の著作「ライフワークとしての国際ボランティア」を読みました。
以前、久保田先生に「協力隊に行かれた方ってどうして最終的にみなさん大学教授になるのですか。協力隊を経験された方の本を読んでも大学教授になられた方ばかりなのですが。」とお聞きしたことがあります。すると笑いながら「大学教授になったから自分の体験を本にできるんだよ」とおっしゃっていたのですが、この本には大学教授じゃない方のことについても書かれていて、「ああこういう生き方もあるんだ!」と思えた本です。
以前、日本大使館の福永さんと医師の菊池さんにお話を伺ったときのことをブログを書きました。そこで私は「お二人とも普通の生き方をされていないことに感銘を受けた」というようなことを書いています。
この本に出てこられる方々も久保田先生はもちろんのこと、すごくエネルギッシュで世間の流れに乗らず、どんどん自分の人生を切り開いておられるように見えます。
私自身はあまり外交的な人間ではないことは自覚していますし何事にものろのろグズグズする方だと思います。この本を読んでいても、「自ら行動を起こせる人って本当にすごいなー」とただただ羨ましく思うばかりです。
でも私もペースは遅くても常に自分の次のステップを考えて自分を高めていけるような生き方がしたいと思います。そのためにも今、違う世界をたくさん見て、様々な経験を自分の中に蓄積していきます。
そしていずれこの本に出てくる方々のように人生のミッション、使命をもった生き方ができれば、と思います。
以前、久保田先生に「協力隊に行かれた方ってどうして最終的にみなさん大学教授になるのですか。協力隊を経験された方の本を読んでも大学教授になられた方ばかりなのですが。」とお聞きしたことがあります。すると笑いながら「大学教授になったから自分の体験を本にできるんだよ」とおっしゃっていたのですが、この本には大学教授じゃない方のことについても書かれていて、「ああこういう生き方もあるんだ!」と思えた本です。
以前、日本大使館の福永さんと医師の菊池さんにお話を伺ったときのことをブログを書きました。そこで私は「お二人とも普通の生き方をされていないことに感銘を受けた」というようなことを書いています。
この本に出てこられる方々も久保田先生はもちろんのこと、すごくエネルギッシュで世間の流れに乗らず、どんどん自分の人生を切り開いておられるように見えます。
私自身はあまり外交的な人間ではないことは自覚していますし何事にものろのろグズグズする方だと思います。この本を読んでいても、「自ら行動を起こせる人って本当にすごいなー」とただただ羨ましく思うばかりです。
でも私もペースは遅くても常に自分の次のステップを考えて自分を高めていけるような生き方がしたいと思います。そのためにも今、違う世界をたくさん見て、様々な経験を自分の中に蓄積していきます。
そしていずれこの本に出てくる方々のように人生のミッション、使命をもった生き方ができれば、と思います。
2012年11月23日金曜日
ルームシェア
2学期が始まり2週間が過ぎました。また勉強の日々です。
最近大きく変わったことは、ルームシェアを始めたことです。これまでは1人で部屋を使っていたのですが今はフィリピン人の女の子3人と私の4人で寮の一部屋をシェアして住んでいます。
なぜ今ルームシェアをしようと思い立ったかというと、一人部屋では確かに快適だし時間も自分の好きなように使え、とても自由です。でもその分自分にとことん甘くなるような気がして、シェアをして全くの他人と生活を共にしてみようと思ったわけです。
始めるまでは不安で、きれい好きじゃない人が来たらどうしようなどと悩んだりしたのですが、いざ初めてみると意外と楽しいのです。もっと早く始めればよかったと思ったぐらいです。
4人はお互い初対面同士でしたが、みんなのフィリピン人気質のおかげかすぐに打ち解けることもできました。
もちろん共同生活をしていると1つしかないシャワー、トイレ、机を譲り合って使わなければいけないし、夜もみんなが寝る時間に消灯しなくてはいけません。いろいろ不自由な部分もあります。
けれど朝起きたときに「Good morning!」出かけるときに「Ingat!(take careの意味)」夜寝るときに「Good night!」と声をかけ合える人がいつもいる、というのは日常生活をとても楽しくしてくれます。
まだシェアを初めて2週間ですが、これからの生活にわくわくしています。
最近大きく変わったことは、ルームシェアを始めたことです。これまでは1人で部屋を使っていたのですが今はフィリピン人の女の子3人と私の4人で寮の一部屋をシェアして住んでいます。
なぜ今ルームシェアをしようと思い立ったかというと、一人部屋では確かに快適だし時間も自分の好きなように使え、とても自由です。でもその分自分にとことん甘くなるような気がして、シェアをして全くの他人と生活を共にしてみようと思ったわけです。
始めるまでは不安で、きれい好きじゃない人が来たらどうしようなどと悩んだりしたのですが、いざ初めてみると意外と楽しいのです。もっと早く始めればよかったと思ったぐらいです。
4人はお互い初対面同士でしたが、みんなのフィリピン人気質のおかげかすぐに打ち解けることもできました。
もちろん共同生活をしていると1つしかないシャワー、トイレ、机を譲り合って使わなければいけないし、夜もみんなが寝る時間に消灯しなくてはいけません。いろいろ不自由な部分もあります。
けれど朝起きたときに「Good morning!」出かけるときに「Ingat!(take careの意味)」夜寝るときに「Good night!」と声をかけ合える人がいつもいる、というのは日常生活をとても楽しくしてくれます。
まだシェアを初めて2週間ですが、これからの生活にわくわくしています。
2012年11月6日火曜日
友達
友達がもうすぐ帰国します。
彼女は韓国人で、私がフィリピンに到着した一か月後に到着しました。
もちろん最初から友達になれたわけではありません。私は韓国の人に苦手意識を勝手に持っていましたし、韓国の人もきっと日本人が嫌いだろうと思っていました。けれど異国のフィリピンという土地でともに頑張る戦友のような意識が芽生え、だんだんと仲良くなりました。
彼女とはとにかくたくさん話をしました。英語が母国語ではない者同士でつたない英語ではありますが、なぜか彼女とは話題が尽きませんでした。ファーストフード店で3時間、4時間話し込んだことは何度もあります。
お互い大学生で就職のことや恋愛のこと、また韓国の徴兵制のことや北朝鮮・中国との関係、そして竹島、ドクトのことについても話しました。TPPが日本だけの問題ではないことも彼女から知りました。
私は現在21歳で彼女は22歳。国は違えども同じようなことを考え、同じような悩みを抱えて生きています。就職や結婚のことなど自分の人生のことに悩みながらも、若者として自分の国の
将来を思い心配するのはどこの国の若者も一緒なんじゃないかと思います。
つい最近彼女に言われたことがあります。
「私は日本人が嫌いだった。過去に日本人が韓国にしてきたことを憎んでいるし、当然日本人のことも憎んでいた。でも初めて日本人と出会って友達になって、私は過去の出来事は嫌うけれど日本人のことは嫌うべきではないと思った。」
これはまさしく私も同じで、彼女に出会って韓国の人に対する意識はすっかり変わりました。彼女に出会わなければ私はネットやテレビだけの情報をうのみにし、いつまでも韓国に対してわけのわからない嫌悪感を持ち続けたのでしょう。
でも今は違います。
友達のいる国を簡単に嫌いになれないし情報を疑って見るようになりました。
どこかの国で反日運動があったというニュースを見て、日本人に向けてそれを伝える意味はなんだろう、日本人がそれを見てその国に嫌悪感を持つことによって得をする人がどこかにいるんだろう、それは誰だろう、という目で見るようになりました。
私にとっては大きな変化です。
私がフィリピンに来て得たものはたくさんありますが、彼女との出会いもまた私の財産です。
フィリピンに来た当初はまさか韓国人の友人ができるなんて想像もしていませんでしたから。
また出会えることを信じて、彼女の無事の帰国を祈ります。
彼女は韓国人で、私がフィリピンに到着した一か月後に到着しました。
もちろん最初から友達になれたわけではありません。私は韓国の人に苦手意識を勝手に持っていましたし、韓国の人もきっと日本人が嫌いだろうと思っていました。けれど異国のフィリピンという土地でともに頑張る戦友のような意識が芽生え、だんだんと仲良くなりました。
彼女とはとにかくたくさん話をしました。英語が母国語ではない者同士でつたない英語ではありますが、なぜか彼女とは話題が尽きませんでした。ファーストフード店で3時間、4時間話し込んだことは何度もあります。
お互い大学生で就職のことや恋愛のこと、また韓国の徴兵制のことや北朝鮮・中国との関係、そして竹島、ドクトのことについても話しました。TPPが日本だけの問題ではないことも彼女から知りました。
私は現在21歳で彼女は22歳。国は違えども同じようなことを考え、同じような悩みを抱えて生きています。就職や結婚のことなど自分の人生のことに悩みながらも、若者として自分の国の
将来を思い心配するのはどこの国の若者も一緒なんじゃないかと思います。
つい最近彼女に言われたことがあります。
「私は日本人が嫌いだった。過去に日本人が韓国にしてきたことを憎んでいるし、当然日本人のことも憎んでいた。でも初めて日本人と出会って友達になって、私は過去の出来事は嫌うけれど日本人のことは嫌うべきではないと思った。」
これはまさしく私も同じで、彼女に出会って韓国の人に対する意識はすっかり変わりました。彼女に出会わなければ私はネットやテレビだけの情報をうのみにし、いつまでも韓国に対してわけのわからない嫌悪感を持ち続けたのでしょう。
でも今は違います。
友達のいる国を簡単に嫌いになれないし情報を疑って見るようになりました。
どこかの国で反日運動があったというニュースを見て、日本人に向けてそれを伝える意味はなんだろう、日本人がそれを見てその国に嫌悪感を持つことによって得をする人がどこかにいるんだろう、それは誰だろう、という目で見るようになりました。
私にとっては大きな変化です。
私がフィリピンに来て得たものはたくさんありますが、彼女との出会いもまた私の財産です。
フィリピンに来た当初はまさか韓国人の友人ができるなんて想像もしていませんでしたから。
また出会えることを信じて、彼女の無事の帰国を祈ります。
2012年10月30日火曜日
旅行1
semester breakに入りました!
ボラカイにいったりパグサンハンの滝を見に行ったり勉強のことをすっかり忘れてフィリピンを楽しんでいます。
今回はボラカイ旅行について書きます。
残念ながら初日だけ良い天気だったのですが残りは台風のせいでずっと雨でした..。
ダイビングや色んなアクティビティをしたかったのですが強風と雨のせいで全部中止されるという悲劇..。でもビーチは驚くほど美しかったです。日本にはあんなにきれいなビーチはないんじゃないかな。
ビーチ付近、いわゆるリゾート開発された部分はフィリピンじゃない場所のようでした。
観光客はほとんどが中国人、韓国人で空港にはボラカイから韓国への直通便も出ており、いかに需要が多いかがわかります。
英語や知らない国の言葉も耳にしましたが、フィリピン人の旅行客はほとんど見かけませんでした。外国人、特にアジア人のための場所という感じでした。2,3時間で到着し、自国に比べて物価が安く、ビーチが綺麗で年中通して暖かい。アジア圏の人々にとっては絶好のリゾート地なのだと思います。
今回はお天気に恵まれませんでしたが、またぜひ訪れたいです。
次回は酸素ボンベ背負って魚と戯れたい!
2012年10月17日水曜日
日本から
まりちゃん
お手紙受け取りました!ありがとう。
ちまきちのポストカードを見て、ああそういえば大津祭りの季節だったなあと懐かしく
思い出しました。
私は元気に過ごしています。
ボラカイ島のことが書かれていましたが実は私も学期休みの今月末ボラカイ島を旅行します!
せっかくフィリピンに来てるのにまだ一度も綺麗な海を体験していないのですごく楽しみです。
異国の地だけどフィリピンは私にとってとても過ごしやすく感じます。
日本より気に入っているかもしれません。日本人なのに..笑
それでは、またまりちゃんに会えるのを楽しみにしています!
お手紙受け取りました!ありがとう。
ちまきちのポストカードを見て、ああそういえば大津祭りの季節だったなあと懐かしく
思い出しました。
私は元気に過ごしています。
ボラカイ島のことが書かれていましたが実は私も学期休みの今月末ボラカイ島を旅行します!
せっかくフィリピンに来てるのにまだ一度も綺麗な海を体験していないのですごく楽しみです。
異国の地だけどフィリピンは私にとってとても過ごしやすく感じます。
日本より気に入っているかもしれません。日本人なのに..笑
それでは、またまりちゃんに会えるのを楽しみにしています!
2012年10月14日日曜日
生きる
同じ寮の友達と宗教の話をしたときに言われた言葉がとても印象に残っています。
「今夜眠っても明日の朝には目が覚めるかはわからない。だから毎晩眠る前に神にお祈りをして自分が生かされていることに感謝するんだ。」
小学校の5,6年の頃だったかと思いますが、地元のホールに絵本作家3名が来られた講演会を母に連れられて聞きに行ったことがあります。一人はきたやまようこさんであとのお二人は忘れてしまいましたが..
最後の質問のときに、私は「絵本作家として子どもたちに一番伝えたいことはなんですか。」と聞きました。今文字にして見ると、なんだか格好つけて生意気な質問をしたなと思うのですが、
小学生だった当時、絵本は家に何冊もあって特にきたやまようこさんの絵本はとても好きだったので、なんでもいいからとりあえず何か聞いてみたいという思いからした質問でした。
詳しいことは忘れてしまったのですが、3名とも「生きていってほしい。子どもたちに生きて、と伝えたい」という内容のことをおっしゃっていたのを覚えています。
「生きる」という重い言葉が出てきて、その時少し戸惑ったのを思い出します。
話は戻りますが、宗教をもつ人と話していると、私には人生で大切にするものっていったい何なんだろうといつも考えさせられます。毎晩祈りを捧げる神が私にはいない。
でも私にとっては「生きる」ということがきっと大事なんだろうと思います。
私も、とにかく生きていようと思います。
「今夜眠っても明日の朝には目が覚めるかはわからない。だから毎晩眠る前に神にお祈りをして自分が生かされていることに感謝するんだ。」
小学校の5,6年の頃だったかと思いますが、地元のホールに絵本作家3名が来られた講演会を母に連れられて聞きに行ったことがあります。一人はきたやまようこさんであとのお二人は忘れてしまいましたが..
最後の質問のときに、私は「絵本作家として子どもたちに一番伝えたいことはなんですか。」と聞きました。今文字にして見ると、なんだか格好つけて生意気な質問をしたなと思うのですが、
小学生だった当時、絵本は家に何冊もあって特にきたやまようこさんの絵本はとても好きだったので、なんでもいいからとりあえず何か聞いてみたいという思いからした質問でした。
詳しいことは忘れてしまったのですが、3名とも「生きていってほしい。子どもたちに生きて、と伝えたい」という内容のことをおっしゃっていたのを覚えています。
「生きる」という重い言葉が出てきて、その時少し戸惑ったのを思い出します。
話は戻りますが、宗教をもつ人と話していると、私には人生で大切にするものっていったい何なんだろうといつも考えさせられます。毎晩祈りを捧げる神が私にはいない。
でも私にとっては「生きる」ということがきっと大事なんだろうと思います。
私も、とにかく生きていようと思います。
2012年10月6日土曜日
荷物
日本からの荷物、無事受け取りました。コンタクトレンズと久保田先生に教えていただいた「適正技術と代替社会」という本です。
日本から荷物を預かってくださった方に出会うためにOBANDOというところに初めて行ってきました。実は前日OBANDOへの行き方を友達に聞いたところ「ここからはすごく遠いから連れて行ってあげるよ」と言われ、今朝約束した時間に待っていたのですがなかなか来ず..メールを送ると「行けなくなった」と返信が来て、フィリピン人らしなーと苦笑いしつつ結局一人で行ってきました。
3台のジプニーを乗り継いで2時間半かかりました。いやー遠かった。
約束していた方とは無事出会えました。すごく美人で日本語が上手な方でした。
わざわざ日本から、本当にありがとうございました。
結局日本から郵送してもらった荷物は2か月以上経っても届かず、やっぱり途中で盗られちゃったのかなーと思います。他にも欲しい本があるのですが、どうやって入手しよう...。
誰かフィリピンに来られる際は持って来てくださいますか?
お願いします!!
日本から荷物を預かってくださった方に出会うためにOBANDOというところに初めて行ってきました。実は前日OBANDOへの行き方を友達に聞いたところ「ここからはすごく遠いから連れて行ってあげるよ」と言われ、今朝約束した時間に待っていたのですがなかなか来ず..メールを送ると「行けなくなった」と返信が来て、フィリピン人らしなーと苦笑いしつつ結局一人で行ってきました。
3台のジプニーを乗り継いで2時間半かかりました。いやー遠かった。
約束していた方とは無事出会えました。すごく美人で日本語が上手な方でした。
わざわざ日本から、本当にありがとうございました。
結局日本から郵送してもらった荷物は2か月以上経っても届かず、やっぱり途中で盗られちゃったのかなーと思います。他にも欲しい本があるのですが、どうやって入手しよう...。
誰かフィリピンに来られる際は持って来てくださいますか?
お願いします!!
2012年10月5日金曜日
違和感
今週ずっと授業が終わったらすぐに自分の部屋にこもって宿題をする毎日でした。
やっと今日落ち着きました。
しばらく誰とも話してなかったらすっかり言葉が使えないようになってしまいました。
さっき友達に「私のタガログ語どんどん下手になってるよね」と聞いたら「そうだね」と言われてしまいちょっとショックでした..。本当に言葉って生物で、毎日使っていないとすぐ使えなくなるなと痛感しました。タガログ語の映画をダウンロードしてもらう約束をしたので、もっと勉強頑張ります。
話は変わりますが、孤児院に行って子どもたちと遊ぶのに、路上でお金をせがんでくる子どもたちのことは無視して通りすぎるのが、いつも自分ではとても違和感があります。年齢もそう変わらない子どもたちに対して、一方では一緒に遊んでたくさんおしゃべりして、一方ではついて来られると困るからと何も言わずに通り過ぎます。ストリートの子たちが孤児院にいたらきっと違う対応をするんだろうなと思いながら、同じ子どもたちに違う態度をとる自分にすごくもやもやした気分になります。
初めのうちはストリートチルドレンを見ると心がすごく痛くなったのに、いつの間にかそういう状況にも慣れてしまった自分も嫌です。
やっと今日落ち着きました。
しばらく誰とも話してなかったらすっかり言葉が使えないようになってしまいました。
さっき友達に「私のタガログ語どんどん下手になってるよね」と聞いたら「そうだね」と言われてしまいちょっとショックでした..。本当に言葉って生物で、毎日使っていないとすぐ使えなくなるなと痛感しました。タガログ語の映画をダウンロードしてもらう約束をしたので、もっと勉強頑張ります。
話は変わりますが、孤児院に行って子どもたちと遊ぶのに、路上でお金をせがんでくる子どもたちのことは無視して通りすぎるのが、いつも自分ではとても違和感があります。年齢もそう変わらない子どもたちに対して、一方では一緒に遊んでたくさんおしゃべりして、一方ではついて来られると困るからと何も言わずに通り過ぎます。ストリートの子たちが孤児院にいたらきっと違う対応をするんだろうなと思いながら、同じ子どもたちに違う態度をとる自分にすごくもやもやした気分になります。
初めのうちはストリートチルドレンを見ると心がすごく痛くなったのに、いつの間にかそういう状況にも慣れてしまった自分も嫌です。
2012年9月23日日曜日
近況
1学期も終わりに近づき、これでもかと宿題が出ています。semester breakが待ち遠しい!
先週、先々週とブラカンの孤児院に行ってきました。3歳から高校生まで20人ほどと、大人が4人ほど共同生活しているところです。
家族がいない、家族と生活しない、ということはどういうことなのか私にはうまく想像できませんが、そこではみんながほんとに一つの大きな家族のようでした。
これから授業のない日は定期的に行こうと思っています。小さなことでも何かできたらいいなと思います。
話は変わりますが、マスコミ学科の友達に写真の展示があるからと誘われて見に行きました。
その展示では、マスコミ学科の3回生たちが映画を1つ選び、社会問題と関連付けてその内容を自分なりに解釈して写真を撮るのだそうです。そして映画のタイトルがそのまま写真のタイトルになります。
私が強く印象に残っているのは「alice in wonderland」というタイトルで、ぼろぼろの服を着たストリートチルドレンの女の子が、ごみがいっぱいの街をさまようように歩いているモノクロの写真
です。「本当ならこんなとこにいるはずじゃない、もっと美しく生きられる世界があるの。でも今、このごみだらけの世界にたまたま紛れ込んでしまっただけ」と女の子の声が聞こえてきそうで、このゴミだらけの街をwonderlandと表現したのはすごいなあと思いました。
ストリートチルドレン以外にも手足のない人、物乞いをする老人を撮影したものも多く、日本だったらまずこういうモデルを見つけること自体難しいんじゃないかと思いました。
日本と変わらないような大学生活を楽しむ学生、ショッピングモールで買い物を楽しむ人たちの隣で、そのような人たちも同時に生活している。そういうフィリピンの現実を改めて実感しました。
先週、先々週とブラカンの孤児院に行ってきました。3歳から高校生まで20人ほどと、大人が4人ほど共同生活しているところです。
家族がいない、家族と生活しない、ということはどういうことなのか私にはうまく想像できませんが、そこではみんながほんとに一つの大きな家族のようでした。
これから授業のない日は定期的に行こうと思っています。小さなことでも何かできたらいいなと思います。
話は変わりますが、マスコミ学科の友達に写真の展示があるからと誘われて見に行きました。
その展示では、マスコミ学科の3回生たちが映画を1つ選び、社会問題と関連付けてその内容を自分なりに解釈して写真を撮るのだそうです。そして映画のタイトルがそのまま写真のタイトルになります。
私が強く印象に残っているのは「alice in wonderland」というタイトルで、ぼろぼろの服を着たストリートチルドレンの女の子が、ごみがいっぱいの街をさまようように歩いているモノクロの写真
です。「本当ならこんなとこにいるはずじゃない、もっと美しく生きられる世界があるの。でも今、このごみだらけの世界にたまたま紛れ込んでしまっただけ」と女の子の声が聞こえてきそうで、このゴミだらけの街をwonderlandと表現したのはすごいなあと思いました。
ストリートチルドレン以外にも手足のない人、物乞いをする老人を撮影したものも多く、日本だったらまずこういうモデルを見つけること自体難しいんじゃないかと思いました。
日本と変わらないような大学生活を楽しむ学生、ショッピングモールで買い物を楽しむ人たちの隣で、そのような人たちも同時に生活している。そういうフィリピンの現実を改めて実感しました。
2012年9月19日水曜日
書き渋る
またずいぶん間が空いてしまいました。
友人と話していて聞いたことなのですが、以前、海外から来た観光客の方がフィリピンのバジャウ族の村を訪れ、村の様子、バジャウ族の方の写真を勝手に撮影してブログにアップし、フィリピンはこんなところだ、と誤解を招くような書き方をして問題になったことがあったそうです。
もちろん勝手に撮ってネットで公開する、というのはあってはならないことだとは思いますが、改めてネットに公開する怖さを感じました。
今は日本語で書いていてもどこの国の言語にも翻訳できます。私のブログはネットの膨大な情報の中では小さい存在ですが、誰でも見られる、読める場所に文章を公開しているということについてちゃんと責任を持たないといけないなと痛感しました。
ちょっと気にしすぎかもしれませんが。。
友人と話していて聞いたことなのですが、以前、海外から来た観光客の方がフィリピンのバジャウ族の村を訪れ、村の様子、バジャウ族の方の写真を勝手に撮影してブログにアップし、フィリピンはこんなところだ、と誤解を招くような書き方をして問題になったことがあったそうです。
もちろん勝手に撮ってネットで公開する、というのはあってはならないことだとは思いますが、改めてネットに公開する怖さを感じました。
今は日本語で書いていてもどこの国の言語にも翻訳できます。私のブログはネットの膨大な情報の中では小さい存在ですが、誰でも見られる、読める場所に文章を公開しているということについてちゃんと責任を持たないといけないなと痛感しました。
ちょっと気にしすぎかもしれませんが。。
2012年9月9日日曜日
福永さんと菊池さん
先週の火、水曜日に総合情報学部の方たちとマニラの日本大使館、クリニックを訪問してきました。
日本大使館の福永さんのお話について。
フィリピンのミンダナオの現状と福永さんがされている国際監視団についてわかりやすく説明してくださいました。特にミンダナオの大きな問題である宗教ついてはとても興味深くお聞きしました。お互い正義のもとに戦っているのだからどちらが悪いとかはないはずなのだけれど、それでも大虐殺のような事態が起こることについてはやっぱり理解に苦しみます。福永さんは「宗教は生きていく上での衣服のようなものだ。厚着の人もいれば薄着の人もいる。必要のない人もいるけれどあったほうが良い。」とおっしゃっていました。私は多分ぺらぺらの超薄着なのですが、厚着をする人の気持ちは理解したいです。何が、争いへ向かわせるんだろう。そこまで大切にするものは何なのだろう。
1つ意外だったのが、福永さんの仕事をする理由が「お世話になったフィリピンに恩返しをしたいから」ということです。日本大使館で働いておられるのだからきっと社会のためにという大きな使命感からかなと思っていたので少し驚きました。でも大きな使命感で働くのってきっとしんどそうだなという気がしました。それに比べて「お世話になった人がいるから、好きな人がいるから、そういう人たちに恩返しをしたいから」というのは、すごく心の満足感が大きいのだろうという気がします。
もう一人、マカティでクリニックをされている菊池さんのお話について。
フィリピンの医療事情についてもお話も興味深かったのですが、私はそれよりも菊池さんの生き方の方がもっと興味を持ちました。大学を卒業されて、数学教師として協力隊、その後日本で医学部に入りなおして35歳でお医者さんになられたそうです。そしてフィリピンのクリニックで治療とフィリピン人医師への指導をされています。当たり前に医療が受けられる日本と比べてフィリピンの医療はたくさん問題があり、それを改善しようとされているのです。
お二人のお話を聞いて思ったのは、お二人とも普通の人生とは違う生き方をされているということ。
普通の人生なんてものも無いのかもしれませんが..私は22歳で就職して55歳ぐらいまで会社勤めをするのが社会人としての人生なんだと本気で思っていました。だから一浪、さらに休学というのはとんでもなく回り道をしていると自分に焦りを感じることもありました。
けれど福永さん、菊池さんのお話を聞き自分の焦りなんて本当にちっぽけなもので、それよりも自分がこう生きたいというものをもっと大事にしたいと思いました。これが正解だろうと勝手に自分で思い込んだ生き方に縛られるのはやっぱりイヤだなあと。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」 高杉晋作
福永さんが引用されていたのですが、やっぱり私もおもしろく生きたいです。
おもしろきこともなき世、とありますが本当は世界はおもしろいことで溢れているのだと思います。そしてそれを見つけられるようになりたいのです。
日本大使館の福永さんのお話について。
フィリピンのミンダナオの現状と福永さんがされている国際監視団についてわかりやすく説明してくださいました。特にミンダナオの大きな問題である宗教ついてはとても興味深くお聞きしました。お互い正義のもとに戦っているのだからどちらが悪いとかはないはずなのだけれど、それでも大虐殺のような事態が起こることについてはやっぱり理解に苦しみます。福永さんは「宗教は生きていく上での衣服のようなものだ。厚着の人もいれば薄着の人もいる。必要のない人もいるけれどあったほうが良い。」とおっしゃっていました。私は多分ぺらぺらの超薄着なのですが、厚着をする人の気持ちは理解したいです。何が、争いへ向かわせるんだろう。そこまで大切にするものは何なのだろう。
1つ意外だったのが、福永さんの仕事をする理由が「お世話になったフィリピンに恩返しをしたいから」ということです。日本大使館で働いておられるのだからきっと社会のためにという大きな使命感からかなと思っていたので少し驚きました。でも大きな使命感で働くのってきっとしんどそうだなという気がしました。それに比べて「お世話になった人がいるから、好きな人がいるから、そういう人たちに恩返しをしたいから」というのは、すごく心の満足感が大きいのだろうという気がします。
もう一人、マカティでクリニックをされている菊池さんのお話について。
フィリピンの医療事情についてもお話も興味深かったのですが、私はそれよりも菊池さんの生き方の方がもっと興味を持ちました。大学を卒業されて、数学教師として協力隊、その後日本で医学部に入りなおして35歳でお医者さんになられたそうです。そしてフィリピンのクリニックで治療とフィリピン人医師への指導をされています。当たり前に医療が受けられる日本と比べてフィリピンの医療はたくさん問題があり、それを改善しようとされているのです。
お二人のお話を聞いて思ったのは、お二人とも普通の人生とは違う生き方をされているということ。
普通の人生なんてものも無いのかもしれませんが..私は22歳で就職して55歳ぐらいまで会社勤めをするのが社会人としての人生なんだと本気で思っていました。だから一浪、さらに休学というのはとんでもなく回り道をしていると自分に焦りを感じることもありました。
けれど福永さん、菊池さんのお話を聞き自分の焦りなんて本当にちっぽけなもので、それよりも自分がこう生きたいというものをもっと大事にしたいと思いました。これが正解だろうと勝手に自分で思い込んだ生き方に縛られるのはやっぱりイヤだなあと。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」 高杉晋作
福永さんが引用されていたのですが、やっぱり私もおもしろく生きたいです。
おもしろきこともなき世、とありますが本当は世界はおもしろいことで溢れているのだと思います。そしてそれを見つけられるようになりたいのです。
lingap
lingapという場所を訪問してきました。
毎月1回地元の子どもたちが集まり、読み書きや音楽、絵を教えているそうで今日がその日でした。初めての訪問だったのですが折り紙を教えることになり、パックンチョと手裏剣を子どもたちと一緒に折りました。
感想としては日本の児童館のようなものだと思いました。ただ規模はもっと小さくその分みんなに目が行き届くのかなと思います。
今日は半日だけ見学させてもらう短い滞在でしたが、来週の土日も行かせてもらう約束をしました。私も何かできるといいな。
毎月1回地元の子どもたちが集まり、読み書きや音楽、絵を教えているそうで今日がその日でした。初めての訪問だったのですが折り紙を教えることになり、パックンチョと手裏剣を子どもたちと一緒に折りました。
感想としては日本の児童館のようなものだと思いました。ただ規模はもっと小さくその分みんなに目が行き届くのかなと思います。
今日は半日だけ見学させてもらう短い滞在でしたが、来週の土日も行かせてもらう約束をしました。私も何かできるといいな。
2012年8月31日金曜日
2012年8月26日日曜日
宗教
先日、寮でミサのようなものがあったので見学させてもらいました。
内容は聖書の解説とお祈りです。
率直に感想を言うと..ちょっと怖かったです。
無宗教の私にとって、ミサの参加者の熱心さというか信仰心の強さのようなものに気圧されてしまうようでした。
参加者の一人に、「こうやって神の言葉を聞いているから僕たちはいつも幸せでいられるんだよ。ほらみんなhappy personだろう。」
と言われました。
確かにミサの参加者(寮で働いている人たち)とは毎日顔を合わせるのですが、みんな本当に明るいのです。無愛想だったりぶっきらぼうだったりするところを見たことがありません。フィリピン人気質なのかななんてのんきに考えてましたが、もしかしてこういう怒らない、穏やかな態度も神への信仰心からなのかもとちょっと思いました。憤怒は7つの大罪の一つでもあるし。
「教育とは自分の弱さを他人に転嫁せず自分で消化するスキルを身につけることだ」
と以前どこかで読みまさにその通りだと納得したのですが、宗教はこの自分の弱さを自分で消化するスキルなのだと思います。
神のせいにする、じゃないですが悲しいこと苦しいことがあっても神からの試練だと思うと他人に転嫁しなくても自分で消化できるのかもしれません。
大切な人が亡くなっても、これも神が与えた運命だと思えば受け入れられるのかもしれません。
目に見えない大きな存在がいつも自分を見ていると思うだけで、なんだか楽になれたり、他人に腹を立てなくなったりするのは無宗教の私でも想像できます。
日本人特有というか以前の私は宗教と聞くと構えてしまいましたが、もうちょっと宗教について詳しく知りたいと思うきっかけになる出来事でした。
内容は聖書の解説とお祈りです。
率直に感想を言うと..ちょっと怖かったです。
無宗教の私にとって、ミサの参加者の熱心さというか信仰心の強さのようなものに気圧されてしまうようでした。
参加者の一人に、「こうやって神の言葉を聞いているから僕たちはいつも幸せでいられるんだよ。ほらみんなhappy personだろう。」
と言われました。
確かにミサの参加者(寮で働いている人たち)とは毎日顔を合わせるのですが、みんな本当に明るいのです。無愛想だったりぶっきらぼうだったりするところを見たことがありません。フィリピン人気質なのかななんてのんきに考えてましたが、もしかしてこういう怒らない、穏やかな態度も神への信仰心からなのかもとちょっと思いました。憤怒は7つの大罪の一つでもあるし。
「教育とは自分の弱さを他人に転嫁せず自分で消化するスキルを身につけることだ」
と以前どこかで読みまさにその通りだと納得したのですが、宗教はこの自分の弱さを自分で消化するスキルなのだと思います。
神のせいにする、じゃないですが悲しいこと苦しいことがあっても神からの試練だと思うと他人に転嫁しなくても自分で消化できるのかもしれません。
大切な人が亡くなっても、これも神が与えた運命だと思えば受け入れられるのかもしれません。
目に見えない大きな存在がいつも自分を見ていると思うだけで、なんだか楽になれたり、他人に腹を立てなくなったりするのは無宗教の私でも想像できます。
日本人特有というか以前の私は宗教と聞くと構えてしまいましたが、もうちょっと宗教について詳しく知りたいと思うきっかけになる出来事でした。
PCPの活動に参加しました
8月15アンヘレスの小学校Angeles bahay bata learning centerに行ってきました。
Philippines children project(PCP)という小学校でリコーダーの授業をするという活動です。
2年前、大学1回生の時に初めて参加してこれをきっかけにフィリピンに興味を持ちました。
今回は現地参加だったので少しだけお手伝いをさせてもらうという感じだったのですが、2年前の活動が思い出されて本当に楽しかったです。子どもたちの笑顔はキラキラして可愛いし、言葉が十分じゃなくても音楽ってやっぱり楽しいです。
そして本当に嬉しかったのが2年前に出会ったことを覚えていてくれたこと!
2年も経っているし一週間の交流だったからきっと忘れられているかなと思っていたのですが
名前も覚えてくれていたことには本当に驚きました。嬉しかった!
クットクット小学校で。
左の男の子は2年前にも出会いました。
私だけじゃなくて当時のPCPメンバーもっちゃん、まるちゃん、ぷーちゃん、そーり、さっちゃん全員の名前も覚えていた!すごい!そして嬉しい!
また会えたらいいな。
Philippines children project(PCP)という小学校でリコーダーの授業をするという活動です。
2年前、大学1回生の時に初めて参加してこれをきっかけにフィリピンに興味を持ちました。
今回は現地参加だったので少しだけお手伝いをさせてもらうという感じだったのですが、2年前の活動が思い出されて本当に楽しかったです。子どもたちの笑顔はキラキラして可愛いし、言葉が十分じゃなくても音楽ってやっぱり楽しいです。
そして本当に嬉しかったのが2年前に出会ったことを覚えていてくれたこと!
2年も経っているし一週間の交流だったからきっと忘れられているかなと思っていたのですが
名前も覚えてくれていたことには本当に驚きました。嬉しかった!
クットクット小学校で。
左の男の子は2年前にも出会いました。
私だけじゃなくて当時のPCPメンバーもっちゃん、まるちゃん、ぷーちゃん、そーり、さっちゃん全員の名前も覚えていた!すごい!そして嬉しい!
また会えたらいいな。
2012年7月30日月曜日
夏の思い出
保育園の夏祭りで着せてもらった浴衣の青と緑が混ざったような色が綺麗だった。金魚の尾みたいな真っ赤な兵児帯もお気に入りだったな。
小学生の頃、初めて子ども用じゃないプールに入って想像以上に深くて溺れそうになって監視員のおじさんに助けてもらった。
6年生のとき、社会の自由研究でみんなは歴史上の出来事について調べていたのに、一人
ジャズ音楽の歴史を調べて提出したなあ。これが大学でジャズ研に入る最初のきっかけ..?
中学生のときは水泳部が楽しかった。全然速くなかったけど、いつも魚になったみたいな気分だった。剣道部や野球部が汗を流しながら練習しているのを見ながら、水泳は夏にぴったりのスポーツだなーなんて当たり前のことを思っていた。
高校の夏は、部活の帰り道に食べるガリガリ君が美味しかった。午前練が終わって、じりじりした日差しの中、重たいエナメルかばんを持ってたらたら歩きながらおしゃべりする帰り道が楽しかったな。
琵琶湖の花火大会ではこっちに降りかかってきそうな迫力の花火に感動したなあ。
夏は、思い出すだけでなんだか切ない。きっと終わりがある夏だから心に残っているのかも。
フィリピンは毎日、夏。終わりのない夏。それはそれで良いのだけれど。
小学生の頃、初めて子ども用じゃないプールに入って想像以上に深くて溺れそうになって監視員のおじさんに助けてもらった。
6年生のとき、社会の自由研究でみんなは歴史上の出来事について調べていたのに、一人
ジャズ音楽の歴史を調べて提出したなあ。これが大学でジャズ研に入る最初のきっかけ..?
中学生のときは水泳部が楽しかった。全然速くなかったけど、いつも魚になったみたいな気分だった。剣道部や野球部が汗を流しながら練習しているのを見ながら、水泳は夏にぴったりのスポーツだなーなんて当たり前のことを思っていた。
高校の夏は、部活の帰り道に食べるガリガリ君が美味しかった。午前練が終わって、じりじりした日差しの中、重たいエナメルかばんを持ってたらたら歩きながらおしゃべりする帰り道が楽しかったな。
琵琶湖の花火大会ではこっちに降りかかってきそうな迫力の花火に感動したなあ。
夏は、思い出すだけでなんだか切ない。きっと終わりがある夏だから心に残っているのかも。
フィリピンは毎日、夏。終わりのない夏。それはそれで良いのだけれど。
2012年7月27日金曜日
グローバル
グローバル化について思うことを書きます。
世界共通で同じ食べ物、同じデザインの服など同じ商品を売る企業はますます増え、日本の企業も日本人だけでなく世界の人々を対象にしたものが普通になっていくのかもしれません。同じようなものを食べ、同じような服を着て、同じような商品を使い、世界中の人々と瞬時に連絡を取り合える。人がモノが情報が世界を動き回る。
世界が混ざり合っていくことはもう止められないのだと思います。そういう社会になったとき何が大切か。私は「違いに寛容になること」だと思います。
以前、自分の所属するカテゴリーを批判されると悲しいとブログに書きましたが、世界が混ざり合っていくとこういう経験がもっと身近なものになるのかもしれないと思いました。
国の違い、民族の違いに簡単に出会うような世界になったとき、自分には理解できない考えに出会う機会もますます増えます。そういった時にそれらにいちいち本気で悲しんだり怒ったりしていては大変です。理解できなくてもよいけれど寛容に受け入れるという姿勢が大事なのかなと思います。そして自分は愛国心や同じ民族という意識から、それ以外のカテゴリーの人を無意識に傷つけたり差別するような発言をしていないか、ということにもっと敏感になる必要があると思いました。
しかしグローバル化のおかげで世界がそこまで遠いものではなくなり、簡単に広く世界が見られるようになることは本当にいいことだと思います。違いを寛容に受け入れられるようになれば、人がモノが情報が自由に動き回る多様性に溢れた世界というのは本当に魅力的なのだろうと思います。
世界共通で同じ食べ物、同じデザインの服など同じ商品を売る企業はますます増え、日本の企業も日本人だけでなく世界の人々を対象にしたものが普通になっていくのかもしれません。同じようなものを食べ、同じような服を着て、同じような商品を使い、世界中の人々と瞬時に連絡を取り合える。人がモノが情報が世界を動き回る。
世界が混ざり合っていくことはもう止められないのだと思います。そういう社会になったとき何が大切か。私は「違いに寛容になること」だと思います。
以前、自分の所属するカテゴリーを批判されると悲しいとブログに書きましたが、世界が混ざり合っていくとこういう経験がもっと身近なものになるのかもしれないと思いました。
国の違い、民族の違いに簡単に出会うような世界になったとき、自分には理解できない考えに出会う機会もますます増えます。そういった時にそれらにいちいち本気で悲しんだり怒ったりしていては大変です。理解できなくてもよいけれど寛容に受け入れるという姿勢が大事なのかなと思います。そして自分は愛国心や同じ民族という意識から、それ以外のカテゴリーの人を無意識に傷つけたり差別するような発言をしていないか、ということにもっと敏感になる必要があると思いました。
しかしグローバル化のおかげで世界がそこまで遠いものではなくなり、簡単に広く世界が見られるようになることは本当にいいことだと思います。違いを寛容に受け入れられるようになれば、人がモノが情報が自由に動き回る多様性に溢れた世界というのは本当に魅力的なのだろうと思います。
2012年7月18日水曜日
恥
初回の英語の授業は自分の名前の最初のアルファベットから始まる形容詞を使って自己紹介するという内容でした。が、私はそれを理解せず一人的外れなことを言ってしまい、「みんなの前で何かしてくれたら成績下げないであげるよ」と先生に言われ、まだ名前も知らないクラスメイト全員の前で唯一知っているタガログ語の歌を大声で歌いました。ものすごく恥ずかしかったのですが、これ以来怖いものなしというかすっかり恥に強くなりました。笑
ちょっと変な言い方ですが、恥をかくことに平気になったのは私にとってとても大きなことです。
というのも今まで人前で恥をかくことを極端に恐れ(過ぎ?)ていたなと思うのです。格好悪い、ダサい、イタいと思われたくない、笑われることは恥ずかしいと思っていたのですが、実際自分が思うほど人はそんなの気にしていない。仮に笑われたとしても一時的に恥ずかしいだけで別に失うものなんて無いんだと気づいたとき、自分がこれまで恥をかくことを恐れていたのは何のためだったんだろうと疑問に思いました。
一方で恥をかくというのは若いうちの特権だなとも思います。失うものが無いからこそ恥はかけるのかもしれません。年を重ね生き方がもっと確固なものになるにつれて自分が大事にするものや信じるものが増えていき、だんだん人前では簡単に恥をかけなくなってくるのかもしれないです。
まだ何も守るものも失うものも無いうちはこの恥をかける特権を存分に生かし、いもしない誰かの目を意識して勝手に縮こまるのはやめようと思いました。
ちょっと変な言い方ですが、恥をかくことに平気になったのは私にとってとても大きなことです。
というのも今まで人前で恥をかくことを極端に恐れ(過ぎ?)ていたなと思うのです。格好悪い、ダサい、イタいと思われたくない、笑われることは恥ずかしいと思っていたのですが、実際自分が思うほど人はそんなの気にしていない。仮に笑われたとしても一時的に恥ずかしいだけで別に失うものなんて無いんだと気づいたとき、自分がこれまで恥をかくことを恐れていたのは何のためだったんだろうと疑問に思いました。
一方で恥をかくというのは若いうちの特権だなとも思います。失うものが無いからこそ恥はかけるのかもしれません。年を重ね生き方がもっと確固なものになるにつれて自分が大事にするものや信じるものが増えていき、だんだん人前では簡単に恥をかけなくなってくるのかもしれないです。
まだ何も守るものも失うものも無いうちはこの恥をかける特権を存分に生かし、いもしない誰かの目を意識して勝手に縮こまるのはやめようと思いました。
泣く
2週間ぶりの更新となってしまいました。
寮のWi-Fiの調子が悪かったのと、ホームシックではないのですがここ数日、誰とも話したくない部屋から一歩も出たくないという無気力状態になりすっかり気が滅入っていました。もちろん大学には行っていましたが授業が終わると即、寮に戻り部屋にこもっているというような状態でした。
今はもう元気になったのですが、その無気力状態の時に何をしていたかというと部屋にこもって悲しげな音楽を聴きながら一人泣いていました。笑(ちなみに聴いていたのはDear Blueというギターの曲です。)こう書くとすごく暗く落ち込んでいるように思えますが、実際20分ほど泣いたあとは気分がすっきりしてなぜかお腹が減り、寮の食堂でご飯を食べたらいつの間にか元気になっていました。
何事もバランスが大事とはよく言われますが、感情も同じだなという気がします。人とのコミュニケーションで笑顔でいることは大事ですが、笑ってばかりだときっと良くない、というかそんなの無理です。感情のバランスをとるためには怒りや悲しみを感じることも、それは人に見せなくても日常生活において結構重要なことなんじゃないかと思います。
2012年7月4日水曜日
勉強
新しい寮に引っ越してから3週間経ちました。住んでいるのはほぼ大学生なのですが、みんな相当勉強していることに驚きました。大学が終わる17時から22時頃までは机のある共用スペースが埋まり、時には階段のところでレポートを書いていたり床に座って教科書を読んでいる学生の姿も見かけます。
その中の一人、6月に入学したばかりの女の子と話しました。彼女は家が農家で3姉妹の長女。自分の家は貧しいのだと言っていました。
すごく勉強熱心だねと言うと、人生で最も優先されるのは勉強でその次が神キリストなんだと言われました。彼女にとっては勉強こそ貧しい家庭から抜け出す唯一の方法なのだそうです。
なんだかいろいろ考えさせられる言葉でした。私は「勉強は今と違う生活を手に入れるための手段」と考えたことは一度もなく、彼女とあまりにも大きな差を感じました。
私はなんのために勉強しているのか。勉強した先にはなにがあるのか。
もう一度自分に問い直したいと思います。
その中の一人、6月に入学したばかりの女の子と話しました。彼女は家が農家で3姉妹の長女。自分の家は貧しいのだと言っていました。
すごく勉強熱心だねと言うと、人生で最も優先されるのは勉強でその次が神キリストなんだと言われました。彼女にとっては勉強こそ貧しい家庭から抜け出す唯一の方法なのだそうです。
なんだかいろいろ考えさせられる言葉でした。私は「勉強は今と違う生活を手に入れるための手段」と考えたことは一度もなく、彼女とあまりにも大きな差を感じました。
私はなんのために勉強しているのか。勉強した先にはなにがあるのか。
もう一度自分に問い直したいと思います。
2012年6月25日月曜日
理解?
悲しい気分になる時はいろいろありますが、私個人について何か言われるよりも私の所属するカテゴリーについて言われるほうが悲しくなることに気づきました。
それは例えば日本人であるということや女性であるということ。生まれた時から所属し、21年間受け入れて生きたきたそれらは私が思っている以上に大きなものだったようです。
なぜなら私一人のことじゃない。同じカテゴリーに所属する人は他にもたくさんいます。たとえ言われたのは私一人だとしても、それはまた他の大多数にも向けられたことです。
歴史は複雑で、人の感情はもっと複雑です。簡単に理解なんてできないし、そもそも完全に理解なんてしなくてもいいと思います。自分には理解できない考えを持った人がいることを知っただけでもう十分に思えます。
話は変わりますが、私は人生の豊かさは経験してきた感情の豊かさだと思っています。やり切れない悲しみや理不尽さに出会ったとき、自分はこんな感情を抱くんだと教えてもらったことに感謝し、また一つ自分の人生が豊かになったと思うようにします。
それは例えば日本人であるということや女性であるということ。生まれた時から所属し、21年間受け入れて生きたきたそれらは私が思っている以上に大きなものだったようです。
なぜなら私一人のことじゃない。同じカテゴリーに所属する人は他にもたくさんいます。たとえ言われたのは私一人だとしても、それはまた他の大多数にも向けられたことです。
歴史は複雑で、人の感情はもっと複雑です。簡単に理解なんてできないし、そもそも完全に理解なんてしなくてもいいと思います。自分には理解できない考えを持った人がいることを知っただけでもう十分に思えます。
話は変わりますが、私は人生の豊かさは経験してきた感情の豊かさだと思っています。やり切れない悲しみや理不尽さに出会ったとき、自分はこんな感情を抱くんだと教えてもらったことに感謝し、また一つ自分の人生が豊かになったと思うようにします。
2012年6月21日木曜日
話す
フィリピンの人と話していると、男女ともにとにかく冗談が多いです。フィリピンに来てから「Just kidding!」という言葉をよく聞きます。一度仲良くなると本当に冗談をよく言い、よく笑うなあという印象です。
具体例になるかわからないのですが..
友人の一人と話している時、突然おならの音がしました。しかもおしりを押さえる仕草をしてアッやっちゃった!みたいな表情をしたので本当におならをしたのかと思ってすごくびっくりしたのですが、笑いながら携帯を取り出して一言、「メールが来たんだよ!」
どうやら彼はメールの受信音をおならの音に設定しているようで、もう意味がわからなすぎて笑いが止まりませんでした。(低俗な話でごめんなさい!)
女の子と話すときは必ず盛り上がるのはメイク、ファッション、恋愛の話です。フィリピン、韓国、中国の女の子と話しましたが、これは多分世界共通で盛り上がる3大トピックなんじゃないかと思います。
フィリピンの女の子は思っていた以上におしゃれでメイクも上手く、いろいろ教えてもらいました。(アイラインの描き方とかカラーコンタクトとか!)
ファッションも体にフィットしたスタイルで日本とかなり違うなという印象です。ジーパン+Tシャツの女の子が多いですが、相当ピタッとしています。聞けば、セクシーに見えることがなによりも大事なんだとか。(実際細くてスタイルも良い!)
私もフィリピンでTシャツを買いましたが、多分日本では着ないと思います。。笑
日本のアニメについては男女ともによく聞かれます。実際にフィリピンで金色のガッシュベルとナルトが放送されているのも見ました。もちろんタガログ語で全然理解できませんでしたが...。
今はワンピースが一番有名かなという印象です。ただ私はアニメを全然知らないので聞かれても何も答えられないのが悲しいです...。
たまに真剣に政治や社会問題についても話すこともありますが、こういう楽しいおしゃべりも大好きです。今は冗談を言われた時の上手い切り返しをとっさに言えるようになるのが目標です!
具体例になるかわからないのですが..
友人の一人と話している時、突然おならの音がしました。しかもおしりを押さえる仕草をしてアッやっちゃった!みたいな表情をしたので本当におならをしたのかと思ってすごくびっくりしたのですが、笑いながら携帯を取り出して一言、「メールが来たんだよ!」
どうやら彼はメールの受信音をおならの音に設定しているようで、もう意味がわからなすぎて笑いが止まりませんでした。(低俗な話でごめんなさい!)
女の子と話すときは必ず盛り上がるのはメイク、ファッション、恋愛の話です。フィリピン、韓国、中国の女の子と話しましたが、これは多分世界共通で盛り上がる3大トピックなんじゃないかと思います。
フィリピンの女の子は思っていた以上におしゃれでメイクも上手く、いろいろ教えてもらいました。(アイラインの描き方とかカラーコンタクトとか!)
ファッションも体にフィットしたスタイルで日本とかなり違うなという印象です。ジーパン+Tシャツの女の子が多いですが、相当ピタッとしています。聞けば、セクシーに見えることがなによりも大事なんだとか。(実際細くてスタイルも良い!)
私もフィリピンでTシャツを買いましたが、多分日本では着ないと思います。。笑
日本のアニメについては男女ともによく聞かれます。実際にフィリピンで金色のガッシュベルとナルトが放送されているのも見ました。もちろんタガログ語で全然理解できませんでしたが...。
今はワンピースが一番有名かなという印象です。ただ私はアニメを全然知らないので聞かれても何も答えられないのが悲しいです...。
たまに真剣に政治や社会問題についても話すこともありますが、こういう楽しいおしゃべりも大好きです。今は冗談を言われた時の上手い切り返しをとっさに言えるようになるのが目標です!
2012年6月14日木曜日
初授業
今日から1st semesterが始まりました。
とりあえず先生の英語が速すぎて聞き取りに必死です><
授業のほとんどは英語ですが、たまにタガログ語も出てくるのでそうなるともうさっぱりです。
今日は隣の友達に助けてもらいましたが、いつかタガログ語も友達の手助け無しで理解できるよう勉強に励みたいと思います!
明日も朝7時から授業なので21時半ですがもう寝ます!^^;
とりあえず先生の英語が速すぎて聞き取りに必死です><
授業のほとんどは英語ですが、たまにタガログ語も出てくるのでそうなるともうさっぱりです。
今日は隣の友達に助けてもらいましたが、いつかタガログ語も友達の手助け無しで理解できるよう勉強に励みたいと思います!
明日も朝7時から授業なので21時半ですがもう寝ます!^^;
引っ越し完了!
昨日、大学内の寮から大学外の寮へ引っ越しました。同じ大学へ通うフィリピン人学生がたくさん住んでおり、賑やかな学生寮です。
前の寮はホットシャワー、テレビ、冷蔵庫、エアコン、wi-fi完備で部屋も広く快適だったのですが、あまり人との交流がない環境でした。韓国人学生のための寮で私は唯一の日本人。寮の規則で韓国人学生のフロアへ立ち入ることは禁止されてたので、話相手はガードマンさんか掃除のおばさんだけでした。
新しい寮は、ホットシャワーはなく水シャワーです。初めは「冷たっ!!」と戸惑いましたがなんとか慣れました。それに水シャワーの方がかえってフィリピンの暑い気候にはさっぱりして気持ち良いことにも気付きました。
テレビも部屋にはなく、1階の食堂でみんなで見ます。その方がみんなとおしゃべりしながら見られて面白いのです。冷蔵庫、エアコンがなくても今のところ問題はないかなと思います。
自分の部屋でwi-fiが使えないのは不便!と初めは思いましたが、共用スペースでは使えるのでまあいいかなと思っています。それに自分の部屋でネットを使っているとつい長時間を無駄にしてしまうので、共用スペースの方が人の視線もあってかえって良いのかもしれません。部屋も決して広くないですが、常に賑やかで部屋から出ると誰かしらと会話が始まります。
豊富な設備よりもこのような交流こそ私がフィリピンで経験したいことでした。
まだ始まったばかりの生活ですが、ここでの毎日にとても期待しています!
前の寮はホットシャワー、テレビ、冷蔵庫、エアコン、wi-fi完備で部屋も広く快適だったのですが、あまり人との交流がない環境でした。韓国人学生のための寮で私は唯一の日本人。寮の規則で韓国人学生のフロアへ立ち入ることは禁止されてたので、話相手はガードマンさんか掃除のおばさんだけでした。
新しい寮は、ホットシャワーはなく水シャワーです。初めは「冷たっ!!」と戸惑いましたがなんとか慣れました。それに水シャワーの方がかえってフィリピンの暑い気候にはさっぱりして気持ち良いことにも気付きました。
テレビも部屋にはなく、1階の食堂でみんなで見ます。その方がみんなとおしゃべりしながら見られて面白いのです。冷蔵庫、エアコンがなくても今のところ問題はないかなと思います。
自分の部屋でwi-fiが使えないのは不便!と初めは思いましたが、共用スペースでは使えるのでまあいいかなと思っています。それに自分の部屋でネットを使っているとつい長時間を無駄にしてしまうので、共用スペースの方が人の視線もあってかえって良いのかもしれません。部屋も決して広くないですが、常に賑やかで部屋から出ると誰かしらと会話が始まります。
豊富な設備よりもこのような交流こそ私がフィリピンで経験したいことでした。
まだ始まったばかりの生活ですが、ここでの毎日にとても期待しています!
2012年6月12日火曜日
小さな商品
フィリピンには1回分のシャンプーが売られています。
日本ではボトルで1,2ヵ月分買うのが普通ですが、フィリピンのスーパーに行くと1回分のシャンプーが20枚、40枚つづりのようになっていたり、1回分からも買うことができます。1ヵ月分をボトルで買う余裕はないけれど、1回分なら買える。フィリピンにはそういう人たちがいることがわかります。
実際に売られている1回分のシャンプーを見て、授業で習ったBOP市場という言葉を思い出しました。Bottom of the Pyramidの略で、所得階層を構成する経済ピラミッドの底辺に位置する人々を顧客として市場と認識するビジネスです。
企業の目的は利益を増やすことで、そのために市場を拡大しその国に求められているものを求められている形で提供するのは当然だと思います。そのおかげで、私たちは広く豊かさを得られるのだと感じます。1回分のシャンプーというようなミクロなものでもその国の人たちが消費を楽しめるようになるなら本当にいいことだと思います。
でももし私なら1回分のシャンプーという売り方はしないかなと思いました。小さなビニールの袋でも数か月分たまれば相当なごみの量です。それにたとえ1回分が安く見えても、毎回同じ金額で同じものを買うのは結果的には損です。大きなボトルでなくても、10回分のシャンプーの小さなボトルと詰め替え用を売る方が消費者のためになり、環境にもより良いのにな、と思いました。
日本ではボトルで1,2ヵ月分買うのが普通ですが、フィリピンのスーパーに行くと1回分のシャンプーが20枚、40枚つづりのようになっていたり、1回分からも買うことができます。1ヵ月分をボトルで買う余裕はないけれど、1回分なら買える。フィリピンにはそういう人たちがいることがわかります。
実際に売られている1回分のシャンプーを見て、授業で習ったBOP市場という言葉を思い出しました。Bottom of the Pyramidの略で、所得階層を構成する経済ピラミッドの底辺に位置する人々を顧客として市場と認識するビジネスです。
企業の目的は利益を増やすことで、そのために市場を拡大しその国に求められているものを求められている形で提供するのは当然だと思います。そのおかげで、私たちは広く豊かさを得られるのだと感じます。1回分のシャンプーというようなミクロなものでもその国の人たちが消費を楽しめるようになるなら本当にいいことだと思います。
でももし私なら1回分のシャンプーという売り方はしないかなと思いました。小さなビニールの袋でも数か月分たまれば相当なごみの量です。それにたとえ1回分が安く見えても、毎回同じ金額で同じものを買うのは結果的には損です。大きなボトルでなくても、10回分のシャンプーの小さなボトルと詰め替え用を売る方が消費者のためになり、環境にもより良いのにな、と思いました。
2012年6月4日月曜日
違いはあっても
私のお気に入りのイギリスのテレビ番組があります。一般人のダンサーたちが次々と出てきてダンスを踊り、それに3人のプロのダンサーがジャッジをするという内容です。合格なら黄色の星、不合格なら赤の星が光ります。3人とも黄色の星を与えることはめったになく、すごく上手いなーと見てて思っても一人しか黄色の星を与えなかったりすることがよくあります。
先日その番組の中に、ダウン症の少年少女8人ぐらいのグループが出てきました。すごく楽しそうにダンスを踊り、もちろんジャッジは3人とも黄色の星を与えました。ダンスの上手い下手ではなく一生懸命楽しそうに踊っている姿に見ていて本当に心を打たれました。
私が驚いたのは、ゴールデンの時間帯、人気のあるテレビ局の番組に障碍をもった人たちが自然と出演していたことでした。日本の番組で障碍を持った人を見た記憶があるのは、NHKのドキュメンタリー番組と24時間テレビぐらいです。「障碍がある人を理解しましょう」というメッセージが全面に出てくるような番組でしかそのような人たちを見たことがありません。なんだか日本の番組は健常者と障碍者の違いを強調させているような、すごく存在を隔離させているような気がしました。
イギリスの番組は、障碍を持つ人が他の健常者と何ら変わりなく出演しているところに日本と大きな違いを感じました。障碍があっても人気のテレビ番組に出演し、ダンスを披露することが自然と受け止められている社会ってすごく良いなと思います。
先日その番組の中に、ダウン症の少年少女8人ぐらいのグループが出てきました。すごく楽しそうにダンスを踊り、もちろんジャッジは3人とも黄色の星を与えました。ダンスの上手い下手ではなく一生懸命楽しそうに踊っている姿に見ていて本当に心を打たれました。
私が驚いたのは、ゴールデンの時間帯、人気のあるテレビ局の番組に障碍をもった人たちが自然と出演していたことでした。日本の番組で障碍を持った人を見た記憶があるのは、NHKのドキュメンタリー番組と24時間テレビぐらいです。「障碍がある人を理解しましょう」というメッセージが全面に出てくるような番組でしかそのような人たちを見たことがありません。なんだか日本の番組は健常者と障碍者の違いを強調させているような、すごく存在を隔離させているような気がしました。
イギリスの番組は、障碍を持つ人が他の健常者と何ら変わりなく出演しているところに日本と大きな違いを感じました。障碍があっても人気のテレビ番組に出演し、ダンスを披露することが自然と受け止められている社会ってすごく良いなと思います。
2012年5月23日水曜日
小さくなる世界
先週の日曜日、フィリピンのショッピングモールSM mall of Asiaに行ってきました。東京ドーム
8個分の大きさで世界第3位の床面積を誇る巨大モールです。
お店はTop shop,Zara,forever21,Nike, addidasなど欧米のブランドが多く、また無印良品や
まだオープンしていませんでしたがユニクロもありました。ただフィリピンではデパートでもTシャツ
1枚200~300ペソで買えるのに対して、ユニクロのTシャツは1枚790ペソでこちらではユニクロは高級服の部類に入ることに驚きました。
フィリピンのショッピングモールですが、あまり日本と差がなく「なんだか来たことある」というような感じがしました。これは気にしすぎかもしれませんが、世の中の服装、色彩の好みがだんだんとひとつに集約されていくかのような気がしました。
今、facebookやtwitterなどソーシャルネットワークの発達で世界中の人が何をしているか、何を考えているのかがタイムリーにわかります。Google mapで行ったことのない場所や日本の裏側も簡単に見ることができます。4人に1人がある程度の英語を使え、今後ますます英語を使う人口は増えていくと言われています。そうやってだんだんと世界は小さくなり、世の中の思考の枠組みが単一化されていくのではないか、という気がしました。
グローバル化という言葉は格好よく響きますが、それによってもたらされる世界がつまらないものになるのはいやだなあと思います。
8個分の大きさで世界第3位の床面積を誇る巨大モールです。
お店はTop shop,Zara,forever21,Nike, addidasなど欧米のブランドが多く、また無印良品や
まだオープンしていませんでしたがユニクロもありました。ただフィリピンではデパートでもTシャツ
1枚200~300ペソで買えるのに対して、ユニクロのTシャツは1枚790ペソでこちらではユニクロは高級服の部類に入ることに驚きました。
フィリピンのショッピングモールですが、あまり日本と差がなく「なんだか来たことある」というような感じがしました。これは気にしすぎかもしれませんが、世の中の服装、色彩の好みがだんだんとひとつに集約されていくかのような気がしました。
今、facebookやtwitterなどソーシャルネットワークの発達で世界中の人が何をしているか、何を考えているのかがタイムリーにわかります。Google mapで行ったことのない場所や日本の裏側も簡単に見ることができます。4人に1人がある程度の英語を使え、今後ますます英語を使う人口は増えていくと言われています。そうやってだんだんと世界は小さくなり、世の中の思考の枠組みが単一化されていくのではないか、という気がしました。
グローバル化という言葉は格好よく響きますが、それによってもたらされる世界がつまらないものになるのはいやだなあと思います。
2012年5月18日金曜日
間合いを取ること
高校でフェンシング部だったとき、顧問の先生にフェンシングで一番大事なのは間合いだと言われたのを思い出しました。相手と剣先10㎝が交わる距離を保つのが大事だと。近づきすぎると相手の攻撃がすぐにかわせないし、遠すぎると自分の攻撃が相手に届きません。
人とのコミュニケーションも同じなんじゃないかと思います。自分のことを見せすぎない、相手の領域に近づきすぎない。一定の緊張感を持ちながら、相手との間合いを保つことが重要なんじゃないかと気付きました。
ディベートなど共通のルールがあるときはそのルールの中で自由に振る舞えます。たとえそのルールを窮屈に感じたり合わないと思っても、終わってしまえばそのルールは適用されません。しかしほとんどのコミュニケーションは人によってルールは異なります。またそれは簡単に目に見えず、相手がどう受け止めるか、どう感じるかというのを瞬時に判断するのはとても高度な技術に思えます。自分の感情、例えば慣れ親しみ信頼なども時に相手との間合いを見誤る原因にもなると感じます。
ディベートなど共通のルールがあるときはそのルールの中で自由に振る舞えます。たとえそのルールを窮屈に感じたり合わないと思っても、終わってしまえばそのルールは適用されません。しかしほとんどのコミュニケーションは人によってルールは異なります。またそれは簡単に目に見えず、相手がどう受け止めるか、どう感じるかというのを瞬時に判断するのはとても高度な技術に思えます。自分の感情、例えば慣れ親しみ信頼なども時に相手との間合いを見誤る原因にもなると感じます。
相手は自分とは違うルールを持っているという前提で適度な距離感を保つこと、それが人とのコミュニケーションにおいて最も重要なんじゃないかと思いました。
2012年5月10日木曜日
中国
フィリピンと中国の領土問題がニュースで報道されていたので、中国人の留学生に聞いてみました。
<今の状況>
中国とフィリピンとの南沙諸島(スプラトリー諸島)をめぐる領土紛争がエスカレートしており、双方ともに対抗措置をちらつかせ、一発触発状態に陥っている。ボイス・オブ・アメリカ(VOA)中国語サイトが伝えた。
フィリピン政府は5日、国連に抗議文書を提出した。中国は2009年、南沙諸島を含む南シナ海全域の領有権を主張する文書を国連に提出したが、これは国際法上の根拠がないものだと主張している。南沙諸島や周辺の南シナ海はフィリピン固有の領土だという態度をあくまでも崩さない姿勢だ。
アキノ大統領は9日、「わが国の安全と主権が脅かされた時、米国と日本以上に頼りになる友はいない」と、領土紛争問題上の中国の脅威から日米両国が守ってほしいとアピールした。
中国・フィリピン以外にも、ベトナム、マレーシア、ブルネイ、台湾が南沙諸島の領有権を主張している。(ニュースサイトserchinaより引用)
友人から言われたことは主に以下の4点です。
・第二次世界大戦後、中国の経済状態は悪く、約10年間は教育も政治も何もない状態だった。
・中国はここ数十年、猛烈に経済発展を遂げてきた。
・中国は今やアメリカと並ぶ大国である。
・日本、フィリピンはアメリカと友好関係にある。(アメリカという国際的な後ろ盾がある)
中国がフィリピンの島の領有権を主張するのは単に管轄権・漁業権のためだけではなく、対アメリカの意識からなのでしょうか。中国は日本にも同様に尖閣諸島の領有権を主張していますが、これも石油や天然ガスなどの資源の権利を主張しているように表面上は見えながら、中国のさらなる経済発展のためにアメリカという後ろ盾がある日本に対して領土を主張し、国際的に力を持っていることを示しているのではないかと感じました。
日本の新聞やニュースからは見えてこなかったことについていろいろ考えさせられた会話でした。
<今の状況>
中国とフィリピンとの南沙諸島(スプラトリー諸島)をめぐる領土紛争がエスカレートしており、双方ともに対抗措置をちらつかせ、一発触発状態に陥っている。ボイス・オブ・アメリカ(VOA)中国語サイトが伝えた。
フィリピン政府は5日、国連に抗議文書を提出した。中国は2009年、南沙諸島を含む南シナ海全域の領有権を主張する文書を国連に提出したが、これは国際法上の根拠がないものだと主張している。南沙諸島や周辺の南シナ海はフィリピン固有の領土だという態度をあくまでも崩さない姿勢だ。
アキノ大統領は9日、「わが国の安全と主権が脅かされた時、米国と日本以上に頼りになる友はいない」と、領土紛争問題上の中国の脅威から日米両国が守ってほしいとアピールした。
中国・フィリピン以外にも、ベトナム、マレーシア、ブルネイ、台湾が南沙諸島の領有権を主張している。(ニュースサイトserchinaより引用)
友人から言われたことは主に以下の4点です。
・第二次世界大戦後、中国の経済状態は悪く、約10年間は教育も政治も何もない状態だった。
・中国はここ数十年、猛烈に経済発展を遂げてきた。
・中国は今やアメリカと並ぶ大国である。
・日本、フィリピンはアメリカと友好関係にある。(アメリカという国際的な後ろ盾がある)
中国がフィリピンの島の領有権を主張するのは単に管轄権・漁業権のためだけではなく、対アメリカの意識からなのでしょうか。中国は日本にも同様に尖閣諸島の領有権を主張していますが、これも石油や天然ガスなどの資源の権利を主張しているように表面上は見えながら、中国のさらなる経済発展のためにアメリカという後ろ盾がある日本に対して領土を主張し、国際的に力を持っていることを示しているのではないかと感じました。
日本の新聞やニュースからは見えてこなかったことについていろいろ考えさせられた会話でした。
2012年5月8日火曜日
初バロット
フィリピンに来てから一度食べてみたかったバロットをついに食べました。孵化する直前のあひるの卵を茹でたフィリピンの伝統的なおやつです。道端の露店の籠の中で保温されており、1つ12ペソで売っていました。買った瞬間はアツアツの普通の卵に見えます。殻をむいて食べるのですが、明るい部屋で殻をむいたのが間違いでした。私が選んだバロットはもう中のひよこが成長しており、殻をむくにつれてだんだん中のひよこの姿が現れてきます。この段階でもうひるんでしまいそうでしたが、勇気を出してえいっと食べました。温かくほくほくして歯ごたえのあるゆで卵という感じがしました。とろとろと柔らかい部分もあり見た目とは裏腹にかなり美味しかったです。最後に口に残った羽と骨を出して完食しました。
小さいですが、バロット1個食べるだけでかなりお腹にたまります。滋養強壮に良いとされているそうなので、次はパワーが必要なときに食べようと思います!
小さいですが、バロット1個食べるだけでかなりお腹にたまります。滋養強壮に良いとされているそうなので、次はパワーが必要なときに食べようと思います!
2012年5月2日水曜日
外国語
大学で中国語を教えている中国人の先生と知り合いになりました。私がその先生に日本語を教えるという約束で、中国語の授業に参加させてもらいました。
しかしフィリピンの人たちが苦労していた漢字の書き取りについてはばっちりでした。笑
タガログ語もそうですが、新しい言語を学ぶことは未知の世界が開けてくるようでわくわくします。言葉を知ることはその国を知ることの第一歩だと感じました。
↑こちらがテキストなのですが、当然習うのはフィリピンの人たちなのでタガログ語で書かれています。先生は英語で中国語を教え、練習問題はタガログ語で解くという非常に頭がこんがらがりそうな授業です。
しかしフィリピンの人たちが苦労していた漢字の書き取りについてはばっちりでした。笑
前に出てホワイトボードにお手本を書いてくれ、と言われ書き終わると「おー!」と拍手してもらいなんだか複雑な気分でした。
人生初の中国語を学んだ感想は、漢字を見れば意味がだいたいわかるので読むことについてはそれほど難しい言語ではないかな、という感じです。ただ中国語おなじみの4声の発音が難しく、話すことはやさしくなさそうです。
タガログ語もそうですが、新しい言語を学ぶことは未知の世界が開けてくるようでわくわくします。言葉を知ることはその国を知ることの第一歩だと感じました。
2012年4月29日日曜日
会話
コミュニケーションは7%がバーバルで、93パーセントがノンバーバルというリポートを見ました。
本当にその通りだと思います。
私のヒアリング力はまだまだで、聞き取れる英語は全体の60%ぐらいです。相手の話す英語によっては半分しか理解できないこともあります。それでもフィリピンの人々と英語で会話をするのはとても楽しいです。それはきっと、楽しい話は大笑いしながら話し、ときには椅子から立ち上がって身振り手振りを交えて話してくれるから、単語の意味がわからなったり、話すスピードが速かったりして英語が理解できなくても、会話は理解できるのです。
日本人でもお互い分かり合ってコミュニケーションするのは難しいです。同じ言語を使うもの同士でもそうなのだから、言語、文化が違えばそう簡単に分かり合えることなんでできないと思います。でも分かり合えない者同士、価値観の異なる者同士が、なんとかうまくコミュニケーションをとるには、この93%のノンバーバルの部分が非常に重要なのだと身をもって感じました。
本当にその通りだと思います。
私のヒアリング力はまだまだで、聞き取れる英語は全体の60%ぐらいです。相手の話す英語によっては半分しか理解できないこともあります。それでもフィリピンの人々と英語で会話をするのはとても楽しいです。それはきっと、楽しい話は大笑いしながら話し、ときには椅子から立ち上がって身振り手振りを交えて話してくれるから、単語の意味がわからなったり、話すスピードが速かったりして英語が理解できなくても、会話は理解できるのです。
日本人でもお互い分かり合ってコミュニケーションするのは難しいです。同じ言語を使うもの同士でもそうなのだから、言語、文化が違えばそう簡単に分かり合えることなんでできないと思います。でも分かり合えない者同士、価値観の異なる者同士が、なんとかうまくコミュニケーションをとるには、この93%のノンバーバルの部分が非常に重要なのだと身をもって感じました。
2012年4月26日木曜日
信用すること
机の向きを変えてからなぜかネットによく接続できるようになりました。なぜだ??しかしfacebookについてはしょっちゅう、Googleは見つけられませんでしたとメッセージが出ます。なぜだ??
こちらに来て10日以上たちましたがお金に対する価値観の違いに一番ショックを受けました。
フィリピンでは10%が富裕層、5%が中流層、85%が貧困層といわれています。お金はその日の命をつなぐものであり、裕福に見える外国人からもらおうと考えるのは当然かもしれません。
私はフィリピンの人々が好きです。これほどフレンドリーで寛容な人々に出会ったことがありません。ただお金に対する価値観が違うだけなのだと思っています。そしてその価値観の違いに時々苦しみます。私はみんな良い人だと信じています。しかし最後に判断するのは自分一人です。
書いていて苦しくなってきました。ここまでにしておきます。
こちらに来て10日以上たちましたがお金に対する価値観の違いに一番ショックを受けました。
フィリピンでは10%が富裕層、5%が中流層、85%が貧困層といわれています。お金はその日の命をつなぐものであり、裕福に見える外国人からもらおうと考えるのは当然かもしれません。
私はフィリピンの人々が好きです。これほどフレンドリーで寛容な人々に出会ったことがありません。ただお金に対する価値観が違うだけなのだと思っています。そしてその価値観の違いに時々苦しみます。私はみんな良い人だと信じています。しかし最後に判断するのは自分一人です。
書いていて苦しくなってきました。ここまでにしておきます。
2012年4月25日水曜日
回復!
緊張が緩んだのか急に発熱し、しばらく身体がだるい日々でした。が今朝、完全復活しました。
喉の痛みがおさまらず、しかしうがい薬は日本から持って来ていなかったのでドラッグストアで購入することにしました。小さな茶色の瓶に入ったうがい薬とのど飴を買い、ついでに水5リットルと発汗のために辛いスープを買って、あとは自分の免疫力にお願いしました。うがい薬は驚くほど鮮やかなピンク色でちょっと毒々しさすらありました。そしてこれがまた涙が出そうになるほど苦かったのですが、効果はてきめんでした。1瓶すべて使い切ってうがいをすると、翌朝にはすっかり痛みが引いていました。だるさも消え体調も回復しました。身体からの休みたいサインだったのかなと思います。
フィリピンに来てからの生活はもちろん楽しいですが、ストレスがたまることもあります。誰が信用できるのかわからないし、見極めるのは難しいです。良い人だと信じたいけれど、自分で判断をしなければいけないことはなかなかしんどいことです。
信用についての話はまた次回に書きたいと思います。
喉の痛みがおさまらず、しかしうがい薬は日本から持って来ていなかったのでドラッグストアで購入することにしました。小さな茶色の瓶に入ったうがい薬とのど飴を買い、ついでに水5リットルと発汗のために辛いスープを買って、あとは自分の免疫力にお願いしました。うがい薬は驚くほど鮮やかなピンク色でちょっと毒々しさすらありました。そしてこれがまた涙が出そうになるほど苦かったのですが、効果はてきめんでした。1瓶すべて使い切ってうがいをすると、翌朝にはすっかり痛みが引いていました。だるさも消え体調も回復しました。身体からの休みたいサインだったのかなと思います。
フィリピンに来てからの生活はもちろん楽しいですが、ストレスがたまることもあります。誰が信用できるのかわからないし、見極めるのは難しいです。良い人だと信じたいけれど、自分で判断をしなければいけないことはなかなかしんどいことです。
信用についての話はまた次回に書きたいと思います。
2012年4月22日日曜日
一週間
フィリピンに来て一週間がたちました。毎日が濃く長く感じて本当に充実しています。こちらに来てからはお腹を下すこともなく、風邪もひかず、身体の調子は良好です。むしろこちらに来てからの方が早起きするようになり、3食きちんと食べ、大好きなお酒を飲みすぎることもないのでかえって健康でいられるのかもしれません。
フィリピンの人たちは寛容で温かく、笑顔がとても美しいです。日本では、知らない人に笑いかけたらきっと不審がられますが、ここでは知らない人でもすれ違う時にハイタッチしてきたり、車のクラクションをプップーと鳴らして「Hi!」と言ってきたりあまりのフレンドリーさに最初は戸惑いましたが、今ではすっかり楽しんでいます。
明日は誰と出会え、どんな話ができるのかわくわくしながら今日は寝ます。
インタビュー
寮ではなかなかインターネットに接続できません...更新が滞ってしまいました。
土曜日、NSTPの授業の一環でインタビューに行ってきました。現在87歳で17歳のときに戦争を経験された方でした。
インタビューの内容のほとんどは日本兵がフィリピンの市民に対して行った残虐な事実についてで、同じ日本人として聞いていて非常に心が苦しくなりました。過去に起きた事実を一つ一つ思い出しながら、淡々とゆっくり話しておられました。起きた事実ではなく、その女性がどう感じたか、どう捉えたかをお聞きしたかったのですが、それについては答えてもらえませんでした。今思い返すと、その女性の気持ちに踏み込んでいったような質問をしていたかもしれない、と自分の非礼さを反省しています。バタアン死の行進についてもお聞きしましたが、日本にもアメリカにも今は何の悪い感情も抱いていない、ただそういう事実があっただけだと聞いてとても心が痛みました。
第二次世界大戦中、アメリカの基地がフィリピンにあったため日本がフィリピンを攻撃し、フィリピンの人々は戦争に巻き込まれました。やりきれない怒り憎しみは半世紀以上たった今、フィリピンの人々の心にどのような感情となって残っているのでしょうか。
4月9日、米比軍が日本軍に降伏した日をフィリピンでは毎年死んだ兵士、人々へお祈りをする日として定めています。敵でも味方でもないのに日米戦に巻き込まれたフィリピンの方の思いを、私もまた理解できればと思います。
土曜日、NSTPの授業の一環でインタビューに行ってきました。現在87歳で17歳のときに戦争を経験された方でした。
インタビューの内容のほとんどは日本兵がフィリピンの市民に対して行った残虐な事実についてで、同じ日本人として聞いていて非常に心が苦しくなりました。過去に起きた事実を一つ一つ思い出しながら、淡々とゆっくり話しておられました。起きた事実ではなく、その女性がどう感じたか、どう捉えたかをお聞きしたかったのですが、それについては答えてもらえませんでした。今思い返すと、その女性の気持ちに踏み込んでいったような質問をしていたかもしれない、と自分の非礼さを反省しています。バタアン死の行進についてもお聞きしましたが、日本にもアメリカにも今は何の悪い感情も抱いていない、ただそういう事実があっただけだと聞いてとても心が痛みました。
第二次世界大戦中、アメリカの基地がフィリピンにあったため日本がフィリピンを攻撃し、フィリピンの人々は戦争に巻き込まれました。やりきれない怒り憎しみは半世紀以上たった今、フィリピンの人々の心にどのような感情となって残っているのでしょうか。
4月9日、米比軍が日本軍に降伏した日をフィリピンでは毎年死んだ兵士、人々へお祈りをする日として定めています。敵でも味方でもないのに日米戦に巻き込まれたフィリピンの方の思いを、私もまた理解できればと思います。
2012年4月20日金曜日
バタアン
今週の土曜日にNational
Service Training
Program(NSTP)の授業で戦争を経験されたフィリピン人の方にインタビューします。バタアン死の行進という言葉を知らなかったので検索しました。
死の行進
十六人の将校をふくむ七万人以上のフィリピン人およびアメリカ人兵士たちが、バタアンで武器を捨てた。降伏後、彼らは勝利者である敵の残忍な扱いを受けた。飢え、渇き、病い、疲労で極度に衰弱していたにもかかわらず、彼らは、パタアンのマリベレスからパンパンガのサンフエルナンドまでの全行程を行進するよう、強制された。この悪名高き「死の行進」中、フィリピン人約一万人、アメリカ人約千二百人が路上で死亡した。サンフェルナンドで生存者は有蓋貨車につめ込まれて、ターラックのキャパスにあったオドンネル・キャンプにつれてゆかれ、全員が収容された。その結果、飢えや病気でほとんどが死亡した。最終的に家族のもとに帰れたのは、ごく少数であった。
(越田稜編著『アジアの教科書に書かれた日本の戦争』梨の木舎、一九九〇年)
逃れられない歴史ではありますが、目を背けたくなります。日本兵が過去にしてきた残虐な事実を知ることは心が重くもなります。しかし何が起こったのか、なぜ起こったのか、どういう流れで、どういう経緯で、ということを知ることは同時に過去の人々への償いにもなると思うのです。過去は塗り替えがききませんが、未来の私たちが同じ過ちを犯さないよう、自らの歴史について詳しく知りたいと思います。
死の行進
十六人の将校をふくむ七万人以上のフィリピン人およびアメリカ人兵士たちが、バタアンで武器を捨てた。降伏後、彼らは勝利者である敵の残忍な扱いを受けた。飢え、渇き、病い、疲労で極度に衰弱していたにもかかわらず、彼らは、パタアンのマリベレスからパンパンガのサンフエルナンドまでの全行程を行進するよう、強制された。この悪名高き「死の行進」中、フィリピン人約一万人、アメリカ人約千二百人が路上で死亡した。サンフェルナンドで生存者は有蓋貨車につめ込まれて、ターラックのキャパスにあったオドンネル・キャンプにつれてゆかれ、全員が収容された。その結果、飢えや病気でほとんどが死亡した。最終的に家族のもとに帰れたのは、ごく少数であった。
(越田稜編著『アジアの教科書に書かれた日本の戦争』梨の木舎、一九九〇年)
逃れられない歴史ではありますが、目を背けたくなります。日本兵が過去にしてきた残虐な事実を知ることは心が重くもなります。しかし何が起こったのか、なぜ起こったのか、どういう流れで、どういう経緯で、ということを知ることは同時に過去の人々への償いにもなると思うのです。過去は塗り替えがききませんが、未来の私たちが同じ過ちを犯さないよう、自らの歴史について詳しく知りたいと思います。
2012年4月17日火曜日
伝えたいこと
イエメンと韓国からの留学生2人と友達になりました。彼らは正規の学生なので私とは立場が違うのですが、フィリピンでの生活についていろいろ教えてもらっています。
その3人でジプニーに乗ってスーパーマーケットに行く途中「福島はどうなのか、たくさんニュースで見たけど彼らは大丈夫なのか」と聞かれました。日本人として当然語れなければいけない問題ですが自分の勉強不足で、原発事故のせいで今も放射能の被害がある、ということをうまく伝えられませんでした。「チェルノブイリの事故を知っているか」と言うことがせいいっぱいでしたが彼らの返事は「わからない」でした。
恥ずかしながら、東日本大震災について今どうなっているのか私は何も語れないことにその時気付きました。また日本を離れると日本を語るときにこんなに緊張感があるものなのかということも初めて痛感しました。間違ったことを伝えないよう、日本のことをしっかり知ってそれを正しい英語で伝えられるようになりたい!ですが今はまだ英語力がついてきてくれません...
その3人でジプニーに乗ってスーパーマーケットに行く途中「福島はどうなのか、たくさんニュースで見たけど彼らは大丈夫なのか」と聞かれました。日本人として当然語れなければいけない問題ですが自分の勉強不足で、原発事故のせいで今も放射能の被害がある、ということをうまく伝えられませんでした。「チェルノブイリの事故を知っているか」と言うことがせいいっぱいでしたが彼らの返事は「わからない」でした。
恥ずかしながら、東日本大震災について今どうなっているのか私は何も語れないことにその時気付きました。また日本を離れると日本を語るときにこんなに緊張感があるものなのかということも初めて痛感しました。間違ったことを伝えないよう、日本のことをしっかり知ってそれを正しい英語で伝えられるようになりたい!ですが今はまだ英語力がついてきてくれません...
2012年4月16日月曜日
到着
昨日ブラカン大学に到着しました。
トラブルなく出国、入国ができ、空港に迎えに来てくださったRhinoさん夫妻とも迷わずに出会うことができました。大学まで車で約2時間。その間ずっとRhinoさんの奥さんにフィリピンの教育について教えてもらいました。
フィリピンでは高校を卒業したあと、大学で学問的なことを学ぶ学生とvocationという2年間の技術的なことを学ぶ学校に行く学生がいるそうです。大学に進学した学生は、高いレベルの企業から修士課程、博士課程まで求められることがあり、より優秀な人だけが残っていきます。
vocationでは学問的なことは学ばない代わりに裁縫やパソコンスキルについて学び、工場などに勤める人が多いそうです。
フィリピンでは学校で学ぶことがそのまま社会に出てからの仕事につながり、また社会からも学校で学ぶこと、スキルを身に付けることを求めるられるということに、フィリピンでの教育の重要性を感じました。
もっと書きたいところですが、これからオリエンテーションなので行ってきます!
フィリピンでは高校を卒業したあと、大学で学問的なことを学ぶ学生とvocationという2年間の技術的なことを学ぶ学校に行く学生がいるそうです。大学に進学した学生は、高いレベルの企業から修士課程、博士課程まで求められることがあり、より優秀な人だけが残っていきます。
vocationでは学問的なことは学ばない代わりに裁縫やパソコンスキルについて学び、工場などに勤める人が多いそうです。
フィリピンでは学校で学ぶことがそのまま社会に出てからの仕事につながり、また社会からも学校で学ぶこと、スキルを身に付けることを求めるられるということに、フィリピンでの教育の重要性を感じました。
もっと書きたいところですが、これからオリエンテーションなので行ってきます!
2012年4月13日金曜日
完了!
今日、大学で推薦状を受け取り、すべての必要書類が揃いました。
外国語学部の先生方、理工系オフィスの方、教務センターの方、建築学科の先生のご協力のおかげでここまでこれました。
これからスーパーに行ってお土産用の日本のお菓子を買い、
もう準備は完了です。
無事スタートラインに立てたことを感謝し、フィリピンでの大学生活に備えて
ご飯をたくさん食べてエネルギーを蓄えます!
外国語学部の先生方、理工系オフィスの方、教務センターの方、建築学科の先生のご協力のおかげでここまでこれました。
これからスーパーに行ってお土産用の日本のお菓子を買い、
もう準備は完了です。
無事スタートラインに立てたことを感謝し、フィリピンでの大学生活に備えて
ご飯をたくさん食べてエネルギーを蓄えます!
目標
いよいよ出発の日が近づいてきました。あと2日!
21年間生きてきた中で最も大きな挑戦です。
言葉も治安も不安は尽きないけれど、もう後戻りはできないので
自分のやりたいことを実現したいと思います。
まず英語が使えるようになる!
その次にタガログ語でもコミュニケーションできるようになる!
そして英語とタガログ語で建築が語れるようになる!
これを目標に、新しい出会いや経験を楽しんできます。
21年間生きてきた中で最も大きな挑戦です。
言葉も治安も不安は尽きないけれど、もう後戻りはできないので
自分のやりたいことを実現したいと思います。
まず英語が使えるようになる!
その次にタガログ語でもコミュニケーションできるようになる!
そして英語とタガログ語で建築が語れるようになる!
これを目標に、新しい出会いや経験を楽しんできます。
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